第12話「僕の部屋の秘密」
真夜中。僕は眠れずに、勉強机と向かい合っていた。
備えつけのライトが、ノートをオレンジ色に染めている。そこに思うがまま鉛筆を走らせる。例のロボットを描いているのだ。
鉛筆の先で、線を選びとるように何度も行き来させながら、輪郭を整えていった。
丸みのあるボディには、きらりと反射するキャノピー。その奥にコクピットがうっすらと見える。たくましい腕と脚には、反重力スラスター。両肩に背負ったバズーカ砲が、獲物を狙うカエルの目のように、前方をにらみつける。
カエルロボットは、ノートの表面から、ずんぐりとした体を起こすと、僕の鼻先までゆっくりと浮かび上がった。
紙の中から抜けだした機体は透けている。その輪郭を、見えない鉛筆が高速でなぞっている。
手のひらサイズのロボットは、風船のように膨らんで、僕を包み込んだ。
勉強机の椅子に座ったままの僕の目の前に、コクピットの制御板や操縦桿が描かれていく。初めて見るのに、どこに何があるのか解る。
ゴウゴウと低くうなるような音で、部屋中が振動した。勉強机や本棚のガラス戸がミシミシ鳴いている。鉛筆描きの機体が風を吹き出しているのだ。
閉めきったカーテンがバサバサとめくれあがった。
飛べそうだ。
そう思った。
僕は、透けた操縦桿を両手で握り、持ち上げる。
同時に、機体の輪郭がゆっくりと浮かんでいく。回転式の椅子から落ちそうになるのを慌ててこらえた。
風の音が強くなる。
床に敷いたままの布団が吹き飛び、壁に貼りついた。
ここは、宇宙船のカタパルトかもしれない。
そう考えると、目の前の壁が僕らを後押しするように、前方へ開いていった。
まぶしい。
突きぬけるような青空だ。
眼下には、一面の海が広がっている。
いや、このツンとした匂い。プールだ。
よく見ると、きらきらと輝く水面に、黄色い浮きがいくつも連なって、地平線まで続くレーンを作っている。
僕は、鉛筆で描かれた操縦桿を握りしめ、同じく輪郭しかないペダルを踏み込む。
すると透明な機体は、カタパルトになった床から飛び立ち、滑るように空を走りだした。
ヒュオオオと風を切る音が気持ちいい。
操縦桿をゆっくりと下ろし、水面まで降下させる。
機体を避けるように、しぶきがあがった。
僕のロボットは、巨大な25メートルプールのレーンの上で、ぐんぐん加速していく。
ふと地平線の向こうにそびえ立っていた入道雲が発光した。
目をこらすと、紫色の稲妻が雲の中を這いまわるのが見えた。
空が暗くなる。
水面がぽつぽつと音を立てた。
雨が降りだしたのだ。
鉛筆で描いたロボットでは、雨を防げない。僕の髪やパジャマも濡れていく。
ドスン……。
ドスン……。
どこからか低い音がした。
地底の震えが身体の芯まで伝わってくるような音だ。
水面が騒ぎだす。
ドスン……。
ドスン……。
いつの間にかあたりには、灰色の霧が立ちこめていた。
ドスン……。
低い音とともに、目の前の霧だけが黒くなった。
ドスン……。
また鳴った。
黒い霧が揺れる。
霧じゃない。
黒い影だ。
とてつもなく大きな影。
天まで続いている。
霧に包まれた巨体には、腕や脚、胴体、さらには頭まであるらしかった。
人のような形をしているが、その手脚は日本列島のように長く、頭は遥か天空にあった。
国造りの神、という言葉が頭に浮かんだ。
ドスン……。
大地を踏みしめる音。
霧の中の何かが、ゆらりと身を揺らし、こちらに近づいてくる。
ドスン……。
足音が大きくなり、雨が強くなった。
こいつは──雨男だ。
ドスン……!
深い水の底から、せり上がってきた震えで、僕の心臓は凍りついてしまいそうだった。
雲にかすんだ頭に、2つの目があった。
うつろに光ったそれらが、僕らを見下ろすと、唐突に夜が来た。
違う。
島のような手のひらが振り下ろされたのだ──
激しい衝撃とともに、無数のあぶくが視界を支配した。
僕の体は、内臓を取り残して、どこかへ落ちていく。
落ちていく。
落ちていく。
落ちていく。
と、背中がついた。
「純平。何してんの?」
目の前に、怪訝そうに覗きこむアオイの顔がある。
背中が痛い。
体を起こすと、勉強机の椅子ごと倒れていた。
「大丈夫?」
下ろしたままの黒髪がさらりと垂れた。
服は、ノースリーブのTシャツにショートパンツという軽装だ。
僕は、少し目をそらして「……まぁね」とだけ答える。
カーテンが開けられた南向きの窓からは、もう強い陽が差し込んでいた。
近くにとまっているのか、アブラゼミが騒々しく鳴いている。
壁も、布団も、何もかも、いつも通りだ。
机の上には、ノートと鉛筆が無造作に置かれていた。
──夢かぁ……。
「ダメじゃない。また机で寝てたの?」
アオイは「ってまた言われちゃうね。お母さんに」と可笑しそうに付け加えた。
「博士。純平サンは、机で寝るのが好きなのデスヨ。人には人の好みがあるのデス」
彼女の後ろ髪から、ひょこっと現れたフロッディが言う。
アマガエルのような姿の彼は、よくそうやってアオイの肩に乗っている。
「あぁもう、うるさいなぁ。ほっといて──」
僕が文句を言おうとすると、スリッパが階段をパタパタ踏む音がした。
「じゅーん?」
「やばい。隠れて」
慌てて小声で叫ぶと、アオイはさっと身を隠した。その慣れた動きは、熟練の忍者みたいだ。
母さんが部屋にやってきたところで、滑り込むように僕は入り口に立ちふさがった。
「あー、何?」
「なんかおっきな音したけど」
「あー、寝ぼけて転んだだけ。大丈夫」
「そう?」
「そう」
僕が何度も頷いてみせると、母さんは怪訝そうな顔をしつつも引き返していった。
と思いきや、すぐに戻ってきた。
「布団を干そうと思ってたのよ」
するりと部屋に入ってこようとする母さんを、紙一重で通せん坊する。
「いいって! いいって! そのくらいもう自分でやらないと……ね?」
「あら。そう? じゃあ、お願いね」
母さんは「成長ねぇ」となんだか嬉しそうにつぶやきながら、下へ降りていった。
「はぁ……。危ない、危ない」
僕は、ほっと息を吐いた。
「入るよ? 布団干すから」
声をかけると、誰もいない南の窓辺から「どうぞ」とアオイの声が返ってきた。
絨毯を照りつける光は、夏の日差しそのものだ。これが作り物だなんて誰も信じないよな、と僕はいつも思う。
板張りの壁を確認する。そこに鉛筆で描いた縦の線を見つけた。ここが境界線だ。
片手を伸ばしてみる。
すると、目の前の空間に光の波紋ができて、手首から先が消えた。
「おじゃまします」
僕の部屋だけど、今はこう言うようにしている。
布団を引きずりながら、境界線の向こうに入ると、誰もいなかった窓辺に人影が現れた。
アオイは、窓の方を向いて伸びをしていた。
「今日もいい気持ちー」
その姿は、夏の日差しをまとってるみたいに見えた。
やっぱり本物の光の方がキレイかもしれない、と僕は思った。
窓際の壁には、めくったばかりの8月のカレンダーがぶらさがっている。
アオイたちが来てから、10日あまりが経っていた。
今、彼女たちは、僕の部屋の南側半分で暮らしている。
壁の目印を境に、ナノロボットで見えない仕切りを作り、スペースを分けてある。
ナノロボットは、どんな色や質感も再現できる(らしい)。それを利用して、部屋の入り口がある北側に、誰もいない空間を見せているのだ。これなら母さんが部屋を覗きにきても、アオイたちには気づかない。
ちなみにアオイたちの方には、現実をそのまま映すようになってるので、僕は慣れるまでそわそわして仕方なかった。
布団を干していると、向かいの窓からテッちゃんが手をあげた。
トランシーバーのノイズが鳴る。
『応答せよ。応答せよ。支度ができたら、今日も探しに行くぞ。どうぞ』
「了解した。どうぞ」と返したのは、アオイだった。
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