第10話「未来」
「アオイでいいよ」
300年後の未来から来たという女の子が、涼しい顔で微笑む。
「未来……」
僕は、その言葉の輪郭をゆっくりとなぞるみたいに、つぶやいてみた。
意味は分かるのに、「未来」は、なぞったところから消えていくような響きだった。
「ちょっと。UMAを見るような目で見ないでよ。ちゃんと人間なんですけど」
アオイが両手を腰にあて、顔を寄せてくる。
「あっ、いや、UMAとは思ってないけど、君みたいな人に初めて会うから。まだ実感わかないっていうか……。ねぇ、テッちゃん?」
年上に助けを求めるように隣を見たけれど、幼馴染は口を開けたまま固まっていた。
「おーい。戻ってきてー」
僕が体を揺さぶると、テッちゃんは「ハッ」と背筋を伸ばした。
そんな様子がおかしかったのか、アオイはお腹をかかえてケラケラ笑っていた。
「博士は、タイムトラベル研究の第一人者なんデスヨ」
アマガエルのような小さな両手をかかげながら、フロッディが言った。
「へぇ、偉い人なんだ」
「もう。そういうのいいから、フロッディ」
何が不服なのか、アオイは口をとがらせて、そっぽを向く。
「あれ、でも歳は?」
「13よ」
彼女は、とがらせたままの口で答えた。
──僕のいっこ上で、博士なんてすごいことだと思うけど……。
この時代ではまだ生まれてないのに、年上というのも、とても不思議な感じがした。
「けど、その船は宇宙船なんだろ? 未来から来たならタイムマシンを使うんじゃないのか?」
やっとまともに喋れるようになったテッちゃんがたずねた。
その疑問に僕も頷く。
「確かに船そのものに時を渡る機能はないわね。その代わり、時空を繋ぐワームホールの中を飛べるの」
「ワームホームって……あの、よくSF映画とかに出てくるあれか?」
「そうね。古くからその存在のアイディアはあったけど、立証されたのは2020年代だったとされているわ。星の終わりに訪れる大爆発。それによって一時的に特定の時空同士を繋ぐワームホールが生まれるの。私たちは星の爆発時期と時空構造を照らし合わせて、タイムトラベルのルートを予測しているのよ」
「なるほど、そういうことか」
説明を聞いたテッちゃんは、銀縁メガネを反射させ「これは、UFOの正体が未来人の宇宙船だった説が証明されたってことじゃ!?」などとブツブツ言いながら、何度も頷いた。
「彼、どうしたの?」と首をかしげるアオイに、僕は「いつものことだから、気にしないで」と答えるのだった。
「服がすぐ変わったり、透明になったりするのも未来の技術?」
アオイが着てる服は、いつも気がつけば他の服に変わっていた。
それに、僕の部屋で透明人間みたいに消えたのは、一体どうやったのだろう。
「あぁ、あれね。どっちも同じ技術よ」
彼女が手首の内側を指先で叩いたかと思うと、銀色のブレスレットが現れた。
いや、時計だろうか。
細いリングに丸い文字盤のようなものがついていて、そこから青白い数字や文字が星屑のように浮かびあがっている。
小さな宇宙みたいだ。
彼女の白い指が宇宙をころころと転がし、星を弾くと、身につけていた白いワンピースが、みるみるうちに野球帽を被った少年風の服装に変わっていった。
「へぇ。この時代の男の子って、こんなのも着るんだ」
帽子のつばを不思議そうにつまみながら、アオイが言う。
「本当に変わった……!」
メガネの奥の瞳を丸くしたテッちゃんと顔を見合わせ、僕も「魔法みたいだ」と頷いた。
「この服の繊維は、ナノロボットでできてるのよ」
「何? それ」
首をかしげる僕に「小さいロボットってことじゃないか?」とテッちゃんが言ったけれど、ロボットらしきものはどこにも見当たらない。
「ふふ、微粒子サイズだから、一つ一つは目に見えないわ。小さなロボットが寄り集まって、服の色、模様、質感を再現してるの」
「そんなことができるの」
アオイのTシャツは、僕が着ているものと変わらないように見える。
それがロボットだなんて、なんだか信じられなかった。
「これを応用すれば、こんなこともできるよ」
アオイは、もう一度腕時計を出して、手首に浮かぶ宇宙を転がし、また星を弾いた。
すると今度は、彼女の体が景色に溶けてなくなってしまった。
「き、消えた!」
僕とテッちゃんで、あたりを見回すが、その姿はどこにもない。
足元からザッザッザッと音がした。
ぬかるんだ土についた足跡が、こっちに向かってきているのだ。
「ここよ」
目の前で声がしたかと思うと、透明なベールが落ちていくように再びアオイは現れた。
「わわっ!」
彼女の瞳があんまり近くにあったので、僕は思わず尻餅をつきそうになった。
後ろの方から、テッちゃんのぼやく声が聞こえた。
「もー、おどかすなよぉ。今度は、一体どうやったんだ……?」
彼は、地面にお尻をつけていた。
またお腹をかかえていたアオイが「ごめん、ごめん」と目元の涙を細い指で拭い、続けた。
「ナノロボットはどんな模様や質感も再現できる。これを応用して周囲の景色を再現させれば、透明に見せることもできるの。範囲指定次第で、足元の影や足跡も消せるよ。足音は消せないけどね」
彼女が言うには、あの腕時計には、あらゆる時代や国のファッションデータが入っていて、今は2000年代の日本の服装を再現しているらしい。
おまけに機能性に優れ、人体の体温調整までサポートしてくれるということだった。
猛暑の中、宇宙船に閉じ込められても、軽い熱中症で済んだのは、そのおかげらしかった。
「ナノロボットは、医療現場での活躍もめざましいわ。メスを使わずに体内で自動手術したり、自由結合の特性を活かして臓器の一部に代わることもできる」
「すげぇ、そんなことまで……」
アオイは、傷だらけの宇宙船を見つめて「この船もどうにかなると良いんだけど……」とつぶやいた。
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