第16話 死に分かれたはずの父

 光寛たちは《支配欲》の手先と思われる使徒を観察していた。

 三人の使徒は全員学校の正門から入って行き、何の拍子もなく倒れた。


「あやつら、自分からスレプスの夢に入りに行くとはな。冠位を舐めているのか、まったく」


 スレプスの能力【睡魔】には適応範囲がある。スレプスの地点から半径200m以内に、人を眠りにつかせる広範囲術がかかる。校舎が円の中心で、おおよそグランドを含める学校全体が術の範囲内だとアパスは言う。


「でも俺たちは入るわけにはいかないよな。夢から出られるかわからないし」

「そうであるな。オーディアには悪いが、ここはまだ様子を見る。スレプスが中級四匹に引けを取るはずなかろう。夢の中から不調法者が追い出されるのを待つしかない」


 アパスの慎重な判断を仰ぎ、オーディアは素直に従った。

 しばらくして、光寛が鼻を小さく動かした。


「……」


 学校から視線を外し、ぐるりと後ろを向く――と同時に右手にダガーを実体化させた。

 ――ガキィィン!

 間一髪、背後から振り下ろされる刃をダガーで受け止めた。攻撃をはじき、即座に紗枝を抱えてバックステップで距離を取る。


「一体何があったのだ⁉」


 アパスは一瞬の出来事についていけず、光寛を狙った人物を捉える。そこにいたのは髭を濃く蓄えた体格の大きい男で、身長を上回るほどの大剣を振り下ろしている。筋骨隆々の上半身がむきだしになり、それはまるで狩りをする冒険者のような格好だ。

 一瞬でも反応に遅れていれば即死だったと思い、光寛は息を呑む。


「直前まで気付けなかった……。お前も《支配欲》の手先か?」


 大男は禍々しいオーラを放つ大剣を片手で持ち上げ、肩に担ぐ。光寛と正面に向き合い、堀の深い顔で口角を上げて見せる。


 その瞬間、光寛の脳に一筋の電撃が走った。大男の顔が閉じ込めていた過去の記憶を呼び覚まし、彼の正体を知った。


「よく避けたな光寛ぉ。それに紗枝も元気そうで。二人とも立派に成長したな」

「お……親父……なのか?」


 目を大きく見開き、父親の姿をした大男を前に震えてしまう。

 それもそのはず。光寛の父親は光寛自身によって殺されたのだ。しかし数年が経った今、悪魔の気配を漂わせて再び息子の前に現れた。

 

 死んだはずの父がなぜ生きているのか。

 なぜ息子である自分を殺そうとしたのか。

 理由は聞くまでもなかった。


「お前もひっでえよな。母さんが死ぬほど痛い思いをして産んで、俺が死に物狂いして稼いだ金で育ててやったのによぉ。肉親を殺すだなんて親不孝にもほどがあるぞ」


 しゃがれた声も生前のままだ。その聴覚記憶が視覚記憶と合わさり、紗枝もようやく彼が父親であると気づいた。


(どうして……生きてるのっ⁉ やだ……来ないでっ)

「あれが、ミツヒロたちの父親なのか。嫌と言うほど殺意が伝わってくるな」


 二人の発言から、アパスは起きている事態を察するも、彼から放たれる悪魔のオーラに気圧されてしまう。


「黙れクソ親父! もういっぺん死にてえなら殺ってやるよ!」


 光寛が怒りに我を忘れて叫ぶ。常に冷静な彼を見てきたからか、父親に向かって殺しにかかる光寛に、アパスは恐怖を感じた。

 光寛は瞬間的な速さで父の背後に回り込み、ダガーを心臓の位置する場所に突く。


「遅い」


 刃が皮膚に届く寸前、男は担いでいた大剣で攻撃を防ぐ。衝撃が拮抗し、光寛の動きが止められる。そこへ男の思い拳が飛んでくる。


「しっ‼」


 左頬を捉える鉄拳を体を反らして躱し、勢いのまま数回のバック転をして距離をとる。


「いい身のこなしと反応速度だ。けど力比べじゃどうだ?」


 ぐっと重心を落とし、男は地を地を割るほどの力で地面を蹴って光寛に突進する。あまりの速さに避ける暇もなく、振り降ろされる大剣をダガーで受け止める。

 しかし剣の重さと勢いを完全に止められるはずもなく、ダガーを押し返して肉厚の大剣が光寛の肩を抉る。


「ぐあああああ‼」


 突き刺さる刃が肉を裂き、骨を砕く。赤黒い血を吹き出しながら左肺まで刃が到達するが、心臓に達する前でようやく勢いを殺すことができた。

 しかし男は剣を上から押し込むように力を加え続け、下にいる光寛は地面に潰されていく。


「おいおいそんなもんかよ。こんなちっぽけな武器に頼ってアジリティに偏ったステータスにするからこうなるんだ。昔お前に教えたよなあ?」


 じりじりと大剣を支えているダガーが悲鳴をあげ、刃が光寛の体に沈んでいく。膝をついて大剣の重さに耐えるので必死だ。


「くっそ……くそ……」


 舌打ちをするも、押し返すことのできない攻撃に耐えるだけジリ貧だと悟る。徐々に心臓へと迫る刃に死を覚悟したその時、


「光寛の父親よ! ワタシはここにいるぞ!」


 アパスが男に向かって叫んだ。予想外の行動に思わず男はアパスの方へ振り向く。


「バカ、野郎……なにしてんだ」

「お前、紗枝じゃないな? もしや紗枝の中に契約した悪魔がいるのか。妹を生贄にするなんて、お前も腐ったな」


 光寛に憐みの目を向け、男は大剣を押し込むのをやめた。そして深くまで刺さった大剣を光寛の肩から引き抜く。

 血が噴き出るが、致命傷を避けられただけ光寛は助かったと言える。しかし男の標的は紗枝の体に変わってしまった。


「で、お前はどちらの悪魔さんですかね?」

「ワタシは《食欲》のアパスである」


 すると男は目の色を変えて不敵な笑みを浮かべる。


「ほう、まさか三大欲求なんてな。持って帰ればが喜びそうだな」

「貴様の笑みは見ていて気色が悪いな。まるで悪魔そのものだ」


 中学生女子の体でアパスは軽蔑の目つきをする。握れば折れてしまいそうなほど華奢な四肢は強風に煽られても微動だにしない。


「紗枝はな、母さんが不倫して出来ちまった子供なんだ。俺だって出産は反対したんだがな、いかんせん妊娠からかなり経って手遅れだった」

「だからといって、貴様がこの娘に手を上げていいことにはならないだろう。ミツヒロもとんだ毒親に育てられてしまったのだな」


 男に対する憤怒を言葉にしてぶつけるが、不敵な笑みは消えない。


「これは運命だ。お前らは、俺の道具にすぎねえんだ。諦めて二人揃ってあの世に送ってやる。光寛……とくにお前はただで殺さねえかんな」


 黒く充血した目で紫の眼光を放ち、大剣の刃の鈍い銀色と滴る血がコントラストを生む。

 それに恐れず、光寛は這いつくばりながら男の足首を掴む。


「お前は、逃げろ……余計なことして紗枝になにかあったら゛あああああ!」


「いつまでもこの妹を庇うのか。お前は黙って愛しの妹が死ぬのを見てろ」


 光寛の腕を踏みつけ、体重をかけて骨を軋ませる。すでに重症の光寛は殺意の含んだ笑みを浮かべる父親を止める力もない。


「そうか……ついに覚悟を決めたのだな。紗枝よ」

「何を一人で言っている? 命乞いなら今のうちにしとけ、《食欲》の悪魔」


 逃げも隠れもせず、立っているだけのアパスに男はゆっくりと近寄る。数歩、数歩と近づき、紗枝の体に男の影が覆い被さった。


「――お兄ちゃん。今度は私がお兄ちゃんを守るからね」

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