第9話 提案

 全身にひんやりとした感触を感じて目を覚ましたバルドは、ぼんやりとした頭で己が死後の世界に辿り着いたのだと思った。


「あ……俺は……死んだのか?」


 次第に意識がはっきりしてくるにつれて、バルドの脳裏に浮かんだのは仲間を嗤いながら虐殺する化け物の姿だ。


「確か……化け物女と戦って……ああ、そうだ。俺は落ちたんだ」


 そこでようやくバルドは、己が全裸である事に気付いた。慌てて飛び起きれば、そこは白い壁に囲まれた異様な部屋だった。なぜ異様なのは簡単だ。部屋には窓はおろか、からだ。


「は? 閉じ込められた? そもそもなんで俺は怪我の一つもしてねぇんだ?」


 意識がはっきりすればするほど、バルドの頭の中は疑問符で埋め尽くされていく。天井を見上げてみれば、そこには四角く線で切り取られた様な扉があった。落ちた部屋で見たものと一緒だ。恐らく己がこの部屋についた事で閉まったのだろう。


「なるほど。ここは落ちてきた奴を餓死させるためのトラップか? いや、しかしそんなもん研究室の中に置くか? そもそもなんで全裸なんだよ……俺の剣は――」

「――解答。あなたの付属物は当施設でお預かりしています。理由。予期せぬトラブルの予防。ご希望であれば後ほど返却いたします」

「誰だッ!」


 いきなり聞こえてきた音声に思わず誰何するバルド。室内には己しか居なかった筈だ。スピーカーのたぐいも見当たらない。とはいえここはロスト・エイジの遺跡だ。何が起きても不思議ではない。


「解答。当方はこの施設を管理する人工知能A・Iです。結論。検体搬入通路に飛び込んだあなたの判断は正解でした。怪我が無いのは検体を保護する反重力機能によるものです」

「助けてくれたってわけか。だが、お前の目的は? タダで俺を助ける理由はない筈だ」

「解答。あなたに一つの提案を用意しています。他に疑問が無ければ説明をさせて頂きます」


 バルドは人工知能の言葉を聞いて、目まぐるしく思考を始めた。傭兵とは生き残る事がもっとも大事な仕事だ。生存戦略に長けた彼でなければ、傭兵団をとりまとめ、野盗となってもなお、ここまで生き延びる事は不可能だっただろう。


 故にバルドは、今の状況を把握する為に手早く幾つかの質問をA・Iに尋ねた。混乱して時を無駄に使う者は愚者だ。いつあの化け物女が追ってくるかもわからないのだ。


 そして、大体の事情を把握したバルドは人工知能が出した提案を聞くと、一瞬の躊躇いも無くその提案に乗った。


 ※


「姉さん! 守護者ガーディアンが!」

「ええ、急に出てきたわね。話は後よ。とりあえず殲滅してしまいましょう」


 バルドが奈落に落ちた後、イリヤが後を追うべきか刹那の逡巡をしていた時、突如室内の壁が開いて多数の守護者が現れたのだ。異変を察知したトゥエルと合流し、蹴散らしていく二人であったが、機械の兵士たちは壊されていく合間にも現れ続けていた。


「きりがないわね」

「もう夜だけど、もしかして姉さん。ないの?」

「頭目が美味しそうだったから最後に残してたら床に開いた穴に落ちてったのよね。他のはバラバラにしちゃった」

「落ちたぁ?! はぁ……。姉さん美味しいものは最後にとっておく主義だもんねぇ……。でもそうなると、この数はたしかにきついね」


 イリヤの巨剣が薙ぎ払われる度に、数体の守護者がまとめてバラバラに吹き飛ぶ。トゥエルは巧みに敵の射線を誘導しては同士討ちを誘発させつつ、野盗団の男たちが使っていた銃器を拾って応戦をしていた。


 だが敵の数は一向に減る様子は無い。壊れたパーツがいつの間にか回収されている事を考えると、今まさに再生産が行われている可能性もあった。見回ったフロア以外にも相当に広い区画が隠されている様だ。


 イリヤの個としての武は相当なものだ。赤錆剣団の精鋭を鎧袖一触に薙ぎ払った実力を見ればそれは疑うべくもない。だが、それでもロスト・エイジ時代の遺跡は易々と攻略できるものではない。その為にはさらに一段階、強さの限界リミットを超える必要があった。


「一度退きましょうか。生産区画まで乗り込んで破壊しても良いけど、なるべくなら無傷で確保したいわ」

「ここんとこ金欠だもんね。誰かさんのせいで」

「仕方ないじゃない。私、遊びは全力で愉しむ主義なの」

「だから全財産をギャンブルにつぎ込むなよ! 金貨一万枚だよ!? もうカラダでも売れば!? 食事と金策で一石二鳥じゃん!」

「ダメよ。私、男にはタダでやらせる主義なの。お金と精気の二重取りだなんて誠実じゃないわ」

「真面目か! ああもう、虎の子のМ・ジャマ―スモークを使うからその間に逃げるよ! これ高いのに!」


 姉の我儘ぶりに苦言を呈しつつ、懐から金属の球体を取り出して床に叩きつけるトゥエル。途端にちらちらと瞬く金属粒子が室内に舞い上がり、周囲の守護者たちの動きが鈍る。魔導回路の伝達を阻害して動きを鈍らせる、対守護者用の兵器だ。ちなみに一つあたり金貨20枚が相場だ。


 守護者たちが動きを鈍らせている時間は20秒も無かった。だが、二人が室内から脱出し、通路を走り抜けて洞窟まで撤退するには十分な時間だった。施設防衛のために存在する守護者たちは、施設外への追撃は基本的に行う事が無い。それは今回も変わらなかった。


「で、どうしようか? トゥエル」

「ちょっと待ってね。姉さんが戦ってる間に小部屋を調べて幾つかの記憶媒体メモリコアを見つけてるんだ」


 二人の間で、頭脳労働はトゥエルが担当だ。イリヤは頭が悪い。というわけではないのだが、そもそも考える事が面倒というタイプだ。この手の事は弟に任せておけば間違いない。そうと知っているイリヤは、大人しく野盗団の男達が使っていた組み立て式の椅子に座り込んで、弟を待った。


 片目に装着したスキャナーの視界に、遺跡内で発見した葉巻サイズの水晶板をフォーカスさせる。すると、エーテライト感応によって内部に記録されたデータがトゥエルの視界に表示されていく。


「よし、データに破損は無さそうだね……。これは……研究員の記録か? 日記みたいだ」

「貴重なものじゃない。売れば高値が付きそうね」

「でもそれほど重要な事は書かれていないね。私的な物のようだよ。同僚のシェリルちゃんが可愛すぎて辛い。でも彼氏いるんだよなぁ……くそっ! 俺が先に好きだったのに――だってさ」

「女々しいわね。男なら無理やり犯して寝取りなさいよ」

「犯罪だからねそれ。あと脳が壊れるからダメです」

「あれ? トゥエルはそういうの好きそうだけど……」

「人を変態にするな! ったく。次のを調べるよ」


 にやにやと悪戯っぽい笑みを浮かべて己を見てくる姉に、小悪魔かよ……。と、やや赤面しながら話を進めるトゥエル。惜しい、淫魔である。


「あ……これ。ビンゴだ」

「おっ? 何々?」

「映像を空中投影するよ。姉さんも見てみて」


 一緒に眺める為にトゥエルの隣に椅子を動かしたイリヤは、椅子同士がぴったりとくっつくように並べ、自らもトゥエルに寄りかかる様に密着した。


「近くない?」

「お姉ちゃんは美味しそうな男を逃がしてストレスが溜まっているのです。大好きな弟を撫でたりさわさわしたりして愛でながら一緒に見たいのです。ちみなに拒否権は無い」

「姉の権力濫用だよ……。別にいいけどさ……」

「やったー。トゥエルだーい好き。えへへ、スリスリ。ナデナデ。チュッチュッ」

「チュッチュッは止めろ! この変態ブラコン!」

「はぁん……。愛する弟に罵倒されるの……たまらないわ。もっと詰って……お姉ちゃんを言葉責めしてぇ……」

「さらっと特殊プレイを要求するな変態! ほら! 結構ヤバい事書いてあるんだから映像に集中して!」


 どうみても仲の良い恋人同士にしか見えぬイチャラブっぷりである。もし第三者がこの場に居れば、口から砂糖を10キロは吐いてしまうのではないだろうか。ちなみに近親間での生殖行為はこの時代では珍しい事ではない。古代に施された遺伝子改造によって近親間におけるDNA異常は起こらなくなったからだ。でなければ荒廃した世界で、人類ここまで復興する事は不可能であったろう。


 そもそもイリヤとトゥエルの場合は血の繋がってないどころか種族からして違うのだが。


「姉さんも読めるよね?」

「読めるわよ。バカにしてるのかしら。でも専門用語ばかりでなにもわからないわ」

「そりゃそうか……。あのね。結論から言うと、ここの施設は戦争の為の兵器開発が主な役割らしいんだ。5000年前の大戦争の時の物だね」

「理解したわ。続きは?」

「この研究所のテーマは、対異星生命体兵器開発。その中には勿論、サキュバス吸精淫魔も含まれてる」

「吸精や魅了は対策されてそうね」

「それだけじゃ無さそうだけど、持ち出せたメモリコアではこれ以上はわからないかな」


 イリヤはトゥエルの話を聞いた後、ふと疑問を口にした。わからない事があったのだ。


「でも、さっきはフロートドロイドばかりだったわよ?」

「吐き気がする様な事実だけど、どうやら兵器の素体は人間種らしいんだ。今までは材料が無かったんじゃないかな。――確か、一人逃がしてなかったっけ?」

「あーーーッ! 居たわ! マジ? あいつ兵器にされちゃうの?」

「そいつが落ちてから守護者が大量に出現したよね。それ。改造するまでの時間稼ぎじゃない?」


 なんとも不穏な予感をを感じた二人は、互いに顔を見合わせて固まる。

 

 直後。懸念は現実となった。


――ゴゴゴゴゴ……。


 地の底で巨獣が唸ったかのような重低音の地鳴りが始まり、大地が大きくその身を震わせる。


「くっ……姉さん!」

「来るわね」


 揺れる地面の上で、地の底を見透かすかのように瞳を細めたイリヤ。その正面の大地が爆ぜ割れ、異形の怪物が姿を現した。

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