第9話 空虚な心


 その日は突如、訪れた。

 血だまりに倒れる煌恋院スミレ。

 彼女は腹部を拳銃で撃たれていた。

 犯人は煌恋院ザクロ。

 その事件はボクのかび臭い狭い部屋で行われていた。

「やあ『人格破綻者』元気かい?」

 スミレは頑丈なので腹部を撃たれたくらいでは死なない。

 けれど、状況が状況だ。

 これは「煌恋院ザクロが煌恋院スミレを見限った」事に他ならない。

 ボクは短刀を懐から抜き出し、剣閃を振るった。

 しかしザクロはそれを片手で掴むとボクを短刀ごと投げ飛ばそうとした。

 その瞬間、ボクは短刀を手放し、壁に叩きつけられるのを防ぐ。

「私に刀術は効かない、覚えておくことだ」

「ボクに銃は効かない、覚えておけよ――」

 徒手空拳でザクロに挑む。

 ザクロもまた拳銃を手放し、素手で相対する。

 一発一発の拳が牽制として入る。

 体格差からして、リーチはザクロにある。

 しかしそれを補って余りあるボクの間合いを詰める足裁きで、翻弄する。

「やるじゃないか、あらかたをしてきた甲斐があった」

「お前の首はボクの命の担保になる、悪いが死んでもらうぞ煌恋院ザクロ……!」

「スミレの心配はしてくれないのか、まあ君はそういう『ドライ』な奴だよな。『人格破綻者』。君は他者に関心を持たないし、一方的な感情を確固たるものと認識し、そう定義する事で安寧を得ようとする。君は契約通りに従う『悪魔』の様な存在だ。契約さえ担保に出来れば、なんでもする。それが君だ」

 ボクは間合いを詰めると、一気に足払いをかけた。ザクロはそれに見事にひっかかり――おかしい――地面に倒れ伏す。

 ボクはザクロに馬乗りになり、首に手をかける。

「最期は絞殺か、まさしく『締め』には丁度いいかもな」

「さっきからお前は何を言っている!?」

「まず、どうして私がスミレを撃ったと思う?」

 その問いにボクは答える事が出来なかった。

「それはスミレが煌恋院家の上位陣を一網打尽にしたからだ。マフィアとしてケジメはつけないといけないからね」

「スミレには手錠が――」

「私が外した」

 それは――自作自演だ。

「我が娘は君が思う以上に君を想っていた。君を害する煌恋院家を潰す事に躊躇いが無いほどに。計画通りに進んで私は大変満足している」

 ボクはザクロの首に手を食い込ませる。

「計画だと!?」

「ああ、そうだ。これは私が紡いだ物語、君を主人公に据えて、我が娘をヒロインに配置し、私自信をラスボスにする事で、煌恋院家を一から、零からやり直す計画だ」

「気が狂っているのか!?」

「家族を殺した相手と同じ屋根の下で暮らしている君に言われたくはないな、煌恋院家は腐っていた。改革が必要だった。事後承諾で悪いんだが、古宇森圭、君には是非、婿養子に入って欲しい。煌恋院家を存続させるために」

「ボクがスミレを好いているとでも?」

「君は歪な人間関係を築いている。いや歪な人間関係を思惑している。だけど、スミレは例外だ。その証拠に君は今、義憤に駆られている」

 ボクが?

 家族を皆殺しにされても心が動かなかったボクが?

 今更、義憤?

 ボクはザクロの首にかけた手に力をより一層込めていく。

 黙れ、黙れ、黙れ――

「君の物語も、私の物語も、スミレの物語も、これで終わりだ。どうだ『詭弁遣い』最期に何か詭弁を聞かしてくれよ」

 首を絞められているというのに意に介していないような語調。

「いいぜ、お前の最期だ。最高の詭弁を聞かせてやる。最低の本音を聞かせてやる。ボクは生まれつきの異常者だった。人道倫理の枠が嫌いだった。でも矛盾しているかもしれないけれど、学校生活をそれなりに楽しむ余裕もあった。だけどそれは全部、空虚な心の発露でしかない。科学反応であって、感情の機微じゃない。友人が出来た時も、家族が皆殺しにされた時も、ボクは何の感情も抱かなかった。ただ自分の命の事を考えていた。空虚な心は長話だけが特異になっていった、それを埋めるように。そう、ボクはボクという存在を言葉で定義する事で生きていた。生きる証としていた。ドライな死生観の中で唯一、自分の命にだけウェットな感情を抱いていた。そこまで生に執着していたのは誰かの「死にたくない」を聴きたいだとかモラトリアムを続けたいとだとかじゃない。他の人間と変わらない、そう変わらないんだ。ボクはボクが大事で自分の命を失われる事に恐怖を覚えた。それを気づかせてくれたのは他でもない、煌恋院家による古宇森家襲撃事件だ。あの日、ボクは生と死を同時に実感した。その時、初めてボクはこの世に生まれた。スミレがボクに本当の人生ってやつを感じさせてくれた。そうだな、ボクはスミレが好きだ。殺されかけた相手で命の恩人だ。だから、それを俺から奪おうとするアンタがボクは許せない。ボクに自我を与えてくれたスミレを奪うというのなら、このまま頚椎を折る。煌恋院家の存続? 勝手にしろ。ボクはただ生きる。生きたいから生きる。その過程で何が起ころうとボクはなんの感情も抱かない。今、ボクはお前への憎悪を此処で終わらせる。ボクを踏みにじったお前を殺す事でボクは前に進む。何かも矛盾していて、『親友』に言わせれば、『お前の理屈はひどく一方的で理不尽だ』その通りだと思う。煌恋院ザクロ。僕の唯一の仇敵。お前の罪はお前がボクのテリトリーを侵した事だ。これがボクの最後の長話だ。さよなら、お義父さん」

 ボクは力任せに煌恋院ザクロの首を折った。

 絶命したザクロの亡骸を放り出すと、スミレに駆け寄る。

 銃撃の傷痕は塞がっている。

 相変わらず妖怪みたいなやつだ。

「ごめんなさい、圭、あなたの家族を殺して、わたくしは、無知な子供でした。ただ親の言う事を聞くだけの無知な子供でした」

「誰しもがそうさ」

「罪滅ぼしのつもりでした。煌恋院家を滅ぼしたのは。けれど、それさえも父のシナリオの上だった」

「仕方のないことだ」

「もう長話は聞かせてくれませんの?」

「ああ、もうやめる」

「そう……これからどうするんです」

「とりあえず、引っ越そうかな、もっと見晴らしの良い家に」

「わたくしは」

「来たけりゃ来いよ。ボクは別に拒絶しない」

 一筋の涙がスミレの頬を伝った。

「許してくださいとは言いません。ただ、わたくしと共にいてください」

「許さないし、離れない、ボクとキミの関係性は、ボクの人生には無い何かになったから」

 これが誰かの親友であり、殺し屋の古宇森圭の最後の消息であり。

 最後の物語である。


                                 完

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古宇森圭の詭弁遣い 亜未田久志 @abky-6102

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