第19話「タチアオイ」

 石畳の参道は人で溢れかえっていた。

 辺りには、タコ焼き、イカ焼き、お好み焼き……お腹が空く匂いが立ちこめている。それにつられた人々が、ゆったりとした川のような流れを作っていた。

 父親に肩車をしてもらう男の子。りんご飴を片手に、けらけらと笑う女の子たち。浴衣のお姉さんの手をそっと引くお兄さんもいる。

 

 僕は隣をちらっと見た。

 アオイは空色の浴衣を着ている。

 なんの花だろう。凛と背を伸ばした茎が、大きな白い花を縦にいくつもつけていた。

 そのせいだろうか。彼女の存在が淡く感じる。まるで夢から醒めたら消えてしまいそうだと思った。


 視線に気づいたアオイが首を傾けて僕を見る。

 毛先の細いポニーテールが、襟元の花をさらりと撫でた。

 僕はなんでもないという風に前を向く。


 そのとき、ふいに見知った顔と目が合った。


「あ、隅野じゃん!」「珍しい!」


 ──げっ。


 クラスメートの男たちだ。

 彼らは僕に気がつくなり、わらわらと近寄ってきた。


「お前、いつもお祭りとか来ないのに──」

「純平の友達?」


 聞いたのはアオイだった。

 話しかけてきた1人がぽかんとする。


「えっとクラスの」と僕が言うと、アオイは「あぁ。こんにちは」と挨拶した。先生みたいな落ち着いた口調だ。


 彼らは「こ、こんにちは」と返すなり「またな!」と足早に行ってしまう。

 去り際に「おいおい、誰だ」とひそひそ話すのが聞こえた。

 僕はなんだか少し誇らしい感じがした。



「純平はクラスの子と仲良いの?」

「うーん、普通……。というか、あんまり遊ばない」

「そうなんだ」

「テッちゃんとばっかり」


 僕が苦笑するとアオイは「いいなぁ。うらやましい」と言った。


「そう?」

「そうよ」

「ただのクサレエンだよ」

「純平、それ意味知ってるの?」

「……あんまり」

「呆れた。ちゃんと辞書を引きなさい」


 アオイは「あなたたちは、そんな関係じゃないわ」ときっぱり言った。

 彼女は微笑んだけれど、その顔にほんの少しだけ影を見た気がする。


『未来では、ずっと研究ばかりだったのです』


 フロッディの言葉を思い出した僕は、両手をきゅっと握った。


「ねぇ。何かしようよ」


 僕の言葉に、アオイは一瞬瞳を大きくして「うん!」と頷いた。


「何がいいかなぁ」

「お腹は?」

「ちょっと空いたかも」

「じゃあ、まず腹ごしらえ」


「そうね」と頷きながら、アオイはすれ違う小さな女の子を振り返る。

 少女は片手に持った白いふわふわしたものを、ほうばっていた。


「あぁ。あれだよ」


 僕は少し先の『わたあめ』の看板を指差した。

 

「食べる?」

「食べる!」

「よし……」


 僕はドキドキしながら小遣いを入れた財布を握りしめて、店主のおばさんに声をかける。


「すいません、2つください」

「はい、600円ね」


 僕が財布の口を開けようとすると、横から300円が差し出された。

 

「え?」

「この時代の通貨に替えてから来たの。割り勘しましょ」

「ああ、そう?」


 女子におごるという人生初の体験は、あっさりお預けになった。

 そういえばアオイは家に来てからも、特別なとき──母さんがおにぎりを握ってくれたとか──以外は、ほとんど未来の宇宙食を食べていた。

 彼女なりに気を遣っているのだ。

 

 おばさんが綿菓子機の中で長い串をくるくる回して、綿を絡めとっていく。その様子をアオイは不思議そうにじっと見つめていた。



「甘い雲を食べてるみたいね」


 出来上がったわたあめを夜空にかかげて、アオイが言う。


「そうだね」


 僕は頷く。


「こうしたら、おじいさんみたいね」


 雲の端をつまんで、口元につけてみせる。


「なんだよ、それ」

「あははは」


 一緒に笑った。



 お腹が満たされなかった僕は、そのあとタコ焼きも買った。

 最後の一つをほうばったとき、「あれ、なんだろう」と急にアオイに手をつかまれたので、僕は危うくタコを喉に詰まらせるところだった。


 そこでは座りこんだ子どもたちが、しげしげと何かを覗きこんでいた。

 底の浅い水槽の中を、水面に浮かぶモミジの落ち葉のように、金魚たちが漂っている。


「純平、これはなに?」

「金魚すくいだよ。ほら、あれですくうんだ」

「へぇ」


「やるかい」


 僕らに気づいた店主のおじさんが声をかけてくれた。


「やぶけました」


 目の前で座り込んでいた女の子が手をあげる。


「あー、はいはい。1匹ね。じゃあもう1匹」


 おじさんは水と2匹の金魚をビニール袋に入れて少女に手渡した。それを見ていたアオイが「私もやりたいです」と言った。


「はい。どうぞ」


 差し出されたポイと受け皿をもらい、彼女は「ようし」と浴衣の袖をまくった。

 ポイを浸すと、すぐさま金魚は散り散りに逃げていく。

 アオイは「あぁ、ちょっと。待って。待って」と慌てながらも楽しそうだ。


 彼女が金魚すくいに熱中している間、おじさんが息を吐くようにつぶやいた。


「いやぁ、良かった。今日はもうできないと思ってたんだ」

「え、そうだったんですか?」

「ほら。ここいらで最近ときどき断水するのを知っているかい?」

「あ、はい……」


『最近、団地で水が止まることがあるんだ』


 ふいに悠のおびえた表情を思い出す。


 ──ここでも断水してるのか……。


 考えてみれば、水ノ宮神社は団地の斜め向かいにある。そして給水塔の丘とは隣同士だ。


「でもぎりぎり復旧してね。なんとかこうして店開きできたってわけだ」


 おじさんは子どもたちの顔を見回しながら、満足そうに微笑んだ。


「あー! 破けちゃった!」


 僕の足元に座りこんでいたアオイが悔しそうに声をあげる。

 水に浮かんだ彼女の受け皿には1匹も入っていなかった。


「あぁ、ダメだったかい。でも2匹連れていって」


 おじさんがそう言うのをさえぎるように僕は「今度は俺がやります!」と言った。



「はい。いいとこ見せたな」

「あはは」


 僕は頭の後ろを撫でながら、なんとか自力で獲った2匹の金魚を受け取る。


「はい」


 アオイに差し出すと、彼女は「いいの?」と目を丸くした。


「いいよ。カブトムシのお返し」

「ありがと。純平、すごいね」


 なんでもないという顔をしながら、内心ではガッツポーズをとりたい気分だった。


 ──昔、じいちゃんからコツを教わったのが、こんなところで役に立つとは……!


 袋の中でひらひらと舞う2匹の金魚は、鮮やかな朱色で、尾びれの先だけほんのり透き通っていた。


「それは、素赤というんだよ」とおじさんが教えてくれる。


「綺麗……」


 アオイは2匹をじっと眺める。

 それから何か思いついたように「そうだ」とつぶやき、あの不思議な腕時計に触れた。

 すると浴衣の白い花が朱色に染まっていった。


「いっ!? アオイ……!」

「おや……今、浴衣の色が……」


 おじさんが目を瞬かせる。


 僕がどう言い訳しようかあたふたしていると、おじさんは「いやぁ、見間違いかな……」と言った。

 それから「とても良い色だね」と笑った。


 2人でお礼を言って、おじさんと別れた。

 立ち並んでいた屋台が終わりに近づき、参道を歩く人がまばらになった。

 アオイはスキップするように境内の奥へ歩いていく。


『とても良い色だね』


 ──本当に。

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