第9話「宇宙人?」

 ポニーテールが軽やかに揺れる。

 その黒髪に太陽が光の輪を作っていた。


「名前は、アオイ」


 家を出る前、そう名乗った女の子が、スキップするように給水塔の丘を登っていく。


 昨夜は、深い森のように見えた雑木林も、照りつける朝日を受け、雨露を輝かせている。

 どこまでも高い青空に向かって、蝉の合唱が響き渡っていくみたいだった。


 ──アオイ。どんな漢字なんだろう。なんて呼んだらいいかな。


 前を歩く彼女の背中をぼんやり眺めていると、隣からテッちゃんの恨めしそうな声がした。


「どうなってんだ、あれ……」

 

 彼の頬を、大粒の汗が伝っていく。


「俺にも分かんないよ」

「おかしいだろ。昨日の今日であんな動けるなんてさ」


 テッちゃんが口をとがらせるのも、もっともだ。

 昨夜、彼女を背負って病院にまで連れて行ったのだから。


「服だってころころ変わるだろ。やっぱり宇宙人なんだ。地球外の技術を使ってるんだって。いや、あるいは、あの子は雨男が化けた姿かもしれないぞ」

 

 テッちゃんの声が聞こえないかドキドキして、僕は女の子の後ろ姿を見つめた。


 家を出たときは、レモン色のTシャツと水色のショートパンツだったのに、いつの間にか白いノースリーブワンピースに変わっている。

 彼女が歩くたび、膝丈の裾が嬉しそうに揺れた。


「うーん……。ちょっと変わってるけど、普通の女の子みたいだったよ?」

「普通の女の子が宇宙船に乗るかよ」

「そりゃあ、そうだけど」

  

「ねぇ!」


 不意に声をかけられて、テッちゃんは「ひっ」と小さく悲鳴をあげた。


「な、なに?」


 僕の声もなんだか上ずってしまう。


「この音は、何?」

「音?」

「このシャワシャワ鳴ってるやつよ」


 彼女は宙を指さして、くるくると円を描いてみせた。


「もしかして蝉のこと?」

「蝉! これが蝉なのね!」


 彼女は、両手を胸の前でパチンと合わせると、大きな瞳を丸くした。

 まるで憧れてた人にやっと会えた、そんな表情だった。


「絶対、宇宙人だ……」

「そうかも……」



 彼女の正体についてあれこれ話しているうちに、気づけば例の場所に着いていた。


 頭上には、目印の送電鉄塔。

 その足元にあるはずのものは、生い茂る木々にしっかり隠れている。

 誰かに見つかることは、まずなさそうだ。


 僕らは、手すりを乗りこえ、木の幹につかまりながら、ぬかるんだ斜面をくだった。


「フロッディ……!」


 鉄塔の足元に宇宙船を見つけるなり、彼女は駆けよった。

 僕とテッちゃんもつられて走りだす。

 

「フロッディ! フロッディ! 聞こえる?」


 土に埋もれかけた鋼鉄の物体に、彼女は泣き出しそうな声で呼びかけた。


 改めて見る宇宙船は、やっぱり巨大なオタマジャクシのような形をしていた。

 そして、その銀色のボディは、まるで宇宙戦争でもしてきたかのように傷だらけだった。

 大小いくつもの窪み、ところどころ焦げたような痕もある。

 船体の右側にあるのは、筒型の──推進機だろうか。

 どこへいってしまったのか左側にそれはなく、ひび割れたボディから回路のようなものが顔を出していた。

 

 その時、彼女の呼びかけに反応するように、宇宙船のヘッドライトが薄く明滅した。


「ハ…カセ……。ご無事……デスカ……」

「フロッディ! 私は大丈夫! この子たちが助けてくれたの。それより、あなたは大丈夫なの?」

「船体……損傷が…激しく…言語…インター…フェースにも…フグ…アイが生じ…て…イマス……」


 とぎれとぎれの声は、妙に高くなったり低くくなったりしながらも、彼女の問いかけに答えた。

 僕には、言語インターフェースが何なのか分からなかったけど、宇宙船が深刻な状態であることは判った。


 彼女は「待ってて」と言うと、ポケットからあの銀色のカエルを出してみせた。


「どうするの?」

「見てて」


 彼女が手のひらを広げると、銀のカエルは高く跳躍した。

 頭上の木々の隙間から差し込んでくる陽光を、そのつやつやした身体にきらりと反射させ、宇宙船の上に着地する。


「フロッディ、こっちに移れる?」

「承知…シマ…シタ……」


 彼女の問いかけに宇宙船が返事したかと思うと、銀のカエルは全身をぶるりと震わせ、擬態するみたいに明るい緑に変色していった。

 僕もテッちゃんも「おお……」と感嘆の声を漏らしていた。


「こんにチハ! 2004年の子どもタチ!」

「うわぁ!」「うおっ!」


 突然甲高い声がして、僕らは思わずのけぞった。


 見れば、宇宙船の上にちょこんと乗ったカエルが小さな前足を片方かかげている。


「こ、こんにちは……」

「博士を助けていただき、ありがトウ! 改めマシテ、ワタシは、フロッディ! 今はこのカエルがワタシの体デス」


 アマガエルのような見た目なのに、その顔はにこりと笑っていた。

 

「す、すっげぇ! どうなってるんだ?」


 テッちゃんが身を乗り出して、フロッディを覗き込む。


「AIを移しかえたのよ。最も、フロッディみたいな心を持つスタンドアロンのAIは、容量が大きすぎるから、最低限のインポートしかできないんだけど……」


 理科の先生みたいな口調で、解るような解らないことを女の子は言う。


「君たちは、一体……」


 僕の途切れた言葉を補うように、テッちゃんが「何者なんだ。教えてくれ」と力を込めた。


「助けてもらったし……いいわ。あなたたちなら。私は、アオイ・タチバナ。300年後の未来、2304年のミズノミヤシティから来たの」


 大人びた口調と不釣り合いな、イタズラっぽい笑顔を浮かべ、彼女はそう言った。

 蝉の声がやんで、自分の心臓の音ばかりが聞こえていた。

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