第20話「願い」
屋台の通りを抜けると、入り口と同じように鳥居があった。
くぐろうとするアオイを「あ、ちょっと待って」と呼び止める。
「ここで清めなきゃ」
僕が指差したのは、参道脇にちょこんと立った建物だ。四本の木柱に支えられた瓦屋根の下に、水で満たされた石造りの桶がある。その上にどっかりと座った銅像は、やっぱりカエルだった。像は口からちょろちょろと水を流して、涼しげな音を立てていた。
「ここにもいたのね」
「神社を建てた人がカエル好きだったのかも」
「ふふ、かもね。で、ここで何をすればいいの?」
「えっと、どうだっけ」
僕が思い出せないでいると、ちょうどお参りから帰ってきたらしいおばあちゃんが手と口の清め方を教えてくれた。
「ここの神社、蛙がたくさんいるでしょう。だから
別れ際、おばあちゃんはそう言って小さく手を振った。
アオイと一緒に手を振り返しながら、カエルは水神様の使いのような存在なのかな、と僕は考えた。
二つ目の鳥居をくぐると、急に辺りが暗くなった。いつの間にか日はとっぷりと暮れて、真っ暗な空に満月が浮かんでいる。
参道脇の砂利道に、ぽつりぽつりと立つ石灯籠が境内をぼんやり照らしていた。
お囃子や人のざわめきが薄膜を張ったみたいに遠ざかった。
「もう屋台はないのね」
アオイが来た道を振り返る。
「うん」
僕も振り返って鳥居の向こうを見た。
まばゆい輝きの中で人々がお祭りを楽しむ光景は、夢の中の出来事を観ているみたいだった。
いや、あちら側からは、僕らの方こそ深い夢の中にいるように見えるのかもしれない。
向き直って、もう一度境内を見回した。
背の高い木立が、この場所を守護するように周りを取り囲んでいる。
参道は、形の違う石を組み合わせて敷かれ、月明かりに濡れていた。そこにいる僕らは、小川の
両端に提灯を吊るした石段が奥へと続き、その上にひときわ目を引く建物があった。薄闇に浮かび上がるその佇まいは、まるで海底にそびえ立つ竜宮城みたいに見える。
──拝殿、っていうんだっけ。
「せっかく来たからお参りする?」
僕がそう声をかけた時には、アオイはもう前を歩き始めていた。
「あ、」
吸い込まれるように彼女は奥へ進んでいく。水面の上をぴちゃん、ぴちゃんと歩く音が聞こえてくるようだった。僕は慌てて、その背中についていく。
アオイは石段の上で立ち止まる。彼女が歩いた場所で、提灯の明かりが輪を重ねて水紋のように広がっていた。
続いて僕も石段を登りきる。
「どうしてここに……」
そうつぶやいた彼女が見つめていたのは、拝殿の軒下から垂れている幕だった。幕はへの字のように真ん中が一番短く、端にいくほど長くなっている。
「どうかしたの?」
「あれよ」
アオイは幕の左右を指差す。
そこには奇妙な紋様があった。車両通行止めの道路標識に似た、斜め線が入った円の中に、さらにいくつも円が重なって渦を巻いている。
「なんだろ。神社の紋様……かな」
「似てるの」
「何と?」
「うちのコーポレートロゴと」
「こーぽれーと?」
「うちは元々有志で集まった研究チームが企業になったの。民間で宇宙船開発やタイムトラベル研究をしてきたのよ」
僕の頭上に浮かんだハテナに気づいたらしいアオイは、人差し指を立てて「つまり会社のロゴよ」と言った。
「ふーん。会社の」
もっと他にデザインなかったのかな、と思いつつ、紋様を眺めていると、なんだか僕も見たことがあるような気がしてきた。
──なんだっけ、これ。昔、ここへ来たときに見たのかな。いや、もっと最近見なかったっけ……。
首をひねる僕の横で、アオイは「偶然かな」と言った。
それから彼女は「ごめん。お参り、しよ」と言って、両手をぱんと合わせた。
「あ、うん」
僕は考えるのをやめて、ズボンのポケットから財布を引っ張り出す。
「こういうとき、いくら入れるのかしら」
「うーんと」
暗がりでよく見えない財布の中を指でまさぐり、穴の空いた一枚を見つけ出した。「五円かな」
「じゃあ私は十円」
「じゃあ?」
「その方が倍叶いそうじゃない」
アオイは浴衣の帯に手を当てて言う。
「欲張りだなぁ」いかにも彼女らしい返事が可笑しかった。「何か感謝も伝えた方がいいんじゃない」
「そうね。この時代に来れたんだもの」
僕らはお賽銭を入れて、鈴をシャンシャン鳴らす。それから賽銭箱の隣に置かれた作法の札にならって、二拝、二拍手した。
──夏休み、毎日楽しいです……。ありがとうございます……。
そのあと何か願おうとしたけれど、ぱっと思い浮かばなかった。
僕は手を合わせたまま、片目でそっと隣を見た。
アオイは、じっと目を閉じて手を合わせている。指先から吊るした透明な袋の中で二匹の金魚が宙を舞うように泳ぎ、月明かりは彼女の輪郭を切り取った。
きっとアオイには心から叶えたいことがあるんだと思った。まぶたの裏側で一体どんな夢を見ているのだろうか。僕は見たこともない惑星の景色を空想する。
そうしてるうちに彼女がぱちっと目を開けて、もう一度頭を下げたので、慌てて僕も真似をした。
「お願いはできた?」
「あ、まぁ」
──夏休みの感謝しかできなかった……。
僕にも、いつか見つかるだろうか。真っ先に思い浮かぶような、強い願いが。
「ねぇ、純平。この奥はどうなってるのかな」
アオイはそう言って、拝殿の隅の暗がりを覗いた。
「そっちは駄目なんじゃ……」
「あれ?」
彼女は何かに気づいたようだった。
僕も後ろから拝殿の脇を覗いてみる。
そこには小道が続いていた。入り口からやや奥まった場所に立てられた柵の前で、誰かが背を向けてしゃがんでいる。見慣れたボサボサの髪は──テッちゃんだ。頭のてっぺんには、なぜかカエル、ではなくフロッディが乗っているようだった。
「何してんの」
僕が声をかけると、テッちゃんは一瞬ビクッとして、「シッ! 隠れろ!」と口元で人差し指を立てた。僕とアオイは首をかしげて顔を見合わせたけれど、とりあえず促されるまま彼の後ろにしゃがむ。
「あなたたち、いつの間に仲良くなったの」
アオイが意外そうに聞くと、フロッディは「スラスターを探しているところに、たまたま会ったのデス」と言った。
「それより」テッちゃんは声をひそめて言う。「あれを見ろ。なんか様子が変なんだ……」
月明かりを反射させた彼のメガネが、柵の向こうを睨んでいた。
僕はテッちゃんの、アオイは僕の肩を掴み、そっと暗がりの奥を覗いた──。
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