第2話 少年の願い

「なかなか楽しい酒場ね」

「肝の据わった嬢ちゃんだ。相当な手練れだな? まぁ深くは詮索しないのが辺境の掟だ。今日は酒を呑みに来ただけかい?」

「良い情報があれば買いたいと思ってね。このあたりでロストエイジの遺跡の噂とか……無いかしら?」

失われた世紀ロスト・エイジね。あんたら遺宝レリックハンターだったのか」


 ハンターと一口に言ってもその内訳は様々だ。

 かつての大戦争で創り出された人造の化け物や、様々な妖異を相手取るモンスターハンター。野盗や指名手配された賞金首を狩るマンハンター。そして、最も危険と言われているのが、今なお防衛装置が稼働するロスト・エイジの遺跡を探索するレリックハンターである。


「別に専門てわけでもないのだけどね。一番実入りが良いってだけよ」

「そう言える奴がこの酒場に何人いるやら……しかしそうだな……出し渋る訳じゃなく、その手の話は聞かねぇな」

「元々アテはあるのよ。この街に寄ったのは9割補給目的ね」

「その情報……高く買うぜ?」


 宝の臭いをかぎ取って鋭くなったマスターの視線を受け、イリヤの空色の瞳が悪戯っぽく輝いた。


「私たちが荒らした後で……ね」

「そりゃそうだ。それでも今まで未発見の遺跡情報なら大枚はたく価値はあるさ。あんたらの無事の帰りを祈ってるよ」

「うふふ、ありがと。ところでマスター。ここの二階って――」


――バタンッ!


 マスターに何かを問いかけたイリヤの言葉を遮って、酒場のスイングドアが大きく開かれた。ついで、息を切らした少年の声が酒場中に響き渡る。


「誰かっ! 誰か助けてっ! ここには強いハンターが沢山いるんだろ?! 姉ちゃんを助けてっ!!」


 酒場は、水を打ったように静まり返っていた。どのハンターも難しそうな表情を浮かべている。切羽詰まった子供の依頼も無くは無いのだ。ただ、そんな子供が仕事に見合うだけの依頼料が払えるケースは極めて稀なのである。


「落ち着け坊主。とりあえず水でも飲め。詳しい話を聞いてやる」


 マスターの言葉に、それまで意識していなかった喉の渇きを覚えたのだろう。乾いた泥と砂に塗れた少年がよろよろとカウンターに向かい、グラスに入った冷たい水を味わう様に飲み干していく。 

 辺境では一杯の水もタダではない。マスターの純粋な厚意だろう。もしくは、カウンター越しに話していた美女の心象のためだろうか。


「ゴクゴク……ぷはっ! 俺の村に野盗団が来て……村の金を半分寄こせって……」

「よくある手口だな。金だけ払わせればまた後々金を奪える。狡猾だが、略奪や殺しをしないだけマシな部類か」

「でも……村の奴らがっ! あいつら、姉ちゃんがよその村に嫁ぐことが決まったからって……振られたからって……ちくしょう!!」

「ゆっくりと事実を話せ少年。俺たちはなんにも知らんのだ」


 興奮した少年が、村人への憎悪を剥き出しにて拳を握り締める。

 その後少年が話した内容を要約すれば、こういう事であった。


 村に現れた野盗団は、村の年間予算の半分を要求したのだ。それを渋った村の長と青年団は、自分達に靡かなかった美しい少年の姉を野盗団に引き渡す代わりに、年間予算の25%にしようと画策したのだという。

 野盗団と交渉した結果は少年の姉と予算の30%という事に落ち着いたらしい。それを聞いた少年は、村の共有厩舎から馬を持ち出して街まで駆けてきたというのだ。姉を救えるハンターを探すために。


「坊主。野盗団は名乗らなかったか?」

「確か、赤錆剣団って……」


 少年の出した名前に、酒場がどよめいた。険しかったハンターたちの表情が、更に険しくなる。


「赤錆剣団。たしか傭兵崩れのやつらか……立派な賞金首だな。たしか……大陸金貨2000枚だったか、誰かいけるか?」


 マスターの言葉と視線を受けて、ハンターたちが被りをふった。2000枚といえば賞金首のなかでも中々の大物である。10級から1級まであるハンター階級の中でも、2級以上を10人は集めねばならない程の規模だ。


「むりだってマスター。ここでくだ巻いてるのは精々4級どまりのやつらだ。100人集めりゃ狩れるが半分は死ぬぞ」

「なぁ坊主。悪い事は言わねぇ……運が悪かったと諦めて、姉ちゃんの事は忘れて生きろ」

「ああ、そもそも幾ら出せるんだ? 賞金を分けたとしてもとうてい命をかける割にゃあ合わねえぞ」


 男達は口々に少年を諭していく。嫁に行く直前で野盗に攫われ、人買いに売られたり、野盗たちの慰み物になって飼われる。理不尽な悲劇だ。だが、辺境ではありふれた悲劇でしかないのだ。


「金貨……一枚だ」

「一枚!? だあっはっはっは! 流石に金貨一枚じゃ命は張れねぇ。すまんな坊主」


 硬く絞った巾着から、おずおずと取り出した金貨をカウンターに乗せる。所々錆びの浮いたそれは、どう見ても混ぜ物の多い劣悪な金貨だ。そもそもメッキの紛い物かもしれない。当然、金貨一枚の値打ちは無いだろう。


「なんだこの金貨! 錆びてやがる! おいおい金ってのは錆びるのかよ。笑えるぜ」

「偽金だろ? 価値は銀貨一枚分くらいかこりゃ。銀貨一枚で赤錆剣団をなんとかしろとよ! ガキのお使いじゃねぇんだぞ!」


 街のハンター酒場に辿り着きさえすれば、強いハンターたちがこぞって助けにきてくれると信じていた。少年が好きな物語の通りに。しかし現実は残酷だった。


「うるさい! 臆病者のチキンハンターなんてもう頼らねぇよ! 俺一人で姉ちゃんを連れて村から逃げてやる!」

「癇癪起こしちまったよ。逃げるのは止めた方がいいぞ? もし隣村の嫁ぎ先を頼ろうってんならもっと悪い。逃げてもどうせ追跡される。野盗をわざわざつれてきたお前を村人たちがリンチにして殺しかねないぜ」

「くそっ……どうすりゃいいんだよ……。俺のたった一人の家族なんだ。流行り病で死んじまった父ちゃんと母ちゃんに代わって俺を育ててくれた、苦労を掛けたたった一人の大事な姉ちゃんなんだよ……やっと……やっと好き合った男と結婚して幸せになってくれると思ったのに……畜生……畜生ッ!!」


 錆びた銀貨を握りしめ、床に座り込んで少年は慟哭した。涙と鼻水だらけの顔をくしゃくしゃに歪めて……姉の身に降りかかった不幸を嘆き、嗚咽と共に憎悪を喚き散らす。だが、辺境では日常の出来事でしか無いのだ。誰も彼もが日々を必死に生きて、それでもなお襲ってくる理不尽に耐えるしかないのだ。



「イリヤ姉さん」

「ん? トゥエル、どうかしたかい?」


 二杯目のミルクを堪能していたトゥエルが、イリヤに声を掛けた。


「いいかな?」

「勿論さ。私たち姉弟のモットーは好きな時に好きな事をしよう。だからね」

「ありがとう姉さん」


 二杯目のミルクを飲み干したトゥエルが、椅子から立ち上がり、床にくずおれたまま慟哭し続ける少年の肩に手を乗せた。


「なんだよ……アンタもからかおうってのかよ……もう好きにしろよ。ハンターなんて皆、意気地なしの玉無しどもだ」

「金貨を僕にも見せてくれないか? 盗ろうってんじゃない」


 下を向いていた顔を上げ、トゥエルの黒瞳を見上げる少年。どこまでも澄んだ瞳には、少年を嘲笑おうとする気配は一欠片も存在してなかった。


 藁にも縋るように、少年は錆びた金貨をトゥエルに渡した。


「少し待ってくれ。ふむ……数十年前に滅びた国の金貨だな。末期には粗悪な金貨が大量に造られたらしい。国が無いから貨幣的価値も無い、金の含有量も極少量、銀貨一枚でもまだ高いな」

「追い打ちかよ! 兄ちゃんには人の心が無いのかよぉ……うわあああああん!! 姉さん……ごめん……ごめ――」

「――だがっ! 姉を想う弟の心に価値など付けられない! であれば! 僕はこの錆びた金貨と、君の姉への想いを買おう」

「へっ?」


 なんだかいきなり変なテンションになったトゥエルに、困惑する少年。そこにイリヤが助け舟を出すかのように答えた。


「依頼を受けるって事だよ。君、ラッキーだったねぇ。私たちがいるタイミングでここに来るなんてさ。安心して、君のお姉ちゃんは必ず助けるよ」

「いいの? 本当に助けてくれるの? ううッ……ありがどう……ほんどうにありがどう゛……グスッ……この恩はずっと忘れません」


 トゥエルには少年の心が痛いほど理解できた。

 家族と呼べるのは姉一人だけ、もしもイリヤが危地に陥ったならば、命をなげうってでも助けるだろう。とはいえトゥエルには、イリヤが危地に陥るなどという事態は欠片も想像できなかったのだが。


「お前らボサっとすんな! 二人が片付けてくれるってよ! せめて補給や修理の手伝いくらいしてやれ!」


 どこか安堵したような表情で立ちつくしていたハンターたちに、マスターが発破をかけた。それくらいの役には立て。という事だ。


「うっす!!」

「勿論! 車輛技師呼んでくるぜ!」

「二人共、武器の手入れはいるかい? 鍛冶職人もよべるぜ?」

「じゃあお願いしちゃおっかな。皆よろしくね。少年はすぐにでも行きたいだろうけど、私たちの軽装甲車輛タンク・バンが壊れかけでね。修理が終わり次第、君の村に向かうから、少しだけ待っててね」

「ありがとう……ホントにありがとう……ううっ……」


 大事な姉を助け出せるかもしれない。眼の前の二人の実力は未知数なれど、希望は繋がったのだ。

 少年は走りづめで限界に達していた肉体をカウンターに突っ伏すと、しばしのあいだ睡眠を貪るのであった

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