第13話 死活問題

 飯井崎光寛には抱える問題があった。

 一つは妹の紗枝が、契約している悪魔に乗っとられていること。妹こそが人生を生きる意味に掲げている光寛にとって、命を捨ててでも助ける存在である。


 しかしそれとは別に問題が一つある。契約している《食欲》の悪魔、アパスだ。

 千歌と協力して《遊戯欲》を倒し、光寛がその悪魔を取り込んだあとのこと。いつものように退勤と使徒狩りをこなして家に帰ると、妹の体でアパスが抱き着いてくる。紗枝の未成熟な体が光寛に押し付けられるが、それはさして問題にしていない。


「えっへへー。おかえりなのだぁ。今日も獲物が美味しいのだぁ」


 光寛が取り込んだ悪魔は、アパスの胃袋に送られる。満腹になれば一時的に泥酔状態になるのが、この悪魔の厄介とするところだ。


「それでミツヒロよ、晩御飯は何にするのか? ワタシは肉がいいぞ。鶏でも豚でもいいが、たまには牛を口にしてみたいのだ」


 さらにこの悪魔、主食を悪魔の血とするのに限らず、人の食事に対する食欲は別腹として消費しなければならない。

 銀行の勤務から使徒狩りの残業、そして帰宅すれば酩酊の悪魔の腹ごしらえ。毎日の習慣であるため、光寛の体力と財産が次第に失われていくのだ。

 光寛の体を強く抱きしめ、食を語る悪魔は大変幸福な表情をしている。それも妹である紗枝の顔でされては光寛も弱ってしまう。


「牛は無理だ。金が足りない」


 アパスを引きずりながら部屋に入り、スーツを着替える。


「では鶏か豚であるな? 楽しみである!」




「ミツヒロよ……これは肉なのか?」


 食卓に出た皿に目を落とし、向かいに座る光寛に問う。


「肉だな」

「これは鶏と豚のどちらなのだ?」

「強いて言うならマグロだな」


 再び視線を皿に落とすアパス。視界に映るのは皿の上に置かれた缶詰。鶏肉のように淡白な色をしているが、アパスの知っているマグロとは度がかけ離れている。


「マグロ、とは赤身の魚ではなかったか?」

「それをこうしたのがこれだ。マグロをああしてこうして加工して缶に詰めた画期的な料理だ。いや、マグロというかカツオか」


 昨日までの料理とは明らかに手抜きであることに気付き、アパスは酔いの覚めた正常な頭に戻る。


「ミツヒロよ! どうしたというのだ! よもやワタシに料理を作るのが七面倒になったというのか⁉」

「正直な話、お金が足りない」

「ほうそうか作るのに飽きたというのか! ならばワタシにも考えが…………それは深刻であるな」


 アパスは腕を組んで事態の重大さについて考える。しかし稼ぎ手でもないアパスには位相の違う話のため、すぐに考え尽きてしまう。


「だからしばらくはツナ缶生活だ。紗枝の体に最低限の栄養になるくらいは食わせてやるから、次の給料日まで我慢しろ」

「そ、そんな殺生な……‼」


 がくりと項垂れるアパスをよそに、光寛は自分の文のツナ缶を食べた。

 もちろん光寛自身の食事も制限することになる。アパスの《食欲》の冠位が影響して、人の何倍も空腹を苦痛に感じるのだ。そのため、本人としても苦渋の決断だった。



「話は変わるが、ミツヒロよ。最近オーディアとはどうなのだ?」


 ツナ缶を食べ終えた手前、アパスは千歌たちのことを聞いた。


「良くも悪くもお互いの目的が噛み合ってる、って感じだ。俺が街に潜む使徒の匂いを嗅ぎ当てて、千歌が敵を追い詰める。適度に弱らせたら尋問をして、用が済めばその使徒は俺が喰う」

「相変わらず《支配欲》を探すのに悪魔の血には目もくれない様子であるな」


 千歌とオーディアが光寛の力を借りる利点として、使徒を探し当てる手間が省けることが挙げられる。

 逆に光寛側は、その獲物を独り占めできるという、明らかにアパスが得するだけの不釣り合いな関係になっている。継続的に悪魔の血を接種しなければならない体質ゆえ、これ以上に望ましい協力関係はないと二人は思っていた。


「あやつらが悪魔の血を取らずとも、己の欲望を満たすだけで生きていけることに、ワタシは少し疑問を抱いている。究極的にオーディアの【人民調査】を以てすれば、ワタシたちの協力なしに《支配欲》の発見など容易いはずだ」

「千歌たちには他の目的があるって言いたいのか? 俺はそうは思わないけどな」


 何ともなしに言う光寛に、アパスは眉間に皺を寄せて不満を表す。


「……前々から思っていたのだが、ミツヒロは千歌に対してかなり心を許しているではないか。アイツの態度が癪だと微塵も感じないのか?」


 初対面から千歌はアパスたちに高圧的な態度であった。協力を進言する立場の人間が高飛車なままなのがアパスは気に入らなかったのだ。

 光寛は頬杖をつきながら窓の外を眺める。


「別に何とも思わないな。でもなんていうか、紗枝に似てる気がするんだ」

「全っ然似てないしぃ~~~~‼‼」


 突然、アパスの口から幼い声が飛び出す。咄嗟に口を塞ぐが、聞きなじみのある声に光寛が目を見開いて驚愕する。


「今の声って……」

「いやぁ全然違うぞぉ⁉ ワタシはワタシだ。そんなことよりも千歌とお前の妹が似ているというのは特段合点がいかぬ、そう言いたかったのだ!」

「お、おう……そうか。なんか紗枝の声に聞こえたけど」

「紗枝の体なのだから当然であろう! この話は終わりだ。せいぜい千歌に振り回され過ぎぬよう気を回しておくのだな」


 アパスは勢いよく立ち上がり、足早に寝室へ向かった。つい本音を漏らしてしまった紗枝に忠告を促すためだ。


「紗枝よ、気持ちはわかるがミツヒロの前では出ないでくれ」

(ご、ごめんねアパスちゃん……。でもあの女と一緒にされるのは許せなかったんだもんっ)


 精神体で小さく蹲る紗枝を、厄介なブラコンの妹だなと思い、アパスはそれ以上追及しなかった。


「今日は疲れたであるな。寝るとするか」

(うん。おやすみ、アパスちゃん。お兄ちゃんも)

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