記録3


 蓮がヴィルドレアとなってから一週間が経った頃、蓮はもう自分が幼女であることに違和感を覚えなくなってきていた。

 どうやら、人間の適応力というのはとても高いものらしい。郷に入っては郷に従えというが、案外これは教訓ではなく習性の話なのかもしれない。






「ヴィルドレア様、また魔法の練習をなさっているのですか?」

「…………うん」


 自室に籠ってひたすら魔法の練習をするヴィルドレアを、オルヘマは心配そうに見つめていた。


 ここ数日でのヴィルドレアの変容は、それは凄まじいものだった。

 突然屋敷内をうろつきだしたと思ったら、今度は自室に引きこもり、今ではほとんど鬱状態だ。

 一週間ほど前から、人が変わったように大人しくなったのも心配である。

 使用人たちからは呪いの魔法でも受けたのではと遠巻きにされるし、ご両親に関しても、心配しながらもあまり声を掛けられずにいるという状況だった。


 放心状態のヴィルドレアを背に、オルヘマは部屋を出る。

 先程は魔法の練習と言ったが、あれはただの現実逃避だろう。身も心も全く入っていない。


(いったい何があったのでしょうか…………しかし、こちらとしては少々好都合でしょうか)


 オルヘマは、ユリティスの手がかかった内通者だ。

 目的は、ヴィルドレアの監視。親の思想に染まって戦争に反対するようなら、即刻排除せよとユリティスから命を受けている。蓮の予想は、見事に的中しているというわけだ。


 しかし、オルヘマも人の子だ。長年世話をしてきたヴィルドレアのことは可愛く思っているし、できることなら殺したくもない。その反面、ユリティスから命じられれば躊躇なく殺してしまうだろうというどこか達観した気持ちも併せ持っていた。


 そんな中で、親との接点が減っているのはオルヘマ────いや、ユリティスにとって好都合なことだった。

 現状、身の回りの世話を仰せつかっているオルヘマが一番ヴィルドレアに近しい存在だろう。どういうわけか、ヴィルドレアが時折自分のことを気にしているということもオルヘマはしっかりとわかっていた。ヴィルドレアをこちら側に引き込めれば、殺さずに済むかもしれない。


(さて、ユリティス様はどう判断を下すのでしょうか)


 それがどんなものであれ、オルヘマは彼女の判断に従うだけだ。

 殺したくないから殺せないなどと、腑抜けたことを言うつもりは一切ない。

 オルヘマ・レーヴリカは、ユリティスの悲願を叶えるための駒でしかないのだから。







(…………終わりかな)


 自室でひたすら魔法の練習を行っていたヴィルドレアは、自分の魔力が底を尽きたことで一時休憩に入らざるを得なくなった。


 ゲームの時ならば今自分はどのようなステータスだろうか。今度はそんなことを考えて、現実から目を背ける。

 実際の戦闘は行っていないので、レベルは1だ。いくら訓練をしても、実戦を積まなければレベルが上がることはない。

 では訓練に何の意味があるのかというと、訓練を行うとレベルとはまた異なる技能スキルというステータスが上がるのだ。もちろん、ゲームの仕様が変わっていなければ、だが。


 技能スキルを上げれば、スキルが手に入る。

 魔法スキルならば、使用可能な魔法が増えるということだ。これはキャラクター毎に使用可能な魔法が決まっていたので、ゲーム内に登場しないヴィルドレアがどんな魔法を覚えるかは試してみないとわからない。といってもそれは、むしろヴィルドレアの気分を高揚させる要因となっていたが。


 しかし、ゲームのように習得した魔法を知らせてくれるようなシステムは存在しない。

 なので、自分がどんな魔法を使えるか確かめるには、ひたすら試し撃ちしてみて発動するかどうか確認するという方法しかないようだ。面倒な上に自室で攻撃的な魔法を撃つわけにもいかないので、ヴィルドレアは現状自分が使える魔法をほとんど把握できていなかった。


(訓練室でも借りれればいいけど…………両親とは気まずいしなあ)


 もちろんオルヘマとの話もあるのだが。もうヴィルドレアはそのことについて考える気がなかった。

 もし殺されるなら、死を受け入れようとすら思い始めていたのだ。そもそも、平和な世界でぬくぬく育ってきた記憶を持つヴィルドレアにとっては、戦争も死もどちらも受け入れがたい話なのだ。戦争に呼び出されるくらいなら死んだ方がマシではないかと思うほどに、もう考えることに疲れてしまっていた。


 ヴィルドレアにとっては、そんなことよりも両親との話の方が大切だ。

 幸か不幸か、ヴィルドレアの両親はとても優しい人だった。ヴィルドレアのことをしっかりと見ていてくれるし、温もりも与えてくれる。ただ、それ故にヴィルドレアの変化に敏感過ぎたのだ。

 両親は蓮と入れ替わった初日からヴィルドレアの変化に気づき、心配の声を掛けてくれた。

 こちらとしてはあまり関わりたくなかったためそれをやんわりと拒絶すると、その時点で何かおかしいと気づかれてしまったのだ。どうやら、ヴィルドレアはだいぶ甘えん坊な性格だったらしい。


 しかし、両親の優しさは底を知らなかった。

 二人は、何かおかしい、娘が変わってしまった、とは思いながらも、それを受け入れてこちらとの接し方を図ってくれている。今は放っておいて欲しいというこちらの思惑を感じ取って、そっとしておいてくれているのだ。

 ヴィルドレアが軽く鬱状態に陥るだけで済んでいるのは、両親の優しさのおかげだった。死を受け入れても構わないと思いながらも、自棄になって狂わずにいられるのは、そんなことをしてはこの両親に顔向けできないという気持ちがストッパーになっているからだ。


 矛盾しているようにも思えるが、間違いなく今のヴィルドレアの心境はそんなものだった。


 ヴィルドレアとして、今後どのように振舞うべきなのか。

 そんなことを考えながら、ヴィルドレアは日々魔法の練習を行うのだった。

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