新人君のデスクトップはいつもぐちゃぐちゃ
八百十三
とてもぐちゃぐちゃ
ある日の午後5時半。今日もうちの会社のフロアは忙しいが、新入社員はまだまだ残業と無縁の日々が続く。
今日も私、
「軽部君、今日の
「あっ、す、すみません高野さん! すぐ出します!」
もしかしてまだやっていないのか、と思いつつ声をかけると、慌てた様子で彼は私に返事を返した。やはり、まだだったか。
すぐに開発ソフトのデータを保存して、デスクトップを表示させる。そこから日報のテンプレートを探し始めるが、すぐに見つかってはいないようだ。
「えーと、日報のテンプレートは……あ、これじゃない、これは一昨日のやつ……どこやったっけ」
困惑している様子が声に出ている。これもまたいつものことだ。毎日毎日、毎時毎時、軽部君はデスクトップに
「はぁ……またやってる」
私は小さくため息を吐きながら、自分のメールを処理していく。部下からの日報、上司からの指示、お客様先からの連絡、そしてたまに届くメルマガの処理。そうして私の仕事を進めていく中、ポコンと通知音が聞こえてくる。軽部君からの日報が添付されたメールだ。
「すみません、今出しました!」
「はい、ありがとう。確認するわね」
メールを開き、添付されていたテキストファイルをローカルに保存し、そして自分のデスクトップ上に開いていたテキストエディタにそれを表示する。それをそのまま、私はオフィスチェアをぐるりと回して軽部君に向き直った。
「日報確認の前に。軽部君、前から言っていたでしょ? 整理整頓しなさいって」
「う……」
私の小言に軽部君が言葉に詰まる。この注意も何度目だ。
さすがに言い慣れたし言われ慣れた小言、軽部君も右から左に受け流すなんてことはしない。自分の机の上に視線を向けつつ、尻すぼみする声で言った。
「で、でも、机の上はあんまりごちゃごちゃしてないと思うんですけど……毎日片付けてるし……」
「そうね。机の上は、だいぶ良くなったと思うわ」
軽部君の反論に、私はこくりと頷いて返した。
たしかに、一時期の軽部君の机の上は酷いものだった。本やら書類やらダイレクトメールやら、ありとあらゆるものが積み上げられて、必要なものを引っ張り出すのに山を崩す姿が何度も見られたものだ。
私が指摘してもなかなか改善が見られなくて、とうとう部長の山下さんにカミナリを落とされてしまい、それでどうにか改善が見られたのが先月のこと。それ以来、別部署の人に見られてもどうにかなるくらいには、机の上の整理整頓は出来るようになってきた。
だが、問題はそこではない。私は軽部君の机の前まで移動してピシャリと言った。
「問題は軽部君のPCの方よ。なに、そのデスクトップ」
「う……」
私に指摘されて、軽部君が口ごもった。
問題は机の上よりもこっちの方だ。24インチのフルHDディスプレイを使っているはずなのに、そのディスプレイの画面いっぱいにファイルのアイコンが表示されている。名前もつけられていない、間に合せで作ったであろうフォルダもいくつか。
机の上はある程度よくなったとしても、こっちの改善は全くだ。
「仕事するのに必要なソフトのショートカット以外に、ファイルやフォルダがあるのはいいの。でも軽部君の場合、そのファイルがあまりにも多すぎるのよ。メールの添付ファイルだとか、毎日の日報ファイルだとか」
容赦なく、しかし口調が厳しくなりすぎないように気をつけながら、私は軽部君に言葉をかけていく。この時代、どこからパワハラとかモラハラとかにつながってしまうか分かったものではない。上の立場の人間として、そこは慎重になるしかないが、とは言え状況が状況だ。
「整理整頓しなさいってのは、目に見える机の話だけじゃないわ。デスクトップ含め、PCの中身もちゃんと整理しないと、すぐにぐちゃぐちゃになっちゃうのよ」
「は、はい……」
努めて優しく言葉をかけると、小さく縮こまりながら軽部君が返事をした。どうやら彼自身、自覚はあるようではある。
過去にも、整理整頓が苦手であることは話に聞いている。苦手なことをどうにか出来るようになれ、というのも酷な話ではあるが、彼自身が困っているなら手を差し伸べるのが上司の務めだ。
軽部君のPCのマウスを手に取り、デスクトップ上でカーソルを動かしながら私は言う。
「実際、軽部君も今、困っていたでしょう? 日報ファイルのテンプレートを探せなくて」
「はい……でも、その、どうやって整理すればいいか分かんなくて」
私の言葉に軽部君も頷くが、しかしいまいちやり方が分かっていないようだ。
なるほど、結局彼は、ぐちゃぐちゃな状況を良しとしているわけではなく、ただやり方が分からないだけであるらしい。それなら、「そうですか?」と返されるより楽だ。
「簡単よ。そういう時こそ
「フォルダを……?」
私がうっすら微笑みながら言うと、軽部君は小さく目を見開いた。いまいちピンときていない様子の彼に、私はマウスカーソルを動かす。クリックして強調するのは、デスクトップ上に存在する「新しいフォルダー」とデフォルト名のままつけられたフォルダのアイコンだ。
「軽部君、デスクトップに『新しいフォルダー』って名前がついたままのフォルダがたくさんあるでしょ。なんでそれを作ったのか、もう一度考えてみて?」
「えー、と……こう、デスクトップにばっかりファイルを置いてたら、溢れてきたのと……同じ種類のファイルはまとめたほうがいいかなってのと……」
私の問いかけに考え込みながら口を開く軽部君だ。フォルダの中身を開けてみると、なるほど、お客様から送られてきたPDFファイルだったりとか、社内の回覧メールで回ってきたPDFファイルだとかが収まっている。どうやらこのフォルダはメールの添付ファイルを格納するために作ったらしい。
これならまだやりようはある。フォルダをリネームするために操作をしながら、私は微笑みながら頷いた。
「そう、それ。
そう言いつつ、私はフォルダの名前を「添付書類」とつけていく。これでこのフォルダは「メールの添付ファイルを格納するためのフォルダ」だ。こうして役割付けをはっきりすれば、何が入っているかは一目瞭然だ。
「例えば……『日報』、『管理部提出用』、『添付書類』、この三つを作ればだいぶすっきりするかしらね。『日報』と『管理部提出用』は月ごとや年度ごとに子供ファイルを作って、『添付書類』はメール送信元の会社さんや部署ごとに子供ファイルを作れば分かりやすいかも」
「な、なるほど……!」
私の説明に、ようやく得心がいったらしい軽部君が笑みを見せた。これならきっと、軽部君でも出来るだろう。既にフォルダを作ってそこに分類ごとに入れる、ということの意識付けは出来ているのだ。
「ありがとうございます、早速やってみます!」
「いいわね。でも定時にはちゃんと帰るのよ」
私にお礼を言いつつ、軽部君はデスクの引き出しを開いた。中から付箋を取り出して、そこに私から言われたことの概要をメモしていく。
こうしてメモをすぐに取って、それを付箋の形で見えるところに貼っておく、ということが出来るのは彼のいいところだ。
だが、それはそれとして。
「あー、でも……」
私はくすりと微笑みながら軽部君のPCモニターに指を向けた。そこには、ベタベタと乱雑に貼られた付箋がたくさん。
「軽部君、そうやってメモした付箋も適当にどっかに貼っておくんじゃだめよ。ちゃんとやり終わったものは剥がすこと。いいわね?」
「うぐ……」
私にピシャリと言われて、またも言葉に詰まる軽部君だ。だが、これはそんなに複雑なことではない。彼もすぐに身に着けられるだろう。
ともあれ、今週末くらいにはもう一度チェックして、軽部君のデスクトップがぐちゃぐちゃでなくなっているかを確認しなくては。そう考えて、私は日報に目を通し始めた。
新人君のデスクトップはいつもぐちゃぐちゃ 八百十三 @HarutoK
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