第18話「見たかった顔」

 空のふちはわずかな桃色を残して、濃紺に染まりつつあった。

 行き交う人の声と祭囃子が響き合っている。

 ここは水ノ宮の裏側の世界で、子どもも大人も表の世界から遊びに来ているように見えた。


 僕らは水ノ宮神社へ続く石段を登っている。

 提灯の淡い明かりが頂上に向かって連なっていた。立ち止まって振り返ると、そのやわらかな光は、駅前から商店街を通ってここまで繋がっていることに気づく。

 その一本道の隙間で、大人たちの背負う神輿がゆっくりとこちらへ向かっている。


「おーい! 早くー!」


 石段の上に目をやると、もう随分先まで登ったアオイが手を振っている。

 

「今行くー!」と僕は手を振り返す。


「あいつ、興味があることだと、めちゃくちゃ早いよな……。ていうか、この階段長すぎないか!?」


 石段の真ん中にある手すりをテッちゃんは両手で握りしめている。


「先行くよ? テッちゃん」

「待ってくれよぉ! 純平」

「もうー」


 石段の踊り場で待っていたアオイは、僕らが追いつくなり、人差し指を突きつけた。


「2人とも遅い!」

「すいません……」

「人を指差すな、人を」


「ほら。もうちょっとだよ」と微笑んだアオイが軽やかに登っていく。

 ポニーテールが弾むのを見て、僕は少しほっとした。


 頂上で僕らを待っていたのは石造りの鳥居だった。水神祭のチラシに写っていたものの現物だ。鳥居は、支柱が巨木の根のように力強く、見上げると背中がそり返るほど大きい。


 ──昔ここに来た時は、この大きさに気づけないくらい小さかったんだろうなぁ。


 鳥居の左右にある石像を見て思い出した。

 水ノ宮神社は、狛犬の代わりにカエルの像が建てられた一風変わった神社だ。

 どっかりと座る2体のカエルは、ところどころヒビが入っていて、うっすら苔むしていた。その顔は何かを待つように空を見上げている。


「あら。そっくりね」とアオイが肩にいたフロッディに言った。

 すると彼はぴょんと石像に飛び移り「私の方がスマートデス」と主張した。


『純ちゃん。ばちあたりだよ』


 ふいに女の人の声が聞こえた気がして、僕は思わずフロッディを手のひらで包んだ。


「純平サン?」


 手の中でフロッディは小さな頭をかしげる。


「ばちあたり、だってさ」


 フロッディを自分の頭に乗せてやりながら、僕はおぼろげな記憶の映像に浸っていた。映像の中で僕は石像によじ登ろうとして、誰かに抱きかかえられるのだ。


 ──誰だろう……。優しい人だったような。


「わあ」


 そのとき感激したように声をあげたのはアオイだった。

 彼女はまばゆく光る鳥居の向こうへ駆けながら、淡い水色の浴衣姿に変身した。


「ちょっ! アオイ!?」


 近くをすれ違ったカップルがおやっと驚いたけれど、彼女は気に留める様子もない。参道にずらりと立ち並ぶ屋台に瞳を大きくして輝かせている。

 それは僕が見たかった顔だった。

 ぼうっと眺めていると、頭の上から声がした。


「純平サン。心拍数が上昇してイマス」

「──っ! か、階段を上がったからじゃない?」


 僕が慌ててフロッディに言い返す横で、テッちゃんが「あいつ、絶対目的忘れてるだろ」とぼやいた。


「ったく、しょうがないなぁ。先に調査してくるわ」

「あ、テッちゃん!」


 彼は振り向かずに片手をあげて、人混みの中へ消えてしまった。


「あんな顔をするんですね、博士は……」

「え?」


 そう言ったフロッディの声は、いつもよりずっと滑らかでやさしい言い方だった。

 

「未来では、ずっと研究ばかりだったのです。純平さん、博士をよろしく頼みます。私はスラスターを探してきマスので」


 彼は僕の頭から降りて砂利の上に着地すると、植木の茂みにぴょんと飛び込んだ。


「あぁ、ちょっと! フロッディまで……」


 鳥居の前で、ぽつんと突っ立っている僕を呼ぶ声がした。


「おーい、純平! こっちこっち!」


 参道を照らすやわらかな明かりの中で、アオイが大きく手を振っていた。

 頬が上がって三日月型になった両目を黒目でいっぱいにしている。


 ──僕は……


 そのとき、ようやく解った気がしたんだ。

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