五
§
山と山。その隙間の細長く僅かに開けた土地であった。人々が切り拓いた田畑があり、それを耕す者達が住む家が数軒あった。
その家々の内と外に、血を流し動かなくなった人々が横たわっていた。それを踏み付けながら嬉々として食料や金目の家財を運び出すのは黒装束の男達だった。
「兵糧は現地調達」
家主を失った家の縁側に、男はどかりと腰を下ろして握り飯にかじり付いていた。金色の鎧、朱の着物、それらを下から突き上げんばかりの筋肉。黒髪を逆立てた三白眼の男だった。
「タヂカ将軍、現地調達も控えめになさっては如何かと。今この国、アマツの朝廷に気付かれては厄介なことになります」
握り飯を食らう男、タヂカへ向けて、低頭してそう進言する男がいた。女と見紛う程眉目秀麗であったが、青白い顔をした長髪の男だった。碧色のゆるりとした着衣だ。
「ふん。五の盟約か」
「はい。アマツに勘付かれれば、侵略と捉えられ兼ねません。なれば、他国に攻め込まれる口実となり得ます」
「それはそれで面白い。イビよ、もう二つ、三つ村落から調達しにいくか?」
イビは低頭したまま首を横へ振った。その頬を冷たい汗が這い伝って地面へ落ちる。やりかねない。タヂカの性質を知るイビは、その煩悶の声を喉の奥で堪えた。
「戯れだ。面を上げよ」
イビは深く息を吐いた。その間に、タヂカはまだ拳大に残っている握り飯を一飲みにする。イビはすかさず水筒を差し出すと、タヂカはそれを掴み喉を鳴らしながら水を胃に流し込んだ。
「で、センエの奴らはどうだ?」
「もう少しでオボロが戻って来るかと」
と話していると、すぐ傍の何もない場所で影が揺らめいた。
「オボロか?」
イビが影に向かって声を投げた。すると、影は人の形を成した。髪は短く、毛先はトラバサミで刈ったかの様に不揃いであるが、女であった。肌は透き通る様に白く、目鼻立ちがくっきりとした彫りの深い顔立ちである。体に張り付くようなピタリとした装束で、その引き締まった女性らしい体の線が強調されていた。
美しい。イビはタヂカの前で決して出せぬ声を、その内でオボロへ向けて放った。
「奴らどうだった?」
オボロはタヂカの前に片膝をついた。
「中々侮れない連中かと。術士が数十名おり、熟達した者もおります。何より個々の戦闘能力の高さです。見たこともない武術で戦っておりました。おそらく、センエの一族独自の武術かと」
「ほう、中々面白い奴らだな。氣法士はいたか?」
「数名。うち一人、恐ろしく強い老婆がおりました」
「うむ。そいつが一族の長だな。で、肝心の『堕龍人(だろうど)』は?」
「はい。それらしき童が一人。デンがその童に拳の一撃で討ち取られました」
「まあ、あいつはデカイだけの奴だったが、十人力はあった。うむ、間違いなさそうだ。山奥の彷徨う猿部族に俺をわざわざ遣わすなど、嫌われているとはいえ、王も、いや、神帝も気が狂ったかと思ったが」
イビは一瞬目を見開いた。城下で、いや、国内でそのような発言をしたら死罪は免れない。もっとも、このタヂカ将軍を死罪に出来る人間がこの世にいるのかどうか。
「神帝も、あの『千里眼の堕龍人』の提言を受けてのことでしょう」
誤魔化し。責任転嫁。とにかく、これ以上タヂカが神帝の陰言を口にするのはまずい。焦りを帯びたのかイビの声は若干上ずった。
「あれのせいか。俺でさえあの堕龍人の姿はまともに見たことはない。得体の知れない奴にこの俺が動かされるのは、正直気に食わん」
「そうでしょう。して、センエの奴らは如何しましょう?」
「そうだな……」
タヂカは顎を摩った。イビはその僅かな間隙にオボロへ向かって視線を投げた。
「タヂカ将軍自ら動かれる必要はないかと。このオボロとイビ、そして残りの兵がいれば奴らを締め上げることなど造作ないかと」
オボロはイビの意図を上手く読み取ってくれたようだった。イビはタヂカに覚られないように再び息を深く吐いた。
「うむ、それはそれで面白味がない」
「では、すぐに御出立を? 奴ら何かを察したのか、例の少年と他一名を使いに出し、子供と大人の半分を町へ向かわせたようです」
「一族の長は中々聡い奴とみた。大方、襲撃の目論見は勘付いたかもしれん」
「後一度でしたら、兵を送り込めます」
「いや、お前が魔術の使い過ぎで役立たずになっては困る。それに、俺は食ったばかりだ。昼寝もしたい。それに堅苦しいテイワの国を離れて、こうしてジン大陸の秘奥の神気を吸えて気分が良いのだ。嗜みにも興じたい」
そう言うと、タヂカは縁側に横になり眼を閉じた。イビとオボロは思わず顔を見合わせた。オボロは口元を歪め、あからさまに曇った表情をしていた。イビはまた違った意味で大きく息を吐きそうになった。
「オボロ。その堕龍人の餓鬼に張り付け」
二人の心境を読み取ったのか? イビは全身の筋肉を緊張させたが、オボロは違ったようだ。ただ真顔に戻っただけである。胆力はオボロの方が上だ。もっとも、タヂカから将軍から離れられる安堵もあったのかもしれない。
「御意」
オボロは影となって消えた。
「イビよ」
「はっ」
短く応え、主人に目を向ける。
「暇つぶしだ。お前もこちらへきて横になれ」
タヂカは相変わらず眼を閉じたままであった。だが、その口元には笑みが浮かんでいた。
タヂカ将軍の嗜みか。イビは嫌悪を吐き出すのを堪えて、主人の意のままになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます