妖剣士イリヤ

しんちゃん

妖星乱舞ノ章

第1話 姉弟

 瓦礫と赤錆びた金属が点在する荒れ果てた荒野を、一台の軽装甲車輛タンク・バンが喘ぐように進んでいた。酷使され続けたエンジンは断末魔の如き悲鳴を上げ、軋むスプリングは今にもバラバラに分解してしまいそうだ。


 空調機構なぞとうの昔に壊れ、車内はうだるような暑さに包まれていた。そんな地獄の窯の内部のような車内で、運転席に座る少年がイラついた口調を隠しもせずにがなりたてている。


「イリヤ姉さん! いくら格安だったからってこれはひどいよ! 次の街まで持つかどうかっておんぼろ具合じゃないか! だから姉さんに買い物を任せるのは嫌だったんだ!」

「あ゛ー……暑い……。もうだめ……私はもう死ぬわ……最後にイケメンに抱かれて死にたかった――ガクッ……」

「ガクッって自分で言う余裕あるじゃん! それに僕の分まで水を飲み干しやがってこの腐れ姉!」


 思わず後部座席を振り向いた少年、トゥエルの目に、二つの巨大な山が飛び込んできた。車体の振動に合わせて妖しくぷるぷると揺れるそれは、大の字に寝そべってなお、天を突く様に張った、トゥエルの姉であるイリヤの巨乳であった。 


「トゥエルのモノは私のモノ……姉を生かす為に犠牲になりなさい……あ゛ー……水がほしいわ……」

「姉さんが全部飲んでもうねぇよ! ボケェッ!!」


 まるでおっぱいそのものが返事をしたかの様な奇妙な錯覚にとらわれた少年が、吐き捨てる様に姉を罵倒した。

 汗と誇りに塗れ、鬼の形相で吠える弟と、死にそうな声色で乳の揺れるがままに倒れている姉。だがどうして、知らぬ者がみればハッとする程に他者の目を惹く姉弟であった。


 幼げな雰囲気を漂わせる面差しなれど、黒髪と黒瞳に強い意志の光を宿し、身長160程しかない華奢な肉体にも関わらず軽装甲車輛タンク・バンを操る腕前は本職のライダー顔負けの弟。旅人が好んで着る、ポケットが幾つも付いたレザージャケットに身を包み、片目にはモノクルの様な形状をした多機能スキャナーを装着している。


 流れる様な銀髪を肩口まで伸ばし、ウルフカットに仕立てた姉は空色の瞳にきりりとした眦の絶世の美女。ぴっちりとした黒革のレザースーツに包まれた胸と尻はこれでもかという程に張り詰めているのに、信じられない程に細い腰がいやがおうにも男の視線を吸いつけて離さない。弟よりも更に10センチは高い身長ゆえに、その肉体の比率はまるで神が創り上げた黄金比の様に妖艶であった。暑さをしのぐためか、首元からファスナーをへその辺りまで降ろしているので、ブラをつけていないのがまるわかりである。


「まだお昼かぁ……いいわ。いざとなったら夜まで待って、なんとかするから」

「騙し騙しやってるから宿場町までは持つよ。いい車輛技師がいるといいんだけどね」

「そうね。修理を済ませて補給をして……あとは美味しいご飯のイケメンマッチョがいれば文句は言わないわよ」

「うるせぇ姉ビッチ! 修理の手配も補給も全部僕がやるんだよ! 姉さんは遊ぶだけじゃん! 許せねぇ~!!」

「あら、私もやった方がいいかな?」

「やめろ下さい。僕だけの方がマシだよ」


 姉に任せてはまたムチャクチャな買い物をしてきたり、不必要な揉め事を土産として持ってくるに違いないのだ。勘弁してくれ。と、弟は大きな溜息を吐いた。癪だが、怠けさせておくのが一番なのだ。


 ※


 かつて、この星の人類は栄華の絶頂を極めていた。

 

 全ての国を繋ぐ言語翻訳機能付きの通信ネットワーク。大陸の地下に埋め込まれ、安定した気候をもたらして災害を防ぐ気象操作魔導装置。遥か彼方の星々と母星を行き来する恒星間エーテライト旅客機。人々は世界の隅々にまで手を伸ばし、星辰の彼方までも手中に収めんとしていた。

 

――だが、全ては昔日の夢だ。


 通信ネットワークは電子の海と共に干上がり、気象操作魔導装置は狂った天候を創り出す悪魔の機械になり果てた。恒星間エーテライト旅客機は数多の星々で朽ち果て、宙の航路で残骸となって打ち捨てられている。


 そして人類は、滅びの残照のただなかにあった。


 今はもう原因すらも定かではない理由によって、かつての人類は宇宙規模の大戦を引き起こし、自らの文明を滅ぼしたのだ。千億とも伝わっている総人口は僅か数十万人にまで減り、人類は長い黄昏の時を過ごす事になった。


 文明崩壊カタストロフ以前、人類が最も栄えた時代は失われた世紀ロスト・エイジと呼ばれ、今もなお壊れた世界を逞しく生きる人々の間で伝説となっている。

 

 そして物語の舞台は文明崩壊カタストロフ以降、5000年後の世界。かつての大戦争により一変した世界を、再び人の手に取り戻さんと人類が抗う混沌の時代である。


 ※


 陽光が燦々と照らす荒野をおんぼろ車で駆け抜け、やがて二人は宿場町へと到着した。まずはハンター酒場に向かい、建物の横にある駐車スペースに軽装甲車輛タンク・バンを停める。電子キー、所有者以外への防衛攻撃装置も忘れずにセット。ハンターから車を盗むバカはそうはいないが、僅かなリスクすら潰すのがハンターの鉄則である。


 ハンターズ酒場のスイングドアを蹴りあけ、イリヤは肩で風を切ってバーテンの男の許へと向かった。辺境の酒場の場合、バーを取り仕切るのはギルドマスターか、またはそれに準ずる立場なのだ。


「えらい威勢のいい奴がきたな……。ガキにはミルク、嬢ちゃんには甘ったるいジュースがいいかな?」


 辺境を旅してきたハンターと思しき若者。それなりに実力に自身があるのだろう。だが、向こう傷の一つも無い可愛らしい顔立ちの少年と見目麗しい美女の組み合わせだ。荒くれの多いハンター酒場で悪目立ちしてしまうのは当然であった。


「俺たちのミルクでも振舞おうか? から飲み応えがあるぜぇ……ぎゃははは!」

「俺はむしろ嬢ちゃんのミルクが飲みてぇなぁ! あんだけデケェんだ。きっといい乳が出るぜ!」


 周囲から囃し立てる男達を止めるでもなく、にやにやとグラスを磨いているマスターに、穏やかな笑みを崩さぬままのイリヤが答えを返す。


「一番キツイのを頼むわ」

「くくくっ……。ぶっ倒れてもしらんぞ」


 二人の前に二つのグラスが置かれる。トゥエルには近場の牧場から朝送られてきた新鮮なミルク。イリヤの前には琥珀色の液体で満たされた酒杯。


「っと……これを忘れてたぜ。ほらよ、ウチで一番キツイ奴だ」


 マスターがカウンター下から厳重に油紙で幾重にも包まれた小箱を取り出して開き、中身の粉末を大匙一杯分イリヤのグラスに投入する。すると、琥珀色の美しい液体がみるみるうちに赤黒く濁り、グラスの縁から噎せかえるような悪臭を放つガスがもうもうと立ち昇り始める。


「おい……ありゃ火龍酒じゃないか? あの嬢ちゃん死ぬぞ」

「流石に呑まんだろう……吐き出して笑いものになるのがオチさ」


 辺境の酒場では、安価で刺激を味わえるようにと酒に混ぜ物をするのが普通だ。死なない程度の毒物を入れるのは当たり前、常人よりも遥かに鍛え上げられた肉体を持つハンターであれば、混ぜる品はより過激になっていく。たとえば……一息浴びせかけただけで人体をドロドロに溶かしてしまう火龍の毒腺をパウダーにしたものなどだ。


 一口呑めば、常人なら消化器官が溶け崩れて即死。ロストエイジ時代の遺伝子改造処置によって、時折現れる変異人ミュータントが大半を占めるハンターたちでさえ、昏倒は免れない。本来であれば小指の先の爪ほどしか入れない代物だ。かような酒場で美女が意識を失えばどうなるか、幼な子でもわかるだろう。


「おおっ!?」

「マジか!? 死ぬぞ!」


 グラスを持ち上げ、劇物と化した液体に躊躇わずに口をつけたイリヤに、マスターを含めた男たちが驚愕の叫びを上げた。


「んっ……んっ……ふぅ。中々に刺激的な味わいね」


 コトリとカウンターに置かれたグラスにたっぷりと注がれていた筈の液体は、半分ほどにまで減っている。並のハンターであれば間違いなく致死量だ。


「すげえ……」

「ホントに呑んじまいやがった」

 

 まじまじとその様子を見ていた周囲のハンターたちがざわめく。

 劇物と化した酒を、それも微笑みすら浮かべて堪能したイリヤに、殆どのハンターたちが敬意を露わにしていた。だが、今だ納得できぬ者もいたようだ。


「マスター! 美人だからって加減したな? もしくはイカサマだろう! 俺が確かめてやる!」


 どかりと鼻息も荒くイリヤの隣の席に座り込んだのは、見上げる程の巨漢だ。

 目測三メートルはある身長と、荒縄を幾本も縒り合わせた様な筋肉をもつ大男だ。まず間違いなく巨人系の変異人ミュータントだろう。


「得物も持たねぇで歩き回るなんてよぉ……ぐへへ、ちっと不用心じゃねぇかぁ? 姉ちゃんよ」

「あら、心配してくれてるの? 優しいのね。うふふ、でも大丈夫。頼もしい弟がついてますから」


 男の視線がちらりと、イリヤの隣でミルクを味わっているトゥエルに向かい……すぐさま目の前で揺れる双丘の谷間にもどる。大きく胸元を開けたレザースーツからは、たわわな果実が今にも零れ落ちそうだ。


「そんなモヤシみてぇな弟で大丈夫かよ? とりあえずアンタのイカサマを暴いてやる。したらその後は……オレ様が用心棒になってやるぜぇ……代金はそのカラダでいいからよぉ――」


 背後からこっそりと、美女の華奢な腰に片手を回しながら……男はイリヤのグラスを摘まみ上げて一息に呷り――。


「グェッー!!」

「あらあら。身体は大きいのにお酒には弱いのね」


――潰れたカエルの様な呻きと共に背後に倒れ込んだ。


「あいつバカだな」

「どうみてもイカサマとかじゃないよな。つーかあんな美女が辺境を旅してんだ。弱い訳ねぇだろ」


 なりゆきを見守っていたハンターたちがうんうんと頷き合う。ただ綺麗なだけの美女が、たった二人だけで生と死が隣り合わせの危険な辺境を旅するわけが無い。それはつまり、危険を物ともしない強者の証明なのだ。

 

「この馬鹿の連れはいるか? いないなら誰か外に放り出しとけ。あと、財布から銀貨二枚抜いて嬢ちゃんに渡しとけ。酒代だ」


 マスターの言葉を受け、何人かのハンターが協力して男の巨体を持ち上げて表に放り出した。その後、銀貨をイリヤに渡す役を巡って争い始めたのはご愛嬌だろう。


 ※


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