千年ぐちゃぐちゃ
一野 蕾
【人でなし人になる】
「どんなに沢山の彼女がいたって良いの。でも私といる時だけは、私のものになってほしいの」
とんでもない女に捕まったもんだと思った。
オレは
妖怪とか神とか悪魔とか、そのたんび呼ばれ方は変わったが、オレが実際何者なのかなんてどうだっていい。ただ長い時を流れるままに生きてきた。流行りものは毎分毎秒変わる。それを楽しまずに生きるなんて、そんなナンセンスなことはないだろう!
昔は旅行にハマった。アメリカ、エジプト、フランス、沢山の国に行った。日本にはない文化が根付いた外国は面白い。ただ、やっぱり食べ物は日本が一番だったな。違う国ってだけなのにジェネレーションギャップは凄まじいもんだ。海外はスリが多いから、あった時はそいつを懲らしめたりもした。
その昔芸術にハマった。油絵が特に好きだった。が、あんまりオレは向いてなかったみたいだな。ゴッホやモネみたいな絵はかけなかった。当時のダチは「印象的ではある」と言ってくれたが、たぶんあれは五十枚くらいのオブラートで包んだ言葉だったんだろうな。
大昔は短歌にハマってたな。絵の才能はなかったが、オレは歌は上手かった。オレの五・七・五・七・七にあるゆる女が惚れ込んでアピールしてきたもんだ。
こんなに生きて、色んな趣味を持ったオレでも、一生飽きないものがある。
「オレは女が好きだ」
女っていうのはいつの時代も小さくて柔らかくて、甘い匂いがする。肉体的な弱さに男が守ってあげなきゃいけないと思う。その弱さに包まれるのも好きだ。
「世の中の女全員好きだ。だからとても一人になんて絞れない」
そりゃあ当然、昔は一人の女に
それで女を泣かせて酷い目にあって以来、オレは不誠実なことはしないと心に決めた。沢山の女を
「で? そんな誠実で不誠実で正直者のオレと、付き合いたいって?」
「はい。そうです」
目の前の女はそう、明瞭に返事をした。
空調の効いたカフェの中のこの一角だけ、微妙に冷たい空気が流れている気がする。それもこれも、この女のせいだった。
服は清楚だが、乙女らしさも感じさせる。程よく明るい髪色に、顔の可愛らしさを際立たせるメイクもよく似合っている。全体的に春のような印象を抱かせる女だった。有り体に言えば、どことなく地味でもある。
そんな女が、オレの彼女になりたいと街中で声をかけてきた。他に彼女がいてもいい、なんて殊勝な言葉をつけ添えて。
「それはさ、オレの一番にならなくてもいい。……ってこと?」
「いいえ」
ベージュトーンで彩られたまつ毛が、緊張を隠すように何度がまばたきをした。
「私と一緒にいる間だけ、私だけの彼氏でいてほしいんです。例えば私とのデート中に他の女の人と会っても、なにより私を優先してほしい」
「ふぅん」
静寂が転がった。別のテーブルの談笑の声や、フォークと皿のかちゃかちゃ触れ合う音に囲まれる。黙り込んだオレにやや萎縮して、彼女は目的を探すように、バナナのケーキにフォークを刺した。その所作を見つめる。
オレの彼女になりたいと言う女は少なくない。だけどそれは、大抵一夜の付き合いや、遊び相手を求めてのことだ。〝彼女〟と言うより〝フレンド〟と言った方が正しい。
オレも、レモンティーに口をつけながら考える。冷や汗をかいてちらちらとこっちに視線を送ってくる彼女を見て、心は決まった。
「うん。いいよ」
途端、ぱっと顔を明るくした。
「約束する。一緒にいる時は、君を優先する」
「や、やった……! 絶対ですよ?」
「もちろん」
手を差し出す。きょとんとしてオレを見た。
「オレの彼女になってくれる?」
頬に幸せそうな赤みが差す。オレよりずっと小さな片手に握り返されたとき、やっぱり女は笑ってる方が可愛いと思った。
「そういえば名前は?」
「あ、千紘です」
それからというもの、彼女──
もちろん他の女とも遊んだ。付き合う以上それも避けるべきかとは思ったが、本人もオッケーと言っているし、「まあいいか!」と気兼ねなく遊び呆けた。
そして約束通り、千紘と一緒にいるときには他の女に話しかけられても、適当にあしらった。それで離れてく女もいたが、粘着質に長く付き合っていてもお互い、いい事は無いので問題はない。
千紘は可愛い女だった。
奥ゆかしいんだが、大胆なんだか。自分を優先しろと言うくせに、オレが他の女とのデート中には一切話しかけて来ない。千年以上生きてきたが、千紘は特に不思議な引力を持った女だった。
なんだかんだそのまま関係が続き、十年、二十年と過ぎだ。その間に他の女たちは失われていく若さ故に、なにか愛するものができたが故にオレから離れていった。四季が移ろうように、サイクルが巡るように、また新たに女たちと出会った。そしてまた去っていった。そんな中、千紘とのお付き合いは続いた。
千紘が三十歳になり、
千紘が五十歳になり、
千紘が七十五歳を越えても、
千紘が床に伏せることが多くなっても、まだ。
「私、もう長くない」
ある日、ベッドの上で千紘が言った。二十代の頃のような若々しさはない。顔にも手にもシワが増えたし、歩くのも遅くなった。でも不思議と、その謎の引力は残り続けていた。春のように地味な女は、聡明で優しげな老女になった。
スマホから目を上げて、千紘を見やる。目が合った。
「だろうな」
「残念だわ、あなたと最後に、デートがしたかったんだけど」
「無理するなよ。こうして最後のひと時まで彼氏と一緒にいれて幸せだろ?」
「ええ」
千紘はオレから顔を逸らし、天井を見上げたまま、また口を開いた。
「昔……」
昔の話を始めようとしてるんだと気付いて、珍しい、と思った。
五十年ものあいだ付き合ってきたが、千紘はめったに昔話をしない女だった。いつだって今の自分の話をしたし、今の景色を見てた。
「あなたに初めて告白したとき、私ね、凄く緊張してたの。ドキドキして、震えてた」
「の、わりには大胆な告白だったな。『他に彼女がいてもいい』なんて」
「だって、あなた束縛嫌いでしょ?」
「まあ……」
「あなたに嫌われたりするのだけは嫌だったの。たとえどんなに焼きもち焼くことになっても、変だと思われても、あなたの恋人になりたかった」
ふ、と、千紘は床に座り込んでいるオレを見た。いや、オレが先に千紘を見たんだ。
「どうしたの?」
「……お前、焼きもち焼いてたのか」
「? もちろんよ」
「嫉妬、してたのか。そんな素振りなかったろ」
「気付かれないようにしてたのよ。最初にあんなこと言っちゃったんだもの。面倒くさい女だって思われたらそれきりになる気がして」
「……ふーん」
ある種、聞き分けの良い、かつ豪胆な女だと思っていた。嫉妬すらしない強さがあるんだと。確かに昔のオレなら、面倒くさいと見限ったかもしれないな。
でも、そうか。嫉妬してたのか。
「あなたを初めて街中で見かけて……こんなに素敵な男の人がいるんだって、感動した。どうにかしてあなたのものになりたくなった。私は、あなただけに求められたかった」
「相変わらず熱烈だな」
「自信なかったのよ。でも途中から、私もしかして好かれてるのかも? って思えるようになったから……だから今日まで続けられたのかしらね」
「途中?」
「デートの日、あなたが私の家まで迎えに来てくれるようになった日から」
嬉しそうな千紘の笑顔に、オレは言葉を失った。
昔より小さくなった目がいたずらに微笑んでいる。
「ち、千紘は彼女なんだから、当たり前だろ……」
「
「はあ?」
千紘のにこにこ笑う顔が、なんでか少し怖く感じる。オレの知らないオレを知ってると、オレ自身に突きつけているような。
「他の誰とも違う存在だったでしょ、私は」
「みんな違うだろ」
「いいえ。千年を生きるあなたの長い人生のなかでは、みんなほとんど一緒よ。でも私たち、もう何十年一緒にいるの?」
オレたちの間を、数々の思い出がフラッシュバックしていく。何度千紘の誕生日を祝っただろう。千紘とどこに行った? 映画館、遊園地、ショッピング、水族館、海、ドライブ。道端や店で声をかけた女と、買い物をして飲んだ記憶なんて遥かに凌駕する回数で、オレと千紘は長年を過ごしてきた。
それこそ、千紘がおばあちゃんなんて年になるくらいには。たとえそれがオレにとって、コンビニと家を往復するくらいの時間だとしても。
「ねえ。私が死んだあと、あなたやっていけるの? どうやって時間を潰すの?
「…………っ!」
いつしか手から乱暴に振り払われたスマホが、ベッドの足にぶつかる音がした気がした。そんなのも気にならないくらいオレの心は沸騰していた。ベッド脇に立って千紘を見下ろす。
「オレにそんなことを気付かせて、お前はどうしたいんだ! 悲しんでほしいのか。まだ生きてたいって望んでるのか! 言っとくけどオレには、他人の命をいじくったりする力はないんだからな。オレ一人がただ長生きなだけで、オレは、他の人間を」
「独りになっちゃうわね」
「っだから」
「また会いに行くわ」
なんともなげに言い放たれた言葉を理解するのに、数秒かかった。気付けば
「私、またあなたに会いに行くから。次が女の子かどうかは分からないけど、また仲良くしましょう?」
「転生でもするっていうのか」
「あれ、もしかしてできないのかしら」
「いや。できるはできる……けど何十年、ヘタすりゃ何百年後の話だぞ」
「じゃあ何百年後かに」
「馬鹿か!」
どんな長期契約だ! 何百年後なんて世界はどうなってるかも分からないし、そもそも転生なんて簡単な話じゃない!
「いや本当に馬鹿だお前は! オレに待てって言うのか! その何十年何百年を、お前と会うために!」
「そうよ」
「信じられない女だな、千紘!」
「じゃあ待っててちょうだいね」
「本当に馬鹿だよ! ばーか!」
その数週間後、千紘は息を引き取った。
オレの彼女は死んだ。
「あ〜くそ、暇だよくそ」
そしてオレの心はぐちゃぐちゃに乱された。
情緒も感情も、なにもかも!
膝の上の骨壷を憎々しく思って見下ろす。元々小さい女だったけど、こんなに小さくなっちまって。
指先で触れる。温かい体温はもうない。骨壷を包む箱の刺繍に、指の腹を滑らせた。もう何も見ても触っても、千紘のことが頭をよぎる。
「早く転生して来いよ。馬鹿女」
オレをこんな男にした責任をとれ!
『千年ぐちゃぐちゃ』/終
千年ぐちゃぐちゃ 一野 蕾 @ichino__
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