夢の中へ
ハンモックの上で意識を手放したオレは、ふと、頬を撫でる風に気づいた。
(――妙だな。)
納屋の扉は確かに閉じたはずだ。いったいどこから風が入って来る?
オレはハンモックのふちを掴もうとして、胸の上に置いていた腕を伸ばす。
すると、柔らかい何かに指が触れた。
草だ。
驚いたオレは膝に力を入れ、とっさに立ち上がった。
「コイツは一体……?」
オレの目の前には、草原が広がっている。
穏やかな起伏を折り重ねた丘陵が、水平線の向こうまで続いている。
オレは視線を落とし、手元を見た。
先程オレの手が触れた草、それを抱いている土は、黒く、湿っている。
このあたりにこんな豊かな土地はない。
子供の時分からそうだった。どこも砂っぽく、土は黄色くなって、枯れ果てたような光景、浅黄色をした痩せた土地ばかりだった。
とくに目的があるわけでもないが、草を踏みしめ、前へ進む。
ここで俺はようやく、自分の足が自由に動かせるのに気付いて、ハッとなった。
「あー、夢……なんだよな?」
「そうですよ」
オレがふと口にした疑問、それを継いだ声に振り返る。
そこに居たのは、白い服を――いや、ただの布を体に巻き付け、肩で留めただけの格好をした少女だ。
太陽の日差しを受け、薄く黄金色に染まっている腰までの銀髪に、丸い頬。
美人というよりは、可愛らしい子と言った方がいいな。
まるで見知らぬ風体の少女だが、何故か俺は彼女を見知っている。
心の奥底から、少女の名前が湧き出て俺の喉を通っていった。
「――ガラテアか。なんとまぁ、可愛らしくなったもんだ」
「お気に召しましたか」
「なんだ、ご機嫌取りのためにその格好になったのか……何も出んぞ」
「レヴィンは浮浪者ですから、もとよりお小遣いは期待してません」
「泣いていい?」
このやり取りで確信した。
妖精のような見た目からくり出される、馴染みある鉄拳のような毒舌。
困難尾で革新するのはどうかと思うが、ガラテアのものに間違いない。
「そういえば、お前の食事は夢の中うんぬんといっていたな。これがそうか」
「はい……この夢の中での貴方の感情、それが私の活力――『光』になります」
「相変わらず、わかるような、わからんような説明だな」
「実は、私もです」
「ゴーレムのお前がそれなら……なおさら分からんな」
ガラテアの言うことはいまいちピンとこない。
あまりにもふんわりしている。ふーむ。
「ですが……貴方、レヴィンと話していると、何か温かい感じがします。
――なので、これで良さそうです」
「そうか」
オレは彼女と見つめ合うが、すぐに視線をそらされてしまった。
うん?
「あの鉄人形、ゴーレムの中身がこんな小さい女の子とはね」
「獣の姿にもなれますよ。頭からかじりつきましょうか」
ぽんっと煙を出し、彼女の頭だけが、狼のものに変わった。
やる気なくガオーと声を上げ、両手を熊手のようにしたガラテア。
オレがその額にチョップすると、狼の顔はパカッと割れる。
そして、中から酸っぱい果実でも口にしたような、彼女の顔が現れた。
変身でもしたのかと思ったら、被り物だったらしい。
「ご対面出来たのは良いが、どうするかね」
「なんでも望むように」
「ん――そうか、夢の中なんだったな」
彼女がさっきやったようなことが、オレにもできるとなると……。
ふむ、こういうのはどうかな?
俺は「あるもの」を想像する。
しかし、何も起きない。
「考えるだけじゃダメか……?」
「ほら、私がやったみたいに、きっかけを作ってみてください」
「きっかけ? ああ、あの煙みたいなのか。やってみるか」
オレは顔の前で、両の手の平を勢いよく叩きつける。パンッと音がして、次の瞬間、地面から樹が生えだす。そして、オレが見上げるほどに大きくなった樹の枝には、果実の代わりに、銀色をした金属製の箱がぶら下がっている。
「……レヴィン、これは失敗ですか?」
「いや、大成功だ。待ってろ、今取ってくる」
俺は樹の幹に抱きつくと、すいすいと枝まで登っていく。
流石は夢だな。思ったように手足が動く。
「危ないから離れておけ、下にいないほうがいい」
「はい」
ガラテアに声をかけた後、オレは枝の先でピカピカと光る金属製の箱に手をかけて、勢いよく水平に箱を回した。すると、フタを支えている枝がねじれてちぎれ、箱は真っ逆さまに下に落ちていき、どすんと地面にめり込んだ。
「おぉ~」
歓声を上げ、パチパチと拍手するガラテア。
それに嬉しくなったオレは、さらにもう一つの箱を回して落とす。
「こんなものだろう」
地面に降り立った俺は、銀色の箱の蓋を開け、中身を確かめる。
どうやら無事なようだな
「なるほど、お弁当箱ですか」
「ああ」
ガラテアが言ったように、これは弁当箱の生る樹だ。
昔々、何かの物語で聞いたのをそのまま思い浮かべてみたのだ。
「白パンにバター、それとチーズに……これはサラミですね!」
「おう、腹ごなしにはちょうど良いだろ」
「不思議ですね、樹になっているのに、お野菜がありませんね」
「いわれてみれば、たしかに……底をもう一度見てみな」
そう言って俺はパチンと指を鳴らす。
ガラテアは首を傾げ、細い手を箱の中に突っ込んだ。
そして、次の瞬間にその顔を明るくする。
「――これは、リンゴですね! でもこれ、今出しましたよね」
「バレたか」
「でも、お気遣いどうもです」
ゴーレムに食事が必要なのかは分からない。
だが、今のガラテアには必要そうに見える。
俺は彼女と一緒になって箱の中からナプキンを取り出し、それを太ももの上に広げて、パンにチーズや肉を挟んで頂いた。
「夢とは言え、こんな上等なのは久しぶりに食ったな」
「ごちそうさまです!」
腹の中を食い物で温めたオレは、そのまま野原に寝っ転がった。
現実のオレの肉体も寝ているというのに、二重に寝るというのは変な感じだが。
「お休みですか?」
「そりゃそうだろ、こっちで遊び回ってそのまま目を覚ましてみろ。
――まるで休んだ気がしない」
「すみません」
「まだお前さんの『光』とやらは足らない感じなのか?」
「いえ、そうではないのですけど……」
彼女の何かばつの悪そうな感じに、オレは考え込んだが、すぐに腑に落ちた。
そうか、「アレ」に比べると足らないのか。
ガラテアと初めて出会った時、俺は夢見草を噛んで、夢現のまま、あの時感じた絶望、激情を彼女にぶつけた。それに比べると……ということか。
「毎回アレをする身にもなってくれ。気恥ずかしくて死んじまう」
「――はい」
彼女は青々とした草の上に寝そべったオレのそばに腰を下ろす。
それを横目で認めたが、彼女もオレも、何をするわけでもない。
青く高い空を流れる雲をぼうっと見つめていたが、いつしか目を閉じていた。
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