第6話 魔宴
「あ……ぜひゅっ……ピィッーー――ごぶぅっ」
腹部から両断された二人のうち、やや年かさらしき方の男が、上半身だけで地面に倒れ込んだまま最後の力を振り絞って警笛を鳴らし――直後に夥しい鮮血を吐きだして息絶える。
野盗に落ちぶれても元は傭兵団。命の灯火が消える間際に仲間達に危急を知らせた勇者を、イリヤは驚きながらも、満足そうな笑顔で眺めていた。
「へぇ……。思ったより骨があるのね、こいつら。これは期待できそうかしら」
ほどなくして、洞窟の奥から武装した数人の男たちが飛び出してきた。元傭兵団というだけあって、その武装は野盗とは思えぬ程に充実している。
強固な魔導樹脂で作られた、水晶を張り付けた様な見た目のボディアーマーで全身を覆い、水素を超高圧で圧縮した素材で作られた切れ味鋭いポリウォーターブレードを装備した男を筆頭に、各国の軍で制式採用されている銃器や特殊な付与を施された装備で身を固めた男たち。
いくつもの死線を潜りぬけてきたであろう赤錆剣団の男たちは、目の前で場違いな笑みを浮かべる美女を油断なく睨みつけていた。足元で転がるかつて仲間であった物体を見れば、その見た目に油断できる筈も無いからだ。
「殺せ」
誰何も問答も必要ない。とばかりに、ボディアーマーを装備した男、ライナス副団長が部下に指示を出した。すでに二人殺されている。とうに戦いは始まっているのだ。
――ドパッ! ババババババッ!
男たちが構えた魔導ライフルのバレルが次々と火を噴き、ばら撒かれた弾丸がイリヤに殺到していく。
――キンッ!
携えていた巨剣をシールドのように掲げ、弾丸を受け止めるイリヤ。一体どのような金属で造られているのか、堅牢な地龍の鱗さえ貫くエーテライト加工の施された弾丸を無数に受けてなお、その刀身には傷一つつく様子は無い。
――キィン! キンキンキンッ!
巨剣を盾に無数の弾丸を弾きながら、イリヤが一足飛びに男達との間合いを詰めていく。これ以上近付かれては仲間同士で撃ち合う事になりかねない。男たちは歯噛みしつつもライフルを投げ捨て、腰に佩いていた高分子サーベルを抜き放った。
「くっ……。一斉に掛かれ! あんだけデカい得物だ。容易にはふりまわせん!」
焦りを滲ませたライナスの支持に、男達がほぼ同時――否、コンマ数秒ほどの差異でイリヤに斬り掛かっていく。同時であれば受けるのも回避するのも容易い。しかしほんの少しだけタイミングをズラされた連携攻撃は、極めて対処が難しいのだ。傭兵団ゆえの、強敵に対する必殺の布陣であった。
分厚い鉄板の如き巨剣を巧みに操り、男達の剣閃を凌ぎ、躱していくイリヤ。重厚な剣の質量を最大限に活かし、体幹全てを使って遠心力と重量を利用した刀法だ。だが、それ故に遅い。
大振りにならざるを得ない巨剣の一撃は、対複数相手に正面切って戦うには相性が悪すぎたのだ。そもそもなぜ、イリヤ一人で虎穴に飛び込む様な真似をしたのであろうか。それとも、慢心ゆえの無謀な突貫でしかないのか。
そして、三対一の攻防が続き、ほんの僅かにイリヤの反応が遅れた瞬間。
虎視眈々と気を伺っていたライナスが動いた。
「そこよっ!」
――ズドンッ!
いつのまにか腰だめに構えていたライナスの短銃が火を噴いた。
「おおっ! 仲間の仇ッ!」
「しねェ!」
「
ギリギリのところでライナスの銃撃を躱したイリヤであったが、大きく体勢を崩したスキを男達が見逃すわけも無い。厚さ五センチの鉄板すら紙切れのように切り裂く高分子サーベルの刃が、蒼い三条の残光を残してイリヤに迫る。
急所を狙った三つの閃き。巧みにズラされたタイミングによって全てを防ぐのは不可能。いまだ空腹を満たせていないであろうイリヤのコンディションで、果たして切り抜ける事が出来るのであろうか。
おお、美しき女剣士よ。迫る三つの死を前に、その表情はどれほどの恐怖に歪んでいるのであろうか。或いは、ただ一人この荒れた世界に残す事になる弟への未練であるのか──どちらでも無かった。
──ギィン! ギンッ! ズバァッ!
二刀までをも防いだのは、流石と賞賛すべきだろう。
しかし、残る一刀はイリヤの右腕を肩口から斬り飛ばしていた。
「あぐっ! ふふ……痛い……とても痛いわ」
右腕を付け根から落とされた瞬間、イリヤの表情は確かに苦痛に歪んでいた。しかし今、断面から鮮血を噴き出させながらも、その桃色の唇は弧を描くように吊り上がり、空色の瞳には妖しい輝きがゆらめいている。
「ああっ……もうダメ……私、きっと死んでしまうわ……」
恐るべき事態が生じた。
戦闘のプロとも言える傭兵は、たとえどれほどに蠱惑的な美女であろうと、強敵だと認識すれば情けなどかけない。寝首を掻かれるのはまず間違いないからだ。だというのに。
「まずいな。死んでは楽しめない。止血処置を直ちに行え!」
「へっへっ、こんな上玉は見た事がねぇ。楽しみだぜぇ」
「付け根を縛って消毒する。染みるが我慢しろ……ついでに味見っと」
「あっ……やぁ……はぁン……」
イリヤに止血処置を施し始めた男が、開いたファスナーの間から無造作に右手を差し入れてたわわに実った生の果実を揉みしだいていく。乱暴な手つきで柔肉を握り込まれる度に、イリヤの唇から切なげな甘い喘ぎが零れ、男たちの下半身を痛いほどに刺激する。
あり得ざる状況であった。
団員たちは皆、副団長も含めて性欲そのものに支配されたかの様だ。素人の野盗団ならばわかる。しかし、赤錆剣団と呼ばれる彼らであればあり得ない。原因は間違いなくイリヤにあった。
斬り飛ばされた右腕を部下に回収させると、ライナスが止血処置を施したイリヤを背負って洞窟の中に戻っていく。その瞳はどこか熱に浮かされたかのように虚ろであった。追いすがる三人と同様に。
※
「よし、上手くいったぞ」
運転席で偵察用ナノマシンと多機能スキャナーの視界を共有させていたトゥエルが、洞窟の入り口で起きた一部始終を眺め終えて呟いた。
「やった! 次はトゥエル兄ちゃんの出番なんだよね?」
「ああ、姉さんが中で連中を引き付けている間に、僕がエレーナさんを救出してくる。ケントは絶対に車内から出ちゃだめだぞ」
「うん。ちゃんとわかってるよ。でもイリヤ姉ちゃんってホントに凄かったんだなぁ。一人で突っ込んで全員を相手にするなんて、三国戦争時代の英雄みたいだね」
「全員を相手にね……。まぁ確かに……いやでも全力状態なら余裕だから間違いじゃあ……っとなんでもないなんでもない。それじゃあ行ってくるよ」
「うん! 何も弄らないで大人しく待ってるよ」
「ああ、帰って来る時はケントの姉さんを必ず連れてくる。約束だ」
「ありがとう! トゥエル兄ちゃん!」
運転席のドアを開けて荒野に降り立ったトゥエルは、モノクル型のスキャナーに脳波指令を送る。すると、周囲を浮遊しているナノサイズの微小な群体機械が受け取った指令を即座に実行した。
段々とトゥエルの姿がぼやける様にかすみ、周囲の景色と同化していく。偵察用ナノマシンに搭載された光学迷彩機能だ。
洞窟に向けて走り出しながら、トゥエルは片方の視界に同調させている洞窟内の映像を
それはまるで、毒蛇の巣に投げ込まれた哀れな小動物。
数多の悍ましい肉色の大蛇の中で、雪のように白く艶めかしい牝贄が貪り食われていた。
牝贄の肉体にある穴という穴を塞ぎ、内部を蹂躙していく鎌首をもたげた蛇たち。全身をびくびくと震わせ、牝贄の体内に濁った欲望を次々に吐き出しては、また新たな大蛇が白き牝贄に絡みついていく。
この世で最も醜悪な光景とは何か。それはもっとも醜い存在がもっとも美しき存在を汚す事だ。
牝贄はイリヤであった。
トゥエルは冷静に事の成り行きを見守りながら、要救助者の様子を観察する。狂乱の宴の外、洞窟の中に設置された簡易テントの中に横たわる一人の少女。囚われの身となっているエレーナである。
意識は無い。すでにナノマシンによって、首筋に安らかな睡眠をもたらす薬剤が注入されていたからだ。イリヤのショッキングな食事シーンを見せまいとしたトゥエルの配慮であった。
「連中、すっかり姉さんに夢中だな。まぁ男である以上姉さんの力に抗える訳も無い。今回は全員が男で助かったな」
そう呟くトゥエルは冷静そのものに見える。彼にとってはいつもの光景なのだろう。とはいえ、全く何も感じていない。という訳ではないようだ。
吐く息が僅かに荒く、鼓動も早い。トゥエルは確かに、姉の痴態を覗き見て興奮していた。
エレーナの状態を確認し終えたトゥエルは、片目に映る視界を更に拡大させていく。大蛇の群れに埋もれた、淫らな姉の姿を。その歓喜にみちた表情が、まるで目の前に居るように、はっきりと見えるまで。
音声までは拾えない。そこまでの機能を有したパーツは未だ、手に入れていないからだ。だが、トゥエルの耳にははっきりと、姉の甘い喘ぎが聴こえてくるようだった。
ほとばしる下卑た欲望を受け止めるその度に、叫びにも似た嬌声が上がる。
その身を埋める大蛇が抜け落ちる度に切なげな呻きを漏らし、新たな大蛇がその身を抉る度に悦びに喘ぐ。
はぁはぁ……はぁはぁ。いつしかはっきりとわかる程に息を荒げたトゥエルの片目と、映像の中のイリヤの瞳が交錯した。見えているわけが無い。ナノマシンの大きさは空気中を漂う埃よりも小さいのだ。だというのに、トゥエルの視界に映る姉は確かに、何もない虚空である筈のトゥエルを見つめて――笑みを浮かべていた。
(くぅっ……。いや、見えてるわけが無い。落ち着け僕。たまたまだ。姉さんは僕がいつも覗いてる事なんて気付いてない。よし、救出に集中しよう)
心の中で自らを落ち着かせ、洞窟に向かって走り続けていたトゥエルは意識を仕事に集中させる。もう入り口は目の前なのだ。簡単な仕事とはいえ、失敗は許されないのだから。
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