第5話 イリヤの武器

「ねぇトゥエル……まだなの? もう姉さん我慢できないんだけど……お腹空き過ぎて死にそうよ……」

「もうちょっと待ってて、姉さん。標的だけならともかく要救助者がいるんだから慎重に行かないと」

「それはそうだけど……もう二週間近く食べてないのよ……」

 

 ベゾフ村を出立してから小一時間ほど車両を走らせたトゥエルは、目的地である洞窟の手前にある岩陰に隠れるように車輛を停め、片目に装着した多機能スキャナーの下の眼球をせわしなく動かしながら姉と問答を繰り返していた。


「うん、確認した。洞窟前に4人、内部の浅い広間に40人、10人少ないけど――ってマジかぁ……」

「いつもながら便利ね。その機能。遺跡で見つけたのを売らないで良かったわ。で、何か見つけたの?」

「奥の壁からロスト・エイジ時代の遺跡に続いてる。残りの10人はその中みたい」

「うそっ! ここらへんにあるとは聞いてたけど、まさか野盗団とセットで見つかるなんてラッキーね」


 トゥエルの硬めに装着されたモノクル状の装置は、ロスト・エイジの遺跡から稀に見つかる遺宝レリックの一つだ。

 単体でも生体スキャンや赤外線などの各種電磁波の観測が可能な優れモノであるのだが、同じ様に遺跡から出土する様々なオーパーツを操るインターフェイスとしての機能が本来の使い方だ。トゥエルが所有する超小型ナノマシンもその一つである。医療用、観測用、攻撃用と様々な効果を持つナノマシン群を多機能スキャナーを通して操作し、姉をサポートするのがトゥエルの主な役割なのだ。


「なぁ……姉ちゃんは……その……なのか?」


 恐る恐る……といった口調で、涙をこらえながらトゥエルに尋ねるケント。彼とてもう13歳だ。野盗に拉致された女がどの様な扱いを受けるのか、知らない年では無い。姉の婚約者はとても誠実な人間であったが、それでも傷物にされた姉を見てどう思うかはわからなかった。


「うん。エレーナさんを確認した。無事だね。どちらの意味でもだよ。奴隷商に売るつもりだったのかな?」

「良かった……。姉ちゃん……本当に良かった……。ありがとう……二人とも……ううっ……ぐすっ」

「まだお礼には早いかな。もう少しだけその言葉と涙はとっておこう。姉さんも、今まで我慢ご苦労様。ようやく食事にありつけるよ」

「やった! 全部食べるから! トゥエルは手出し禁止よ。私が全部食べるの」

「食事って……結局イリヤ姉ちゃんのご飯ってなんなの?」

「だからそれはまだケントには早いんだよ。あと姉さん、勿論そのつもりさ。作戦を伝えるよ。まずは――」


 赤錆剣団の団長の気まぐれで、エレーナの貞操は無事であった。勿論そんな事は知る由も無い一行であるが、二人と出会えたケントの運と合わせても、この姉弟が強運の持ち主である事は疑うべくもないだろう。


 トゥエルが二人に伝えた作戦の内容は、極めてシンプルなものであった。ケントなど、あんぐりと口を開けて驚いたまま固まってしまっているくらいだ。ムチャクチャだ。あり得ない。そんな心の内が手に取るようにわかる表情だ。


「まだ陽は高いけど、あの程度のザコなら問題ないでしょ。どうやら精鋭は遺跡に潜ってるみたいだしね。鬼の居ぬ間に宝物は頂いて、ついでに露払いもしておこう」

「じゃあ行ってくるわね。ケント君は暇だろうけど大人しく待っていて頂戴。よっ……と」

「えっ……それ、剣だった……の? 大きすぎない?」


 軽装甲車輛タンク・バンの後部ドアを開いたイリヤが、枕代わりに使っていた長大な何かから布を取り払って背に負う。それは剣と呼ぶには余りにも大きすぎた。


 刀身だけでも身長170cmのイリヤとほぼ同じぐらいの長さ、柄を含めればその全長は二メートルはある。鞘に納まっているとはいえ、身幅はイリヤの腰よりも広い。

 分厚さに至っては大人の拳ほどもある。少なくとも重量300キロはあるだろうソレは――。


――まさしく鉄塊と呼ぶに相応しい巨剣であった。


「ふふ、カッコいいでしょう。これが私の愛剣よ」

「イリヤ姉ちゃんすげぇ……ただの怠け者じゃなかったんだ」

「お腹空いてる時は仕方ないのよ……いまでも実はこれ……重くて背負うのも大変で……というかちょっと重すぎない? なによこの金属の塊。ふざけてるの?」

「さっき愛剣って……。トゥエル兄ちゃん本当に大丈夫なの?」


 巨剣を背負い、車外に降り立ったイリヤがその重さに振り回されるかのようにふらふらとよろめきながら悪態を吐きだした。あまりにも情けない姿である。とても歴戦のハンターとは思えない有様であった。


「姉さんは空腹時と満腹時のギャップが凄いから……口調も少し変わるしね。食事をすれば軽々とあのバカでかい剣を振り回すんだよ。実際に見ないと信じられないかもだけどね」

「ふぅん……。確かにちょっと、信じられないなぁ」

「まぁ後になればわかるよ。とにかく姉さんに任せておけば問題ないから」

「トゥエル兄ちゃんが言うなら……。イリヤ姉ちゃん無理はしないでね! 俺、エレーナ姉ちゃんが助かってもイリヤ姉ちゃんが死んだら嫌だよ」

「姉さんって死ぬのかな……。って何でもないよ。そこ、怖いから睨まないで!」

「ふん、まあいいわ。じゃあ今度こそ行ってくるわね」


 口を滑らせた弟にひと睨みを喰らわせた後、巨剣を背負ったイリヤは野盗団の潜む洞窟に向かうのだった。


 ※


「あーっクソっ! 早くヤりてぇなぁ、あの女」

「夜には団長が帰ってくるだろうから、それまでの辛抱だろ」

「団長はマクをぶち破るのが好きなんだろ? 口とか尻なら先に使ってもセーフじゃね?」

「それでぶっ殺されたヤツが過去に三人はいるぞ。命を引き換えにしたいなら勝手にしろ」

「マジかよ……。あーあ、早く帰ってこねぇかな、団長」

「どうせ下っ端の俺らに回ってくる頃にゃあガバガバだよ。街に行った時に娼婦を抱いたほうがマシかもしれんぞ」

「ユルくても今なら秒で出す自信があるぜ……二か月は女を抱いてねぇ」


 洞窟の入り口を守るようにたつ二人の男は、つい先日攫ってきた女の話題で盛り上がっていた。


 見張りというには弛緩しすぎた雰囲気だ。とはいえそれも無理の無い事だろう。大人しく金と女を差し出した村が、いまさら抵抗を企てる訳も無く、国の巡察隊には媚薬を嗅がせて見逃して貰っているのだ。警戒すべきは妖魔獣の類であるが、当然この場所を野営地と定めた時に周囲の掃討は済ませている。

 


「早漏かよ――待て、今何か、聞こえなかったか?」


 相方の男の呟きに、苦笑交じりに答えた片方の男が何かの物音を聞きつけた。


「あん……? おい、アレ見ろ。でっけぇ剣担いだおっぱいのデカい女が走ってくるぞ」

「お前、女日照りすぎて遂に幻覚が――ってマジじゃねぇか!」


 その言葉を受けて周囲を見渡し始めた男の目に、あり得ない物が映る。ついで、もう一人の男もそれを確認した。巨剣を背負ったまま笑顔で洞窟に走ってくる黒いレザースーツの女を。


「やぁやぁお待たせ。お届け物だよ」

「はぁ……?」


 余りに現実感のない光景は、時として人間の判断を狂わせる。


 首元から臍までファスナーを降ろし、こぼれんばかりの白い果実をぶるぶると震わせながら迫る銀髪の美女。これは白昼夢か、はたまた妖獣のみせる幻覚のたぐいか。


 吸い寄せられるように二人の男の視線が女の胸元に惹きつけられていく。おかしい。なぜあれほどに揺れて、更にはノーブラだと思われるのに、最も重要であろう桃色の先端部が見えないのか。ファスナーのガイド部分、エレメントで絶妙に隠されている先端部分が今まさに覗くか――と思われた瞬間。


「死を届けに――ってね」


――ズシャッ……。


「あ?」

「おえ?」


 水平に薙ぎ払われた鈍色の輝きを放つ鉄塊が、二人の男の胴体を巻き藁のように両断した。


 ※


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