第10話 飯井崎光寛はシスコンか

 飯井崎光寛はシスコンだと、指を刺されながらよく言われる。


 俺本人としては大したものじゃないと思っているのだが。


 ただ妹を守ろうとしているだけなのに。


 人は俺をシスコンだの、近親相姦だのと茶化してくる。

 酷い話だ。


 でも俺は、その想いの強さを信じたまま死んでしまった。

 妹の紗枝が悪魔に憑りつかれ、一方的な契約に従わなければ俺たちを殺すと言う。だから俺は紗枝の解放のために命を懸けて戦った。


 紗枝は俺の命を捨ててでも守るべき存在だから。


 死に際で感じた生への渇望は、それはもう酷く見苦しいと思ってしまった。

 またそれは、かつて紗枝が抱いたものと同じに思えた。


 俺と紗枝は七つ年が離れているが、紗枝が生まれた時の家庭環境は最悪だった。

 紗枝は親父の子じゃない。それが理由で、俺の両親は生まれるはずのなかった紗枝を憎んだ。

 成熟していく紗枝を一応は育てようとするも、親は経済的に苦しくなっていく。はじめて両親が紗枝に手を出したのが五歳の時。


 頬が赤く腫れながら泣き喚く紗枝を見て、俺は思った。

 両親おまえらを殺してやろうと。

 一方的な虐待に紗枝が泣く姿に俺は激怒した。


 いつの日かを境に、二人は高笑いをしながら俺にも拳を振るうようになった。妹は泣き、俺の傷は増えていく。

 そのことを話しても、大人は信用してくれなかった。だれも両親が子供に手を上げるような人間だと露ほども疑わなかったからだと。 

 みんなが口をそろえたように同じことを言い、俺と紗枝は虐待の檻に閉じ込められていた。


 ならば俺がその痛みを我慢すればいい。そう思い、我が身を捨ててでも紗枝の身体を守るようになった。

 背中を叩かれ傷ができようとも、胸に抱き寄せた妹が笑っていてくれれば痛くもない。やがてそれは一種のルーティーンとなり、ついに妹は笑うことを忘れた。

 そしてある日言い出した言葉が――


「――お兄ちゃん、あの人たち殺していい?」


 目は虚ろに、しかし言葉の先に光を見出している。そんな表情だった。絶望に瀕した少女が発した言葉には、生への渇望が秘められているのだと、俺にはわかった。


「紗枝、それは駄目だ。お前がやるなら俺がやる」


 そして俺は親とも思えない親を刺した。

 その後のことは、よく覚えていない。


 ようやく檻から出られたと実感したのは、俺と紗枝が二人だけで生活をするようになった時からだ。

 高卒の俺は地方銀行に就職して、援助を受けながら1LDKで小さく生きる。

 ひきこもりの妹を養い、糊口を凌ぐ生活で小さな幸せを守ってきた。笑うことは少ないが、紗枝の見せる表情は怒っていても確かな安らぎをもたらしてくれた。


 だから俺はまだ死ねない。

 騎士の放つ強大な魔力の斬撃に、俺の意思は打ち負けてしまった。

 だから死ぬ前に一言だけ、紗枝に伝えてやりたかった。


「こんなお兄ちゃんでごめんな」



                 ***



 光寛が目覚めると、それは知らない天井だった。


「知らない、部屋の匂いだ……」


 同時に嗅ぎ慣れない清潔な部屋に違和感を覚え、体を起こす。

 蓋を開けたように全身を倦怠感が襲った。ずしりと重い頭を手で支えながら周りを見渡すと、隣にはアパスが胡坐をかいて座っていた。


「お、ミツヒロよ、ようやく起きたか」

「……ここはどこだ。俺は死んだんじゃないのか?」


 曖昧な記憶を辿るも、最後の瞬間が騎士にとどめを刺される直前であったため、自分が死んでいるものだと思い込んでいた。

 アパスは光寛の頬をつねり、現実だと教える。


「夢ではない。ミツヒロは生きておる。千歌という女と《秩序欲》の悪魔オーディアに生かされたのだ」

「じゃあここはそいつらの住処なのか……」


 冷静な頭で状況を整理し、ようやく安堵の息をつく。

 部屋の四方を見渡し、清潔な様子から部屋主のまめな性格が表れていると感心する。

 すると視界の隅に銀色に光る何かが浮遊しているものが目に入った。

 全身金属プレートで覆われている騎士の姿に光寛は自分を圧倒した悪魔の騎士を思い出す。しかしそれ以上に、もたれ掛かっている壁に背中が透過していることに気付いて絶叫する。


「ぎゃあああああ幽霊だあああああ‼」


 常に冷静沈着で虎視眈々と獲物を狙う光寛は、幽霊が大の苦手であったのだ。

 光寛は体の傷も忘れて無様にもアパスに抱き着く。


「紗枝~! お、俺が何とかしてやるからなあああ⁉」

「おいミツヒロよ! 人様の部屋で抱き着くなんて大胆すぎるぞ!」

「ミツヒロ殿……それでよく我々と戦えていましたね」

「ゆ、幽霊は実体がなくて殺せないから怖いんだよ‼」


 光寛は腰を抜かして、アパスは突然の密着に赤面、オーディアは呆れると同時に誤解を解こうと宥める。そんなケイオス極まる現場に千歌は手洗いから戻ってきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る