第4話「怪物のすみか」

 少年の名は、細田悠ほそだゆう

 僕と同じ学校に通う小学4年生で、公園の真ん前の27号棟に住んでいるそうだ。


 丸々とした体型に似合わない苗字だと指摘したら、クラスメートにもそれをいじられているらしい。僕も隅っこ隅野って揶揄われることがあるし、テッちゃんも僕といるせいで、となりの照彦(本当は隣野りんのね)と言われたりするから、僕らは彼の苗字について、それ以上何も言わなかった。


 そして、彼は、なんとあのネット掲示板の投稿主でもあった。


 「昨夜、トイレで目が覚めちゃって」悠がTシャツの襟元をパタパタさせて話し出したので、テッちゃんは黙ったままUFOの下へ手招きして、今度は彼を挟んで3人で座った。

 「それで、大雨が降ってたでしょ? 音がすごいから、窓から外の様子を覗いてみたんだ。そしたら公園の中を小さな波みたいに動く “ 何か ” がいたんだよ」


 僕とテッちゃんは、時々相槌を打ちながら、彼の話をさえぎらないようにじっくり聞いた。


 「あれは、なんだろうって思って、親にバレないようにこっそり家を出たんだよ。で、公園まで行ってみたんだけど、 “ 何か ” はいなかった」


 テッちゃんと目を見合わせ、首をひねった。この子の見間違いかもしれない。

 

 すると、悠は続けた。


 「雨の音がうるさくて、気づかなかったんだ。家に戻ろうとして、振り返ったら......ぎゃああああああっ!」

 「うわあああああっ!」


 僕とテッちゃんは、揃って悲鳴をあげた。


 「何だよ、急に大声出すなよ!」


 心臓を押さえながら、テッちゃんがクレームをつける。


 「な、何があったの?」


 僕が、恐る恐る聞いた。


 「地面から、雨水がぬるぬる起き上がったんだ。暗闇の中で黄色い目が光ってた。その目で、ぼくを見たら、人の形になったんだ...。もう、腰抜かしちゃって。必死で27号棟まで這いつくばって行ったんだ。振り返ったら、あいつがしゅるしゅる消えていくのが見えた。家に帰っても眠れなくて、パソコンで色々調べるうちに、あの掲示板を見つけたんだよ」


 僕らが黙ってしまったので、彼は「こんな話、夢だと思うよね」と苦笑した。


 「す...すげえ...!」

 「へ?」


 僕らが漏らした感嘆の声に、悠は垂れた瞳をぱちくりにさせた。


 「すごいぞ! 少年!」


 テッちゃんが、目を輝かせて悠の背中をバンバン叩いた。

 困惑の表情を浮かべる悠に、僕は「テッちゃんは、オカルト大好きなんだよ」と耳打ちした。

 こんな風に言う僕も、焦りにも似たワクワクで胸が高鳴っていた。


 「お兄ちゃんたち、変わってるね」と悠は笑った。

 「雨男...俺たちはそう呼んでるんだけど。君が見たやつは、透明なんだよね。それって例えばクラゲみたいな感じ?」


 雨男の姿をイメージしたくて聞いてみる。


 「ううん、違う。だってクラゲは身体があるけど、雨男?は身体があって、ないんだもん」

 「つまり、実体がないの?」

 「うん、暗かったけど...それは間違いないと思う」


 悠は、記憶を確かめるように何度も頷きながら答えた。


 「うーん、実体のないUMAか...UMAの記事は、いくつも読んできたけど、少年が見たような特徴を持つ個体は、初めて聞いたな。これは、もしかすると世紀の遭遇かも知れないぞ...」


 どこかの大学教授のような口調で、テッちゃんが唸る。

 きっと雨男を見つけたら、世界中で大ニュースになるだろうなと、ぼんやり考えていると、悠は「でもね」と割り込むように言った。


 「あいつは、お兄ちゃんたちが思うようなものではないかもしれないよ」

 「どういうこと?」


 悠がうつむいたので、僕は覗きこむようにして聞いた。


 「うまく言えない。言えないけど、実際に遭って、そう思う。あいつは、何ていうか...その...とても何かに飢えてるように見えたんだ」


 的確な表現を手探りするみたいに、彼は言った。


 「飢えてる...か。でも雨男は、少年を襲おうとはしなかったんだろ?」


 テッちゃんが、怪訝そうに聞いた。


 「うん...ぼくの思い違いかもしれないけどね...でも、もしあいつが危険なやつだったら、ぼくがこの団地を守らなきゃって思って、今日もここで見張ってたんだよ」

 「そういうことだったのか。もし雨男が危険なやつで、襲ってきたらどうするつもりだったんだ?」

 「これで威嚇するつもりだった」


 悠は、Tシャツをめくって丸々したお腹を出すと、ハーフパンツのウエストのゴムに挟んでいた黒っぽい何かを取り出した。

 彼は「エアガンだよ」と言った。

 ようやく悠がUFOの遊具の中にいた理由がわかった。彼は、自分なりの正義感と不安を抱えて、ここにいたんだ。新種のUMAにウキウキしていた自分たちが、なんだか急に恥ずかしくなった。テッちゃんも同じように感じたのか、黙っていた。


 しばらく間を置いて、「そういうことならさ」と僕は切り出した。


 「俺たちは、やっぱり雨男を探すよ。危険な存在かどうか知るためにもね」


 テッちゃんも頷いて「そうだな。1人で悩むより、マシだろ」と言った。


 「本当?ありがとう」


 よほど不安だったのか、悠の顔に安堵の色が浮かんだ。

 恐らく前例のない未知の生物。考えれば考えるほど、雨男の存在は、謎がいっぱいだ。もしかすると、僕らは、自分たちの想像をはるかに超える怪物を探しているのかもしれない。そう考えると、背筋がゾクッとした。


 「悠は、雨男が消えるところを見たんだよね?」


 行方を知る手がかりになるかもしれないと思った。


 「うん。えっと、あのあたりだったかな。噴水が止まる時みたいな感じで、下へ消えたんだ」


 悠は、公園の隅の方を指さした。

 そこは、青草が茂っていて、奥には公園を取り込む植木が並んでいた。


 「あれ...?」

 「純平、どうした?」

 「何だろ...」


 青草の隙間から何かがキラキラと輝くのが見える。

 僕は、近づいて、伸び切った草をそっとかき分けた。


 「み、水だ!」


 地面から水が溢れている。雨男か!?

 僕の声に驚いた2人が後ろで「ひっ」と小さく悲鳴をあげた。

 悠が慌ててエアガンを構え、テッちゃんがじりじり前に出て僕を牽制する姿勢になった。


 しばらくそのまま3人で、身構えていたけれど、水はちょろちょろと湧き出ているだけだった。


 「いないみたい...」


 テッちゃんが「みたいだな...」と腕を下ろし、悠が息を吐いて銃口を下ろした。


 地面に埋もれた金属製のフタの周りから、絶え間なく水が湧き出ては、排水溝へ流れていく。フタの表面に何か書いてあった。


 「散水栓?」


 見慣れない言葉だ。

 すると、悠が「水撒きに使うやつだよ」と教えてくれた。

 僕は、フタの隅に空いた小さな穴に指を引っかけ、それをこじ開けた。

 中は、水槽みたいに水が溜まっていて、底に蛇口に似た金具が突き出ていた。水は、そこから湧いてくるみたいだ。

 手を浸し、小さなハンドルを回してみる。

 

 「あれ?止まんないよ、これ」


 左右どちらに回しても、締まる手ごたえがない。


 「貸してみ」


 テッちゃんが身を乗り出し、勢いよく回した。


 「んん?本当だ。おっかしいなぁ...わっ!」

 

 次の瞬間、足元からドバッと水が溢れ出し、彼のスニーカーを濡らした。

 「なんだよ、もう」と喚いたテッちゃんの手には、小さなハンドルが握られている。

 溢れ出してきた水が、さっきよりも太い小川を作り、排水溝を勢いよく流れていく。


 「故障、かな?」

 「うーん...老朽化かもしれないな」


 テッちゃんが腕組みをする。


 「ちがうよ」と悠がぴしゃりと言った。

 「ちがう?」


 僕が聞くと、彼はまっすぐこちらを見て続けた。


 「言ったでしょ。あいつには、実体がないんだ。水みたいに小さな隙間でも入っていける」

 「つまり...ここに入ったってこと?」


 悠は、こくりと頷いた。


 「これ、見てくれ」


 テッちゃんが、手のひらに置いたハンドルの先を指さした。

 蛇口を締める役割があるだろうネジの表面が、不自然に削れている。まるで内側から何か強い力で押し出されたみたいだ。


 「こんなの大人の力でも無理だ。もし雨男がここに入ったんだとしたら...水道管は、町全体に毛細血管みたいに張り巡らされてる。こりゃ、どこの家に出てもおかしくないぞ」

 「うわ...なんかあのドラマみたいだ。ほら、ピエロが出てくるやつ」


 僕は、前に観たホラードラマを思い出して、苦い顔をした。


 「ああ、もしかして “ イット ” ?」

 「そう、それそれ!」


 ホラーとオカルトは親和性が高いとかで、テッちゃんはホラーにも結構詳しい。“ イット ” も、彼の家で録画を観せられたけど、怖すぎて最後まで見れなかった。しばらくお風呂やトイレも、ドアを開けてないと行けなくて、母さんに叱られたっけ。


 「なにそれ」


 観たことがないらしい悠に、テッちゃんが説明する。


 「下水道に潜むピエロが子供たちをさらっていく話だよ」

 

 悠は、「うげぇ」と聞かなきゃ良かったという顔をした。

 ピエロも超怖いし、下水道も超怖い。一体「どこに連れて行かれちゃうんだよ...」


 「ああ、確か給水塔の地下だったかな」

 「こわっ! いかにも怪物の棲家って感じ――え?」


 僕が言い終わらないうちに、テッちゃんと悠は、僕の背後を見上げていた。

 振り返ると、27号棟の向こうに、丘の緑が見えた。生い茂る木々の上に、ボールみたいな給水塔の頭が突き出ている。


 「そうだった。あるんでしたぁ...」


 僕らは、いつの間にかクジラの頭に行き着いていたのだ。

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