第3話「クジラ団地」

 内陸で小高い丘に囲まれたこの町は、町のどこにいても丘の緑が見える。

 僕の通う小学校を中心とすると、すぐ下にテッちゃんの通う中学校。これらを囲むように住宅地が広がっていて、その外側をバス通りが囲んでいる。バスは、南東にある駅から、商店街を抜けて、北側の水ノ宮団地や西側の僕らの住む丘の住宅地をぐるりと回り、やがてまた駅へと戻っていく。

 

 僕とテッちゃんは、家の方へ向かっていくバスとすれ違いながら、青々とした街路樹の並ぶ坂道を下っていった。

 

 水ノ宮団地の目の前は、敷地に沿うように大通りが伸びていて、遠くの路面で陽炎がゆらゆらとしていた。

 屋根のついたバス停の隣に、銀色のポールが数本立った入り口があった。僕らは、そこに自転車を停めた。

 見上げると、学校の校舎よりも大きそうな横長の建物が左右に2つ、奥にも数棟見える。


 「でっけぇ...」


 近所とは言え、遊び相手がここにいるわけでもないので、じっくり眺めるのは初めてだった。


 「大きいのは建物だけじゃないぞ。面積も県内最大級。棟数は、ええっと...41、42、43...」


 県営水ノ宮団地と書かれた案内看板を、テッちゃんはなぞるように指を指す。

 看板に描かれた団地の敷地は、変わった形をしていた。この形は、まるで…


 「44、45…うお、全部で46棟だって」

 「なんか、クジラに似てるね」

 「何が?」


 テッちゃんが怪訝そうにこちらを向く。


 「だからさ、俺らが今いる入り口がお腹のあたりでさ」


 僕は、看板の案内図を指差しながら、説明する。

 入り口の反対側は、クジラの背中だ。真上の神社を避けるように、敷地の輪郭が北から東にかけて奇妙なうねり方をしていて、それが尾びれに見えた。


 「で、ここが水をピューッと出すとこ」


 北西には、丘に聳え立つ水色の給水塔が描かれていて、それが頭のてっぺんから潮を吹いているようだった。


 「お前、よくそういうこと思いつくよな。さすがは、空想少年」


 大人が子どもを褒めるみたいな口調で言われたので、僕はムッとして「うるさい」と返した。


 「で、どうする? めちゃくちゃ広いけど」

 「そうだな。団地のどこどこで目撃したとか、具体的な情報が聞ければ良かったんだけど。あれから音沙汰無しだしなー。とりあえず、行ってみるか?」 

 「オーケー。出たとこ勝負ね」

 「よし、待ってろよー! 雨男!」

 

 ようやく西へ傾きかけた太陽の日差しが、テッちゃんの眼鏡に反射した。

 僕は、団地まるごと飲み込んだ巨大なくじらの胃の中へ乗り込んでいくのを想像しながら、入り口に足を踏み入れた。



 僕らは、建物の間を縫うように敷かれたレンガの石畳を歩いた。空が狭くなって、道の両側の青草が、陽の光を帯びたり、影に沈んだりしている。


 団地の建物は、よく見るとクリーム色や薄緑のパステルカラーに塗り分けられていた。太めの角張った数字が、軒下に打ち付けられていて、入り口の方から1、2、3と順に数字が増えていく。「あれが、住棟番号だよ」とテッちゃんが言った。

 奥へ進むにつれて、蝉の声が遠くなっていく。


 団地に入ったのは、初めてだった。自分たちがクジラの体内に入り込んだ異物みたいに思えて、そわそわする。

 僕がきょろきょろしていると、横からテッちゃんにこずかれた。


 「落ちつけ、純平。ここの関係者ですよって顔で歩くんだ...」

 「わ、わかった」


 歳上の落ちつきに、僕は一瞬尊敬の眼差しを向けたけれど、幼馴染は旧型のロボットみたいにぎくしゃく歩いていて、どう見てもカンケイシャには見えなかった。

 僕は、なるべく目だけ動かすようにして、周囲を見た。


 「人いないね」

 「この暑さだからなぁ。みんな部屋の中か。これじゃ聞き込みもできないな」


 テッちゃんが、おでこに貼りついてうねうねした前髪をうっとうしそうにかき上げる。


 「聞き込みなんてするの?少年探偵団みたいじゃん」

 「大は、小を兼ねるだ。オカ研は、探偵団を兼ねるのだ」

 「もしかして、そのメガネで雨男を追跡してる?」

 「してるさ。実は、すぐそこに奴はいる」


 僕らは、小声でケタケタ笑った。肩の力が自然と抜ける。


 僕とテッちゃんは、話の流れでよく空想を膨らませた。オカルト研究会も、そんな風にしていつの間にか2人の間で存在していた。

 研究会の活動は、こうだ。お互いの部屋を行き来しながら、テッちゃんが仕入れてきたオカルトニュースを熱弁して、それに刺激を受けて僕が空想ノートを書く。その間、彼はオカルト雑誌を読み耽る。飽きると一緒にテレビゲームをして、いつの間にか日が暮れていく。そんなことを延々とやっていた。

 オカルト研究会は、本当はないけど、僕らの中にだけあるものだった。これまでは。

 こんな風に、UMAを探しに来るなんて初めてのことだった。


 「純平、雨男は水みたいな身体をしてる。見逃さないように気をつけるんだ」


 まるで本当のレーダーが搭載されているみたいに、テッちゃんは片手で眼鏡の銀縁をつまんだ。

 「うん」と頷いて、僕も目を凝らす。植木や草の茂み、もしかして水たまりが残っていれば、そこに隠れているかもしれないと思った。

 探しながら、ずっと引っかかっていた疑問が頭をもたげる。


 「でもさ、雨男がもし本当にいるなら、正体は未発見の生物なのかな」

 「それは、俺も同じことを考えてた」とテッちゃん。「UMAの噂って、大体オチとセットでさ。イエティもビッグフットも、熊や大型猿の見間違い。ニューネッシーやグロブスターも腐敗したサメやクジラの死骸っていうのが、研究者たちの見解」

 「夢がないね」

 「な。でもさ、噂が100件あったら、その中に1つくらい本当があるかもしれないだろ?」

 「うんうん。確かに」

 「俺たちが今日100分の1を引く可能性だってあるんだ」


 テッちゃんは、力をこめて言った。

 遠い空をヘリコプターが低い音を立てながら横切っていく。


 「未発見の生物かもしれないし、もしかしたら軍の研究所が作った実験動物かもしれないよね」

 「そうだ。ないとは、言い切れない。てか、いいな。その実験動物説。アメリカ軍の生物兵器!」

 「そう! けど、人間の思い通りにはならなかった」

 「研究所は、大爆発!」

 「そして逃げ出した! そして怪物は、行き着いたんだ。この団地に...」

 「まずいな...何をするかわからない...俺たちで止めないと!」


 しばらくそうして雨男の正体についてあれこれ話しながら、団地内を練り歩いた。時々、買い物袋をぶらさげたおばちゃんや、杖をついたおじいちゃんとすれ違ったけれど、いざ住人を目の前にすると、僕らは下を向くだけなのであった。テッちゃんいわく「大人は信用できない」。

 結局、雨男はおろか、手がかり一つ見つからなかった。



 「あっちぃ、もうダメだぁ。純平、少し休もうぜ」

 「さんせーい...」


 舌を出して、テッちゃんがうなだれる。僕も喉がカラカラで、今にも干物になってしまいそうだった。

 ちょうどその時、巨大な迷路みたいに続いていた風景がパッと開けて、広々とした空間に出た。緑色の絨毯を思わせる草地に陽の光が反射して、僕は思わず目を細めた。

 草地の真ん中には、白くてドーナツみたいな形をした奇妙な物体が浮いている。


 「お、何かあるぞ」


 テッちゃんが吸い寄せられるように進んだので、僕も後をついていった。

 近づいてみると、その物体は斜めに傾いていて、4本の鉄柱に支えられていた。丸みを帯びた側面に、赤く縁取りされた丸窓がぐるり等間隔についていて、一方にハシゴ、もう片側に滑り台が架かっている。


 「あはは、これUFOだ」

 「俺たちにぴったり」


 テッちゃんが、満足気に言った。

 円盤の真下は、コンクリになっていて、日陰ができていた。僕らは、そこに、どかっと座りこんだ。


 僕のデイパックに入れてあった水筒の麦茶をフタに注ぎ、2人で回し飲みする。いつの間にかまた大きくなった蝉の合唱に包まれながら、僕らは一気にそれを飲み干した。


 「かっー! 夏に飲む麦茶ほど、美味い飲み物はないな。サンキュー」


 大きく伸びをして、テッちゃんはそのまま地面にごろんと寝そべった。

 僕も真似して寝転がると、コンクリがひんやりして気持ち良かった。


 「雨男、どこにいるんだろ」


 白いUFOの底をぼんやり眺めながら呟くと、トンネルの中みたいに音が跳ね返って聞こえた。


 「なー」と言った後に、テッちゃんは少し間を開けて「もしかしたら、何か条件があるのかもな」と言った。


 「条件って?」

 「うーん。例えば、雨が降ってる時しか出ないとか」

 「あー、夜にしか出ないとか?」

 「そうそう。ナメクジって晴れた日に見ないし、ゴキブリも昼間見ないだろ? そういう出現条件が雨男にもあるのかもしれない」

 「じゃあ条件が整うまで、どっかに隠れてるのかな?」

 「うん、そう考えられる。ただその条件ってのが、分からないけどなー」


 テッちゃんの推理は、確かにあり得そうだと思った。でも今は、情報が少なすぎる。

 

 キュッ...!


 「ん? なに?」


 天井、じゃなくてUFOの底に、妙な物音が響いて、僕は身を硬くした。

 横を向くと、テッちゃんが眉をひそめて、シーッと人差し指を口の前に立てた。


 耳をすますと、わずかにまたキュッと何かが擦るような音が聞こえた。これは...「スニーカーの音?」と僕が言うと、テッちゃんが「誰かいる」と頷いた。

 すると今度は、足音のそれとはっきり分かる物音が頭上をドタバタと移動していった。

 僕らは、2人揃って「逃げた!」と声をあげた。

 滑り台の方から、キュキュキュッとスニーカーが引っかかるように擦れる音がする。

 「あっちだ!」とテッちゃんが叫けぶ。僕らは、すばやく身を起こし、UFOの底から抜け出した。


 白い光の中を、丸々とした小さな影がゴムボールのようにボテボテと走っていく。

 僕は、全速力でその背中を追う。


 「待てぇ!」


 自分でもよくわからないけど、逃しちゃいけないような感覚に囚われていた。


 僕もテッちゃんも足の速さには全く自信がないけど、足音の主があまりに遅いのであっという間に追い抜いてしまった。

 2人で壁になるようにして立ちはだかると、彼は僕らを見上げて「降参!降参だよ!」と両手を挙げてみせた。


 逆立ったクルクルの天然パーマに、ふっくらとした丸顔。Tシャツとハーフパンツから出た手足は、日焼けして黒かった。


 「なんで逃げるんだ?」と僕が、「関心しないな。盗み聞きか?」とテッちゃんがいっぺんに言うと、少年は「ち、違うよ!ぼくの方が先にいたんだもん」とむちむちした両手をとんでもない!という風に振った。


 僕の方の答えが返ってこなかったので、咳払いして、もう一度「なんで逃げるんだ?」と聞き直した。


 「そっちだってなんで追いかけて来るんだよ」

 「え...そりゃあ、君が逃げるから?」

 「理由になってないじゃん」


 少年がぷっくりした頬を紅潮させて、口をとがらせる。


 「何かやましい理由があるから、逃げたんじゃないのか?白状するんだ、少年」


 都合よく大人ぶったテッちゃんが詰め寄ると、少年は後退りして下を向いた。


 「ぼくがあんなことを書いたから、団地にやばい中学生が来ちゃったんだと思って逃げたんだよ」

 「あんなこと?」


 僕らが同時に首をかしげると、少年は逆に聞き返した。


 「お兄ちゃんたち、雨のUMAを探してるんでしょ?」




*この作品はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。

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