第15話「登校日」
今日は登校日だ。
夏休みでも学校に行かなければならない日がある。校内の掃除をしたり、宿題を提出しなきゃいけないのだ。
校庭の掃き掃除を終えた僕は、席に戻るなり突っ伏した。つるつるした机は熱った体にひんやり気持ちがいい。昨夜遅くまで宿題をやっていたせいで、このまま眠れそうだ。
久しぶりの学校で浮き足だった教室は、がやがやとしている。
担任の熊先が「静かにせんか」と野太い声で言うのを聞き流しながら、意識は窓をすり抜け、学校の外へふわふわ飛んでいった。
『純平、学校行くの? 私も行く!』
ランドセルを背負う僕を見たアオイは、まるで観光地にでも行くような調子で言った。
『えぇ?……ダメでしょ』
『なんでよ?』
『先生になんて説明するの』
『いとこ?』
『それ万能じゃないから』
『えー』
むくれた顔を思い出して、僕は枕がわりにした腕の中でこっそり笑った。
──早く帰りたいなぁ。
夏休みに入ってから毎日がいそがしい。秘密の共同生活に、宇宙船のスラスター探し。そして雨男との遭遇……。
まぶたの裏で、水の巨人がゆらりと姿を現した。ふいにあの一つ目に睨まれた気がして、僕ははっと目を開ける。
──雨男。あいつは一体何なんだろう……。
うつぶせのままノートに鉛筆を走らせる。
ぐるぐる
もやもやする気持ちが円の重なりを描き、水面の波紋みたいに広がっていく。
ぴちゃん──
どこからか雨粒のはじける音が聞こえた気がした。
ぐるぐるぐるぐる
それはノートに空いたブラックホールのような黒い渦となり、やがて不気味な目に見えてくる。──雨男の目だ。
ぴしゃり。
頭の上に何かがのせられた。
前の生徒が配布物をよこしたのだ。
「ほら」と急かされた僕は、怪物の目に斜めのペケをつけて、仕方なくプリントを受けとる。そこから1枚とって、残りを後ろに回した。
プリントは夏休みの過ごし方についてだった。乱れがちな生活に注意するように書かれた退屈な内容だ。
「まだあるぞ〜」と熊先が言い、続けてもう1枚が配られる。
すると教室がざわめきはじめた。
「おお! もうすぐじゃん!」とか「私、その日旅行なんだけど〜」とか、あちこちで歓声と悲鳴があがる。
しばらくして僕のところにも回ってきた2枚目は、夏祭りのチラシだった。
駅前の商店街から水ノ宮神社までの一本道に屋台が並ぶ様子が描かれている。
僕はそれを眺めて少し懐かしい気持ちになった。
──小さい頃は、じいちゃんによく連れていってもらったな。
お祭りに行けば、知り合いに会う。それがいつからか恥ずかしく感じられて、最近はずっと行っていなかった。
今年も行くことはないだろうとチラシを折ったとき、ふとアオイの顔が浮かんだ。
アオイはお祭りに興味があるだろうか。 好奇心旺盛な彼女が行ったら、どんな顔をするだろう。僕はその顔を見てみたいと思った。
折り曲げたチラシをもう一度見ると、石造りの鳥居が目に入った。さっき開いていたのは裏面だったのだ。
表を机に広げてみる。
そこには石段の上に佇む水ノ宮神社の鳥居が写されていた。写真の下に「水ノ宮の夏の風物詩─水神祭─」とある。
──水神って、最近どこかで聞いたような。何だっけ。
首をひねってチラシとにらめっこしていると、ふと机に置いていた鉛筆がぴくりと動いた気がした。
「んん?」
僕は、じっと目を凝らす。
鉛筆は机の隅へコロコロ転がっていく。
「ん〜?」
受け止めようと手を伸ばしたとき、鉛筆はすっと起き上がった。
「うわぁっ!」
思わず大きな声が出た。
「どうした? 隅野」
夏休みの生活について話していたらしい熊先が怪訝そうに聞いてくる。
「はい! 大丈夫です!」
「何がだ」
教室がどっと笑いに包まれた。
「休みボケかー!? 隅野ー!」
クラスの男子が茶化す中、耳元でクスクスといたずらっぽく笑うのが聞こえた。
──アオイだな〜! 来ちゃダメって言ったのに……!
彼女はナノロボットで透明になって、ついてきていたのだ。
起き上がった鉛筆はノートにこう書いた。
(びっくりした?)
誰かが見ていないかとドキドキしながら、空中で差し出された鉛筆を奪って、僕は(そりゃするよ。何してんの?)と書く。
(せっかくこの時代に来たんだもの。見ておきたいじゃない)
(見つかったらどうするの)
(みんなには見えないもの)
──そう言われると言い返せないのだけど。
(それよりこれ、なに?)と続けてアオイは書いた。矢印が引かれてチラシを指す。
(お祭りだよ。毎年夏にやるんだ)
(へぇ。行くの?)
(行かないよ)と書いて、手を止めた。
(良かったら一緒に)と書いたら、アオイはなんて返すだろうか。
僕が書こうか迷っていると、教室に下校のチャイムが鳴り響いた。
「残りの宿題も忘れないように。ではまた新学期」と熊先が言い、起立・気をつけ・礼をする。
クラスメートたちが一斉に夏休みに戻っていく。
僕も机の上を片付けて、ランドセルを背負い、教室を出た。
途中で廊下を振り返ってみたけれど、アオイの姿はない。
ついてきているだろうか。透明になっていると、彼女がそこにいるのかわからなかった。
きょろきょろしながら下駄箱まで来たときだ。
昇降口を出ていく人影が見えた。小柄で丸々とした後ろ姿には見覚えがある。
急いで靴を履き替えた僕は、校庭に飛び出して、彼を呼び止めた。
「悠!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます