第21話「二つの顔」

 小道の入り口を塞ぐ柵は、木製の格子だった。

 しゃがみこんだ状態だと、僕らより柵の方が高い。縦に並んだ格子の隙間──ちょうど五センチくらい──から目を凝らした。


 左手に背の高い木立、右手に拝殿の側面となる壁が続いている。

 暗がりが深くなる道の奥で、視線が突き当たった。拝殿と同じくらい高い壁があるのだ。そこに二つの人影が佇んでいるのが分かった。

 ここからだと顔が見えないけれど、どちらも上が白、下が暗い色の、着物のような服を身につけているようだ。きっと神社のえらい人なんだろう、と僕は思った。


「じゃあ、一体いつになるんだい」

 しわがれた女の声がぴりぴりした調子で言う。

 気のせいだろうか。その声は昔から知っている気がした。


「いやぁ、急がせているんだが……」

 かすれた男の声が息を吐くように答える。

「それじゃ、遅いんだよ。このあたりで水が止まりはじめてるんだ。安置しなくちゃならないんだ──御神体を。一刻も早く!」

 女の荒げた声が、静けさの満ちた境内に小さくこだました。


 暗闇に少し目が慣れてきた。

 女は後ろで結いた白髪はくはつに丸眼鏡を乗せているようだった。男の方は短く刈った白髪だ。


「何話してるのかしら」

「ケンカかな?」

 アオイと僕が前のめりになり、テッちゃんが柵に貼り付くような格好になった。

「おい、ばか、押すなって」

 テッちゃんが小声で文句を言う。


「あれ? あの人……」

 アオイがぐいっと前に乗り出したのに押され、僕がテッちゃんを押す形になった。

 ふいに何かが開くような、カチャンという音がしたかと思うと──体が小道の闇へ放り出された。

 一瞬の無重力を味わったあと、全身に鈍い衝撃が走った。「いでっ」

 同時にやわらかい重みを背中に感じて、「ご、ごめん」と耳元でアオイの声がした。

「うげぇ」僕の下で押しつぶされたテッちゃんが苦しそうにうめく。

 柵は開閉式になっていたのだ。


「誰だ!?」

 男の声が叫ぶなり、目も眩む光がこちらへ飛び込んできた。


「や、やばい! 逃げろ!」

 テッちゃんが叫ぶ。

 アオイが「行こう! 純平!」と言って、僕の手を握りしめた。

 立ち上がり、身をひるがえした──その時だった。


「おや。お前たちかい」

 しわがれた女の声が暗闇から聞こえてきた。

 ──僕らを知ってる!?


 柵の向こうで、小柄な影がこちらを見ていた。

 砂利を踏む音がゆっくりと近づき、やがて拝殿の明かりでその姿があらわになる。

 垂れた目に、魔女のようなワシ鼻。頭の上に乗せた丸眼鏡。それらは僕が幼い頃から変わらない、その人の特徴だった。


「先生……」

 僕は思わず口を開けた。

 アオイが握っていた手を離す。

 横でテッちゃんも「なんで……」とつぶやいた。


 上が白、下が紫色の衣装──ハカマっていうのかな──を着ているけれど、その人は間違いなくハイランドクリニックのお医者さんだった。僕とテッちゃんのかかりつけの先生だ。


「お前たち、ここで何をしてるんだい」

 探るように僕らを見た先生は、アオイに気づくと垂れた目を細めた。「お前さんは、あの時の……」

「──ごめんなさい!」

 アオイが勢いよく頭を下げたので、ポニーテールが前に垂れた。「勝手にいなくなって」


 そう、あの日。宇宙船の中で、ぐったりしていたアオイを見つけた僕らは、先生の元へ連れていった。けれど翌日彼女は姿を消し、フロッディを探すために僕を訪ねてきたのだ。


 先生は少し間を開けたあと、目尻を下げた。

「いい。元気でいるようだね」

「はい、すっかり良くなりました。ありがとうございました」

 アオイは、はきはきと返事をする。


「おや。姉様あねさまの知り合いだったのか……」

 持っていた懐中電灯を下へ向けた年配の男の人が、先生の斜め後ろで立ち止まった。

 こざっぱりと刈られた髪は白いけれど、おじいさんというより、おじさんと言った方が合っている感じがする。衣装は先生と違って、下に水色のものを着ていた。


 白髪のおじさんは、ふと何かにはっとした様子で「君の顔……」とつぶやいた。その目線の先にいるのはアオイだった。けれど当のアオイは、きょとんとして見つめ返している。

 すると先生が「他人の空似だろう。うちの病院で見てる子たちだよ」と言った。

 誰かがアオイに似ているらしかった。


 ──このおじさんは誰? 姉様って? 先生がなんでここに?

 頭の中で様々な疑問が渦巻いていた。


 僕らの様子を察したのか、白髪のおじさんが説明してくれた。

「私はこの神社の神主を務めている水守みずもりです。こっちは私の姉。この神社の宮司だよ」

「先生が神主さんのお姉さん!?」

 驚いた。けれど言われてみれば、垂れた目の感じが先生と似ている気がする。


「そ、それより宮司って……本当ですか?」

 テッちゃんは違うところに驚いたらしい。

「なにそれ?」

 僕はテッちゃんに聞いたつもりだったけど、答えたのは神主さんだった。

「この神社で一番えらい人ってことだよ」

「よしな、もう。調子狂うねぇ」と先生は指でこめかみの辺りを掻いて、目をそらす。


「えぇ、だって先生は……」

 僕らにとって、ずっとお医者さんだったのだ。

「自分の手で人の助けになることをやってみたいと思ってね。内科医になったんだ。病院と神社を行き来しているのさ」

 少しバツが悪そうに先生は言う。

 僕とテッちゃんは、顔を見合わせて首を振った。


「それよりも」

 先生は、ぴしゃりと言った。「ここで何してる」

 その目には、初めて見る鋭さがあった。

「ええっと」

 僕は蛇に睨まれたカエルのように固まった。


「自由研究なんです! 純平の!」

 テッちゃんが割り込むように言った。一体どこから、そういうデタラメを思いつくのか。

 彼は「地域の伝承を調べてて。水神様について知りたくって……この神社の神様なんですよね!?」と続けた。

 沈黙が水紋のように境内に広がり、木立をざわめかせた。


「そうか。いいだろう」

 先生は頷くと、静かに語り出した。

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