第1話 記憶
壊れた
しかし、不可思議なことに、そんなものは見当たらない。突き刺さった穴は、かなり小さい規模のもので、衝撃波もない。
「……」
どうしよう。
穴を覗くのが、怖い。
仰向けに寝転んでいた少女が頭から飛んでいる光景。当然、あの速度で突っ込めば、木っ端微塵。いかに空いた穴が小さいものでも即死。ガキでもわかることだ。
「……」
少女が跡形もないのは怖い。
でも、生きていても、なお怖い。
それでも、事実を確認せずにはいられない源一郎は、おそるおそる覗き込む。
その時。
「あー、死ぬかと思った」
「わああああああああああああ!?」
ひょこっと姿を現した少女に、腰を抜かしそうなほど驚く。それは、間違いなく、さっき飛んでいて、さっき突き刺さった少女だった。
「い、生きてる……」
「あ、こ、こんにちは」
「……」
呑気に深々とあいさつをする少女の姿を、源一郎はマジマジと見つめた。流れるような藍色の髪。琥珀色に輝く瞳。白くきめ細やかな肌。スッと通った鼻筋。薄い唇。整った輪郭。小さな顔。歳は源一郎と同じ16歳頃だろうか。
とにかく、和人でないことは、銘々白々だ(しかも超美少女)。
異人……いや、それよりも異星人の可能性が高いのだが、あいにく、そこまで脳が追いついていない。
「と、とにかく。その藍色の髪と瞳。なんとかしなきゃな」
絶賛鎖国中である和の国では、異人は長崎の出島にしかいない。それこそ、こんな江戸の外れには、いるはずもないのである。
と言うより、発見されれば即磔の刑。即死系ならぬ、即死刑。
源一郎は、お手製の望遠鏡を担ぎ、和服の羽織で少女の藍色髪を隠すようにかぶせた。そして、手を握って急ぎ足で歩き出す。
今は、夜中と朝の中間だ。お天道様が顔を出さないうちに、ジャンク屋に隠れないと、大騒動に発展する恐れがある。
そして、歩き続けること30分。
「パイパイパパーイ! パイパパーイ! ファンキーな、乳搾り! パイパイパパーイ! パイパパーイ!」
「くっ……」
なんて下品な町なんだ。源一郎は顔を真っ赤にしながら、盛り上がり最高潮の声が漏れる、母乳専門店の前を、逃げるように通り過ぎようとする。
その時。
「あっ、源ちゃーん! 吸うてく?」
「吸わん!」
メグ姉の勧誘を超雑に振り払って、やっとジャンク屋『
「……よし」
あたりを見渡し、誰もいないことを確認した後、源一郎は少女を店内へと連れ込んだ。すぐさま、外が見えないよう錆び付いたシャッターを思いきり閉めた。
そうした後に、やっとこさフーッと大きくため息をつく。
「ふぁー、アニキ。どうした、騒々し……」
「……っ」
そんな中、太った巨漢が奥から出て来た。
もう一人の幼馴染、野呂陽太。ジャンク屋『我楽多』の共同経営者である。昨日は出張運搬をしていたのだが、どうやら帰ってきたようだ。
野呂は寝ぼけながら、ケツをかきながら、こっちを見て固まった。少女の髪色を確認して、叫び出す前の5秒前。
「んー! んーっ! ん゛ん゛――――――!?」
「落ち着け。落ち着け落ち着け」
間一髪、源一郎の手が野呂の口を塞ぐ。そして、慌てふためく年上の弟分を見ながら、やっぱり自分がしっかりしなくちゃと再認識する。
「あ、アニ、あに、アニアニ……い、イジ、いじ、イジイジ……」
「わかってる。うん、異人なんだ。突然、異人。でも、異星人じゃないんだから。よーく、考えてみな? そんなに驚くことか? 同じ地球にいるんだから、別に慌てることじゃねぇよ」
「……うん、まあ。そうか、なるほど。確かに。さすがはアニキ。じゃあ、もう一眠りするから」
「……っ」
そんな馬鹿な、もとい、そんなバナナ。頭をバリバリとかきながら、平然と戻っていく野呂を眺めながら、源一郎は殊更に動揺する。
異人だぞ、異人なんだぞ。江戸の侍のお偉いさんだって、生涯会えるかどうかもわからない。そんな衝撃的な光景を目の当たりにして、なんだってそんなに落ち着いてられるのか。
ついでに言えば、異星人の可能性も十分にあるし。
「……」
源一郎はあらためて少女を観察する。
「……あの」
やっぱり、どう見たって、異人だ。異人の女の子だ。琥珀色の瞳でジーッとこちらを観察している。見つめられている。可愛い。いや、そうじゃなくて。
落ち着け、落ち着け、平賀源一郎。女の子の前でアタフタしてるなんて、じっちゃんが見たらなんというだろうか。
顔立ちは、ほぼ自分たちと同じ。鼻筋が通っていて、瞳が大きい。肌が白くて、なによりも琥珀の瞳の色が特徴的だ。
初めての異人を見て、高揚しているのだろうか。なんだか、胸が鼓動がバクバクして止まらない。
「とにかく、髪! 髪をなんとかしなくちゃだよな。あっ、いや、和の国の言葉は通じないんだっけ。ええっと……でも、『あの』とか言ってなかった? いや、さっき、バリバリ喋ってなかった? 喋ってたよね? 和の国の言葉、わかるの? いや、わかんないんだっけか。あー、俺はなにを言ってるんだ」
「言葉、わかります」
異人の少女は、透き通った声で答えた。瞳をパチクリさせて驚いている様子だが、その声には怯えがない。
内心、源一郎自身が相当動揺しているし、疑問は尽きることがない。なんで、和の国の言葉が話せるのか。どこから来て、なんで江戸にいるのか。
しかし、今はそんなことより、やることがある。
「とにかく、瞳の色と髪をなんとかしなくちゃな。ちょっと、来て」
「えっ……」
源一郎は少女の手を引っ張って奥へと連れ込む。そこは3畳ほどの小さな部屋で、地面には部品や工具が乱雑に置いてあった。源一郎は、
「ええっと……確か、じいちゃんのカツラがここに……あったあった。まさか、老ぼれらしからぬ洒落っ気が役に立つとは。あとは、目の色だけど」
カラーコンタクト。闇市に行けば、侍どもの払い下げ品があるかもしれない。和の国の人の中にも、ごく稀に目の色が黒でない人が生まれることがある。下町ではそんなことはお構いなしな人が多いが、侍は結構気にするらしい。需要は少ないが、あるにはあるだろう。
その時、お腹がぐぅーと鳴った。「あっ……」と恥ずかしそうに少女がうつむく。
「……ははっ」
途端に、源一郎の緊張がほどけてきた。そりゃそうだ。同じ人間。異人だろうが、単なる同じ人間なんだ。
異星人の可能性もあるが。
「異人もやっぱりお腹が減るんだな。よし、なんか作ってやっから」
安心した源一郎はカラカラと笑いながら台所に向かう。確か、2日前、闇市で仕入れた牛肉と卵があった。買ってきた時に感動して涙ぐんでいた野呂には悪いが、緊急事態だ。源一郎は切った野菜と特製出汁を鍋に入れ、コンロで煮込む。
「異人は普段、どんなもん食べるんだ?」
「……わからないの」
「わからない? だって、普段食べてるもんなのに」
「……」
「ああ、別に喋りたくないなら、喋らなくていい。でもさ、君の事、いろいろと教えてくれよ」
緊張が解けてきたら、俄然興味が沸いてきた。
「……ごめんなさい、わからないの」
「……」
なんか、変だ。表情を見てると、隠しているというよりも、答えられないと言った感じだ。
「そう言えば、名前を聞いてなかったな。君の名前は?」
「……ごめんなさい。覚えてない」
「覚えてない……って君、まさか」
少女は申し訳なさそうに「記憶喪失なの」とつぶやいた。
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