第11話 血を吸う宇宙

 トゥエルは一人、遺跡の中を歩いていた。


 周囲には夥しい数の守護者、機械仕掛けのフロートバトルドロイドたちが周囲を警戒している。


 だというのに、彼等の無機質なカメラ・アイに映っている筈のトゥエルには何の反応も示していない。


「この構造だと……おそらくこっちか」


 ぶつぶつと確認するかのようにひとりごちつつ、トゥエルは巧妙に隠されていた扉を開き、階下への螺旋階段を下ってゆく。その顔に、普段つけているモノクル状のスキャナーは無い。ただ、透き通るような青い光が、トゥエルの片眼に揺らめいていた。


 螺旋階段を降りきると、そこは小さなホールになっており、三つの通路が伸びている。そのどれにも守護兵が門番の様に立っているが、迷いなく中央の通路を進み始めたトゥエルに反応する様子は無い。


 通路を進み、再びホールにでたトゥエル。そこには5体の守護者が配置されており、奥へ進む扉はただ一つだけだ。


「ついたか。ここが施設の中枢制御区画だな」 


 扉には複雑な文様の魔導陣が刻まれ、薄青い光を放っている。複合型の封印魔導陣だ。巨大な円と小さな円の組み合わせからなる複雑な魔導陣は、大きな物が封印。小さなものは侵入者迎撃用の攻性術式だろう。

 

 大円の縁に重なる様に12個配置された小円。そのすべてから糸の様に細い光が放たれ、トゥエルの全身をスキャンしていく。侵入者と判定されれば、糸のような光は出力を大幅に上げてレーザーと化し、愚か者を塵も残さずに焼き尽くすのだ。

 

 そしてすぐに光は消え、扉は重々しい音を立てて開かれた。


 カツカツと硬い床を踏むトゥエルの足音だけが、開かれた扉の先、巨大なメカニズムが室内の9割を占領する部屋に響く。


「驚愕。まさかここまで進む事ができる資格者が未だ存在しているとは思いませんでした。ようこそ同胞よ、貴方を歓迎します」


 声はどこからか聞こえてきた。施設を管理する管理人格A・Iのものだ。


「ガラクタと話す趣味は無い。要求は一つだ。速やかに機能を停止しろ」


 姉と会話をする時の朗らかな態度からは想像もつかないほどに冷たい声色で、トゥエルは言い放った。


「疑問。貴方がそれをいうのですか? 解答。拒否します。当施設は再び目的を得ました。休眠状態に戻る事は入力された命令に反します」

「姉さんか……。しかし彼女は純粋な吸精淫魔サキュバスでは無い。それに改造された個体は滅ぼすと言っていたが?」

「解答。極めて興味深い存在です。彼女の肉体を解析すれば、当施設は更なる成果を得られるでしょう。解答。あの改造固体は彼女の性能ポテンシャルを計る物差しに過ぎません。物差しに滅ぼされるのであれば研究する価値の無い個体という事です」


 なるほど。とトゥエルは納得した。知らぬは本人ばかりなり。という事だ。捨て石とされた事に多少の哀れみにもにた感情を覚えなくもないが、極悪人には良い末路なのかもしれない。


「成果を捧げるべき主はもう居ないというのに……。所詮はガラクタか。まぁこうなるだろうとは思ってたよ。ならば遠慮なく破壊させて貰おう」

「警告。敵対行為を検知した瞬間にガーディアンの非戦闘対象から貴方を削除します。速やかにこの部屋から離れてください」


 管理人格の言葉を待たずに、トゥエルは右手を室内に鎮座する巨大なメカニズムに向ける。その手から、蒼い光が放たれた。エーテライト感応による、強制的なハッキングである。


「もう遅い。すでに彼らには処置を施してある。上書きは不可能だよ」

「疑問。貴方の行動理由が不明です。争いを齎す異星生命はすべからく滅びるべき存在です。この星で造られた貴方が何故――」

「ガラクタと問答する気は無い。だけど、敢えて言うなら、姉さんは滅びるべき存在なんかじゃない。滅びるべきなのはお前ら過去の亡霊だ」


 トゥエルの手から伸びる蒼光がより輝きを増し、管理人格の音声が途絶えた。やがてメカニズム全体から軋む様な異音が響き始める。

 それはまるで、今にも殺されようとしている人間の断末魔にも似ていた。


「早く終わらせないと、姉さんの戦いを鑑賞できないだろ? だからもうだ」


 ほどなくして、メカニズムに灯っていた全ての電子灯から光が消え去った。亡霊は悠久の時の彼方に去ったのである。


 ※


 水気をたっぷりと含んだ果実が潰れる様な、ぐちゃりという湿った打撃音が薄暗い洞窟内を反響する。そこで行われているのは、凄惨という言葉も生温い残酷無惨な行為だ。


 ヌメヌメと生白い質感の肌をしたヒトガタの化け物が、この世の物とは思えぬほどに美しい女を汚している。

 

 背中から生えた数多の触腕が四肢を締め付け、残虐な処刑の代名詞たる牛裂きが如く四方に引き絞って肉体を固定。

 丸太の如く太い双腕が唸りを上げ、容赦なく両の拳が胴体に振り下ろされて柔らかな肉を殴打する。

 更には大きすぎる化け物の兇器で貫かれる度に、腹部がまるで内側から怪生物に食い破られるかの如く盛り上がる。


 全てを同時に行われている女の苦しみはいかばかりか。


 その表情は苦痛と怨嗟に満ちて、口腔からはこの世すべてを呪わんと憎悪の呪詛が溢れ出しているのだろうか。それとも、余りに耐え切れぬ拷問に生きる事を放棄し、殺してくれと絶望の願いを壊れた再生機構の如く垂れ流し続けているのだろうか。


 否、その様なありふれた反応をする女であれば、そも最初に殴られた時に即死しているだろう。


 女は――妖剣士たるイリヤは、それほどの状況でさえも嫣然と微笑みすら浮かべていた。


「はぁん……。とっても刺激的ね。アナタの愛し方って」


 艶めくかんばせは淫らを司る色欲の女神かと見紛う程に妖しく、雄性体の本能を暴力的なまでに貫く魔弾そのものだ。

 だが、吸精淫魔サキュバスに対する防衛機能を付与されたバルドにはその効果も無い。ただ、ひたすらに、その再生力の源たる精気を尽きさせる為に肉体を破壊してゆく。


「ただ腰を振るだけなんてサルでもできるわよ? それとも、何も考えられないくらい私に夢中なのかしら」

「ククク。カンカクハスベテシャダンシテイル。キサマノジマンノニクタイガモタラス、カイカンスラモナ。ワタシカラ、セイキヲスイトルコトハデキヌゾ」


 イリヤの魔性ともいえる肉体がもたらす快楽は、子孫を残す為に生命が培ってきた生殖の快楽とは別次元の感覚である。それは、洗脳にも近いレベルで雄性体を魅了するのだ。

 このままでは駄目だ。枯れ果てるどころか死んでしまう。そう理性では理解していても、抗う事などできずに命尽きるまで抱き続けてしまうのである。


 しかし逆に言えば、一切の感覚を持たぬ者であれば抵抗する事は可能だ。魅了能力以外は特筆した能力を持たぬ吸精淫魔サキュバス。それさえ封じてしまえば、滅ぼす事は容易である。


「ふふ……。私は一度も、アナタの精気が欲しいだなんて言っていないのだけれど、何か勘違いをしているみたいね」

「ナニ……? ヌオッ! キサマ……コノチカラハ――」


 四肢を拘束しているうちの二本。イリヤの両手首を絞めつけていたはずの触腕が、逆にイリヤ自身によってグイグイと引っ張られ始める。魔人の拘束により動けなかったのでは無い。ただ、身を任せていただけであったのだ。


「バカナ……。ウゴケルハズナド……グオオオオッ!!」


 ブチブチと音を立てて、イリヤの両手首を拘束していた触腕が引き千切れていく。弾性と強靭性に富んだそれらは、本来であればその一本で数十トンの重さにも耐えられるほどなのだ。


――ブヂィッ!!


 二本の触腕が引き千切られた瞬間、いびつな断面から黒血が噴き出してイリヤの上半身をまだらに染めた。魔人は痛みとショックに、イリヤを痛めつける事も忘れて呆然としている。


「暖かいわ……あなたの血。ねぇ知ってる? どれだけ改造を施されても血の本質は変わらないのよ――」


 口許についた、暖かく粘り気のあるソレを淫靡に蠢く舌がぺろりと舐めとる。すると、イリヤの全身から恐ろしいまでに凝縮された鬼気が溢れ出し始める。


「ア……ア……キサマハ……イッタイ……」


 薄笑みを浮かべている口許から犬歯が伸びていく。太く長く。生命体に対する絶対的な捕食者としての証たる長牙が、怖れるバルドの眼前で新雪の様にきらめいていた。


「私はアナタの血が欲しいわ……同じ生物である筈の人すらも悪意の贄とする……その邪悪たり得る熱き血潮……。ああっ……なんてなのかしら」


 イリヤの瞳が瞬き、禍々しい赤光しゃっこうを放つ。


 狂おしい程に熱く滾る、飢餓の視線。


 バルドは恐怖した。心の底から。


 それは原始本能に起因する根源的恐怖だ。

 遥か遺伝子の螺旋の彼方、生命誕生より幾星霜ものあいだ喰らわれ続けた、被捕食者たちの死の恐怖そのものだ。生命体の頂点である絶対的捕食者に、ただ喰われて命を終える。


 バルドの心は慄き、畏怖し、そしてかつての螺旋を作り上げてきた者たち同様、諦めかけていた。生きる事を。


「うふっ。……頂きます」


 優しく包み込む様に、されど鬼神の如き怪力で抑えつけ、イリヤはバルドの首筋に

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