第7話 敗戦

 その頃アパスは餓死寸前の復活を果たしていた。光寛が取り込んだ二人分の使徒が空腹の胃袋の底に溜まり、なんとか会話ができる程度には回復したのだ。


「さすがお兄ちゃんだね。一気に二人も倒しちゃうなんて」

(だがしかし妙である。あのミツヒロが鮮度を欠いた状態で呑み込むとは。珍しいというより何か嫌な予感がするのだ)


 自分の腹に溜まったものに違和感を覚え、光寛の様子を気にしてしまう。


(ミツヒロは飢餓状態であっても常に冷静な奴だ。誤って息の根を止めることはしない。ましてやワタシの力を以てしてだ)

「縄張り争いに巻き込まれた可能性はないの? 他の悪魔が倒したところをお兄ちゃんが食べた、ってことも考えられるけど」


 紗枝もアパスの疑問について考えてみるも、またさらに疑問が湧いてしまう。


(だとしたらその倒した悪魔は相当強いぞ……なにせ今ワタシの胃袋にいるこ奴らの階位は中位より上だ。並みの悪魔が単独で殺せるはずがない)


 そこまでアパスは推理して、好からぬ事態に思いつく。


(紗枝よ、今すぐミツヒロの元に向かうのだ。最悪の事態になりかねん)


 アパスの真剣な様子に、紗枝は何も言わずに頷いた。そして兄の元へと駆け急いだのだった。



                 ***



(……強い)


 騎士との戦闘が始まってから十分が経過した。光寛は堅く立ち回る騎士に苦戦を強いられていた。

 光寛が持っている武器は肉厚の刃がついたダガー。対して騎士の武器は重量のある両手剣。

 騎士の声からして女性だというのはわかったが、剣を振るうたびに起こる風が工場内の砂塵を吹き上げる。武器の相性が悪いのに加え、正面からの攻撃はすべて弾かれてしまう。


 光寛の戦法としては、相手の攻撃を全ていなし、挑発して激昂したところを弱らせ、丸呑みするという手段を踏んでいる。左手の影【捕食者】は、ある程度衰弱した相手でないと呑み込めない。前の戦いの疲労は一切見えないため、騎士に対してまだ左手は有効でない。

 さらに騎士の見せた謎のカウンター。あの反射の仕組みが判然としない状況では迂闊に攻撃もできない。


「一つ聞く。どうして二人に襲われていたんだ」


 光寛は騎士との距離を保ったまま話しかける。


「……それを答えるに値するか、判断している」


 騎士は答える気はないとばかりに剣を腰に据え、ためをつくる。装飾の細かい剣は紫の発光を帯び、切っ先まで膨大な魔力が伝わる。 床が沈むほど強い踏み込みとともに、腰から剣を斜め上に振りぬく。

 すると剣から、斬撃の一閃が光寛の首めがけて飛んでくる。ソニックウェーブを伴う高速斬撃に対し、光寛は左手を使った。

【捕食者】の能力が発動し、左手に触れる寸前で斬撃が影に吸収される。攻撃を無力化し、自身の魔力へと還元する。


「まだ物足りないな。次はお前を食う」


 騎士は攻撃の反動で踏み込んだ姿勢のままだ。

 その隙をついて光寛はダガーを逆手に持って騎士との距離を瞬時に詰める。瞬きをする間に懐へ入り、刃を騎士の右肩へ突きつける。


 ――その時だった。

 ダガーの切っ先がプレートアーマーの隙間を穿つ瞬間、透明な壁を通り抜けたように空間に歪みが生まれる。そして刃が入り込んだ場所より上から、切っ先が突き出てきたのだ。

 ダガーを奥に押し込むほど迫り来る切っ先は刀身を見せ、光寛の眉間へと吸い寄せられる。


「ぐっ‼」


 助走のあまり押し込む右手の勢いは止まらず、咄嗟の見切りで返る刃を頬に掠める程度に避けた。

 体勢を崩して無抵抗になった光寛の腹に、騎士は蹴りをいれる。光寛は蹴とばされる勢いに飛ばされ、壁に背中を打ち付ける。


「かはっ……‼ 畜生、攻撃を誘ったってわけか……」


 騎士の身に着けている金属プレートの重さも相乗し、光寛の肋骨のうち、下部分二本が折れてしまった。口の中に血が滲み、今までにない危機感に光寛は冷静さを欠く。


「貴方のスピードと反射神経には驚いた。だがこれで終わりにする」

「ぺっ! ざけんな……まだ俺は飢えている。その肉を食うまで俺は死ねない」


 朦朧とする意識を振り絞り、雄叫びをあげて立ち上がる。


「愚か。最後まで己の欲望に侵されている。利他を見失っている貴方の敗北だ」


 騎士は剣を強く握り、大上段に構える。魔力の奔流が気流を生み、刀身が濃淡な紫に輝く。危機に直面している光寛は、その輝きに恍惚に見入ってしまった。


「……旨そうだ」


 左手を掲げ、その一撃を喰らおうとする。空気を伝う斬撃ではなく、正真正銘真剣による一撃だ。受け止められないのは本能的に予想できていた。それでも、騎士の必殺をアパスに献上しようとする。


「ごめんな、紗枝」

「……覚悟」


 工場に紫の光が広がった。誰も使わない廃れた工場は、騎士による一撃で轟音とともに崩れた。



                ***



 紗枝はアパスの指示通りに急いで向かった。アパスは光寛との契約によってお互いの居場所と腹の減り具合が共有されている。そのため、一寸のズレもなく正確な場所が分かるのだ。


(ミツヒロ……?)


 そして光寛の意識が失われたことに、アパスは気づいた。言葉にできない驚愕と衝撃が、さらなる焦燥を生む。紗枝はアパスの異変に気づき、同時に嫌な予感が脳裏をよぎる。


「嘘でしょ、アパスちゃん……」

(まだ心臓は動いておるが、ワタシとの繋がりが薄れてきている)

「ねえ、大丈夫なんでしょうね。もし無事じゃなかったらアパスちゃん――」


 心の中で紗枝はアパスを睨む。殺意に似た鋭い視線を感じ、先の言葉を理解したアパスはまなじり決する。


(わかっておる。その時はワタシは責任を全うする。今は無事を祈るまでだ)


 電車に揺られながら、迫りくる時間との沈黙の睨み合いが続いた。

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