第8話「友達になれたらいいな」

 僕が声を出そうとすると、突然女の子は僕の口を手で押さえ、「静かに!」と小声で言った。

 

「あんでいみがここい……!」


 塞がれた口では、「なんで君がここに」と言えなかった。 


 と、その時、下の階から電話のコール音が聞こえてきた。

 母さんが出て、電話口で何か言ってる。


 女の子は、もう一方の手で人差し指を口元に立てると「しーっ」とささやいた。

 窓から入ってきた南風に混じって、石鹸みたいな匂いがする。


 「じゅーん? 電話よー?」


 やばい。

 階段を上がってくる音がする。

 僕は、とっさに彼女の手を振り払った。

 そのまま部屋を出ようとした時、母さんとぶつかりそうになった。


 「どうしたの。そんな慌てて」

 「あぁ、いや……これは……」


 見られた。この状況、どう説明したらいい。見知らぬ女の子が僕の部屋にいる。

 母さんは、怪訝な顔をして電話の子機を差し出した。


 「橘先生から」

 「へ?」


 母さんが何も咎めないので、後ろを振り向くと、さっきまで確かにいた女の子の姿はない。


 「あれぇ……」

 「寝ぼけてんの?」

 「……そうかもしれない……」

 「もう。ほら、早く出なさい」


 母さんは、電話の子機を押しつけて「あんたに用なんて何かしら」と首をかしげながら階段を降りていった。


 「もしもし」

 「純平君かい」


 電話に出るまで誰か分からなかったけど、声の主はハイランドクリニックの先生だった。


 「あ、はい」

 「あの子がいなくなったよ」


 ──いや、今ここに

 そう言おうと思った。

 けれど、僕は目の前の光景に言葉を失ってしまった。

 誰もいない窓際の陽だまりに人影が伸びて、まるで透明のベールでも脱ぎ捨てるかのように、彼女は再び姿を現した。

 南風がまた吹いて、ポニーテールがふんわりとなびく。


 「聞こえてるかい?」

 「あぁ……え、えっと……聞えます」

 「あたしが起きた時には、もう居なくなっていた。ご丁寧に毛布を綺麗に畳んでね。容態は安定していたから、大丈夫だと思うけど、心配でね。あんたのところに来てないかい?」


 彼女が「秘密にして」という顔で、首を振る。


 「あー、あの、今朝急に帰らなきゃいけなくなったみたいで……大丈夫です! もうすっかり……元気でした!」


 受話器の向こうで、先生は少し黙った後「……そうかい。それなら良いんだけどね」と言った。

 僕は、先生にお礼を言った後、電話を切った。


 「えっと……君は、一体……」

 「宇宙人」

 「えぇ、まじ!?」

 「ふふ。だと思う?」

 「……なんだよ。違うのかよ」


 僕がふてくされると、彼女は小さい子みたいにケラケラ笑った。

 そうかと思えば「ありがとう。あなたが助けてくれたんでしょ」と急に大人みたいな口調で言った。

 僕は「ほとんどテッちゃんのおかげだよ。俺は隣にいただけで」と苦笑いした。


 「テッちゃん……? もう一人の男の子ね」

 「そう……って君、意識あったの?」

 「おぼろげに。ところどころね」

 「どうして家がわかったの?」


 彼女は「出ておいで」と何かにささやいた。

 すると勉強机の上にあったデイパックから、銀色の物体が飛び出してきた。


 「うわ!」


 思わずのけぞった。


 よく見れば、それは銀色のカエルだった。

 カエルは、フローリングの床をピョンピョン跳ね回り、彼女が差し出した手に収まった。

 彼女は、白い指でカエルを撫でながら「この子に後を追わせておいたの」と言った。


 「す、すっげー。そんなことできるの?」


 僕が興奮して身を乗り出すと、彼女は何か考えるような顔で「まぁね」と答えて、「ところで」と切り出した。


 「フロッディは、どこ?」

 「フロッディ……。それって、確か宇宙船の名前?」

 「そう! やっぱり知ってるのね。彼は、今どこ?」

 「給水塔の丘だよ。そこで宇宙船と君を見つけたんだ」

 「給水塔……」

 「知ってる?」

 「あ、ううん。良かったぁ。その場所、案内してくれる?」


 彼女は、首をふると、心から安心したという風に笑った。


 「いいけど……」


 僕は、宇宙船が光を失って何も喋らなくなったことを思い出して、言葉に詰まった。


 「いいけど、何?」

 「あ、いや。うん、案内するよ」

 「ありがとう!」


 彼女は話しながら、ころころと表情を変える。大人っぽい時も、幼い女の子のような時もあって、とにかく忙しい。

 おまけに、透明になれたり、銀色のカエルを飼っていたり、宇宙船にも乗っていた。

 僕が出会った誰よりも謎だらけだ。

 トランシーバーでテッちゃんに応答を求めながら、友達になれたらいいな、なんてぼんやり考えていた。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る