出会いと魔術

「ふう......」

 ガチャリ、と音を立てて手錠が外れた。一体どれくらいかかったんだ。鍵の入った小袋が茶色だったというのあり、兎に角かなり見づらかった。上司からしてみればさぞかし気分が晴れたことだろう。頭の真上にあった太陽も傾き始めていたあ。

 取り敢えず、一晩泊まれる場所、出来れば家の形をしたものを探してみよう。そう決めた俺は、馬車から降ろされた場所の切り株まで戻った。

 

 切り株の陰に置かれた俺の鞄には、兵士が言った通り王城の俺の部屋にあったもの ― 薬と、調合の道具、白衣、包帯、数冊の本 ― と少量のパンが紙に包まれていた。そこまで大きくない鞄だから、これが限界だったのだろう。眼鏡の代えが無いのは残念だが、生活できないことはない。水は川を探すとして、食料も今日一日は大丈夫だろう。陽が落ちる前に寝床を探すとしよう。


 森の中を歩きながら、俺は今までの事を思い返してみた。

 王城に初めて足を踏み入れたのは、両親に連れられていったパーティーの時だったか。まさか自分が働くことになるとは思ってもみなかった。

 両親が魔術を操る家系に生まれたため、オレも小さい頃から多少は使えた。てっきり医者を営んでいた両親の後を継ぐのだと思っていたが、偶然声をかけられて、王に使える医者の選抜試験を受け、あっさり合格してしまった。確か、20になって間もないころだった。

 


「グルルルル.... 」


 木の陰から一匹の獣が現れた。俺は敵とみなされたらしく、牙をむいて威嚇している。普通なら逃げるか、死ぬかだが、俺は右腕を少し前に伸ばした。


「『茨の棘』」

 

手の前に小さな魔方陣が現れ、光を発する。


「グ、グウ......」

 

獣の動きが次第に止まり、最後には地面に座り込んだ。


「悪いな。死にはしないから、少しおとなしくしていてくれ」

 

 分かるはずもないが一応命の保障だけ伝え、隣を通り過ぎた。こういう時に魔術は便利だ。剣や拳だとどうしても傷が残ってしまう。治療道具も満足にない今、いい手段だとは言えない。

 今使ったのは相手に麻痺効果を与える簡単な魔術。もちろん短時間だが、今この時だけ振り切れれば良いので問題ない。

 驚く人もいるだろうが、呪文は意外と短いものが多い。確かに中には本が一冊書ける程度の長ったらしい呪文もあるが、あくまでそれは儀式的なものだ。

 第一、魔術は短時間で発動できるのがウリなのだから、長ったらしい呪文を唱えてたら天国でした、では済まされない。したがって、より短いものが実用的だ。

 呪文の長さは生まれた家計が使う術にも左右されるが、俺の家系は特に実用性を重視した魔術が多かった。よほど何かあったのかと思うほど短い。大体2文節で終わる。恐らく、それは俺の家代々が診療所を営んでいることが大きいと思う。


 「『茨の棘。』」

 

 今はこうして出会う獣を静かにさせているが、これは本来痛みの緩和のために使かっていたもので、まさに医者向けの術だ。俺は、というより俺の家系は回復や状態異常系の術に優れている。さらに、これらの魔術は元来呪文が短い傾向にある。

 

 「『茨の棘』」

 

 理由は明確だ。人の命を扱うのだから一刻一秒を争う。そんな時に本一冊分の呪文なんて唱えていららないだろう。中には大規模な範囲回復の術もある。発動が遅れたら大惨事間違いなしだ。


 「『茨の棘』」

 

 その反面、攻撃系の術はあまり種類がない。防御系は攻撃系よりはあるが最低限、と言ったところだろう。今のところ困ったことはないが、この森の中となれば辛いものがある。無理を言ってでも頼み込んで教えてもらうべきだった。


 「『茨の棘』」

 

 今でこそ効いているが、より強い動物に出会ったら通用するかどうかは分からない。


「頼みの綱は毒魔術、か」

 

 ちなみに、あの手錠には魔術の発動を無効化する効果がある。暗殺者や魔術者を捕らえたときに掛けるものだ。おそらく俺の術を警戒しての事だろうが、俺の本領は回復と状態異常だから、かけるだけ無駄だったのではないだろうか。貴重な物だろうに、もったいない。


 


 「『漂う光』。」

 

 ずいぶんと奥まで来てしまったな。もう「茨の棘」は通用しなくなり、少し前からさらに強いものに切り替えた。日もそろそろ落ちるというのに、一向に寝床は見つからない。......どうやら野宿のようだな。ちょうどここは開けているし、獣が来てもすぐに気付けるだろう。俺は周囲を見回して、獣がいないことを確認する。



「......ん?」

 

 遠くに何かが見えた。はっきりとは判別できないが、人の形をしている。もしかして、遭難者か、それとも、俺と同じ追放された罪人か。近くに行ってみる価値はありそうだ。

 周囲を警戒しつつ近付き、少し後ろの木の陰から覗くと、それは明らかに人の形をしていた。これは好都合だ。少なくとも俺よりは先にここにいる、という事は、何かここに関する情報を持っているかもしれない。話しかけようと、木の陰から歩き出した。


 

 が、何か様子がおかしかった。歩いている、というよりは彷徨っている、と言った方が正解なのかもしれない。後ろからしっかりと確認してみると、体のあちこちに折れた矢や小刀が刺さり、服は血で染まっていた。目視できるほど肩を大きく揺らしながら呼吸をしている。


 「......尻尾?」

 

 極めつけは、地面に引きずっている黒い尻尾だった。人の形をしていながら尻尾があるということは、獣人の類だろうか。物珍しいから襲われたのか?というか、そもそもこんな辺境に人が来るのか?


 「.....」

 

 苦しそうにしていた獣人(仮)が、ふいに止まった。俺は何か攻撃されるのかと防御術の詠唱の準備をした。

 次の瞬間、目の前で獣人(仮)がうつ伏せに倒れ込んだ。慌てて近付くと、既に目は閉じられ、ハアハアと呼吸をするのが精一杯のようだ。


「おい、大丈夫か?」

 

 抱き起して声をかけるものの返事が返ってくる気配はない。かなりひどい傷のようだ。道具は少ないが、治療するしかない。


 「『万物浄化』」

 

 俺と獣人(仮)の周りが透明な球で囲まれた。消毒が行いたいが手元に無い、そもそも医療施設が近くにない時などの簡易的な救護室のようなものだ。この中のものは外部からの状態異常効果などの影響を受けない。つまり、現状から悪化しない。

 鞄の中から白衣を取り出し、地面に広げた。獣人(仮)をそっと寝かせ、まずは一番ひどそうな腹部の傷から確認する。


 「これは......」

 

 刺し傷、というより毒だ。出血はおまけぐらいだろう。念のため他の傷も確認するが、全てが毒に侵されていた。という事は、物珍しさからではない明確な殺意があったという事になるが。それは本人に聞いてみよう。


 毒であればこちらの得意分野だ。診療所や王宮でたくさんの毒草を見てきた。判別などはたやすいことだ。この獣人(仮)の症状から見て軽い物だろう。毒を抜いたら傷口を塞げば十分だ。

 俺は鞄の中から手持ちの薬を取り出した。これは両親からもらった代々伝わる解毒剤だ。どういった仕組みかは知らないが、これを飲ませれば大体症状が治まる謎しかない薬だ。作り方は聞いているが、材料を聞いてもとんと見当がつかないが、俺の代で解明してみようと思っている。これを飲ませた後に回復魔術でもかけておけば問題はないだろう。


 俺は、早速飲ませようとして、ふと動きを止めた。


 いや待て。これって、人間以外に効くのか?今までも人間以外には使ったことが無い。もしこの獣人(以下略)に飲ませて、事態が悪化したらどうする?

 ......ここは、安全に魔術で対応したほうがよさそうだ。できないわけではないし。魔術は減る物じゃないと、俺の両親が言っていたしな。


 「『聖なる光』、『ヒール』」

 

 解毒用の呪文と、傷の回復用の呪文をかけた。獣人の全身が光で包まれ、光が消えるころには傷はすっかり癒え、鏃や小刀が音を立てて地面に落ちた。

念のために脈などを確認するが、異常は見られない。それなら成功だ。後は目覚めるのを待つだけだ。

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