五
「ユリ、楽にしてやってくれ。これはもう死んでいる」
牛頭法士は、大熊に背を向けて一つ息を吐いた。彼を覆う膨れた空気が元へ戻っていく。氣法を解いたのだ。
ゴウは背赤を見た。その意識は牛頭法士を追っているのかもしれないが、実際は震えるような地団駄を踏んでいるだけだ。
「あいよ。後始末といくかねぇ」
火狂いが歩み出て、牛頭法士とすれ違った。岩のような巨躯がゴウの元へやってくる。
「……大きい」
ヒナノが牛頭を見上げて声が漏れる。
「牛頭さん、見せてもらったよ。その……すごかった」
ゴウの頭の中を言葉が流れていたが、喉奥に堰があるかのように賛辞の語が簡単なものしか出てこなかった。それが酷く歯痒かった。
牛頭法士は微笑みを返すと、大きな掌でゴウの頭を包んだ。米俵を乗せられたように重い。しかし、暖かくじわりと芯まで届くものがある。それが呼水のように胸の奥から湧く何かがあった。ゴウは記憶を辿る。今までに感じたことのないものだ。
「見ていろ。ユリの術も、すごいぞ」
牛頭が見るように促す。火狂いへ眼を向けると、彼女は腰へ手を当て何やら思索しているようであった。
「そうだねぇ、ここはいっちょド派手に、一焼きかねぇ」
言った側から、彼女の前に鈍く赤い光の粒が集まっていく。大きな魔術に違いない。その量が凄まじい。火狂いが両の細腕を振り上げる。それに呼応して光の粒が炎と変わり、背赤を挟む巨大な二本の柱となった。
「
火狂いが両掌をパチリと合わせる。二本の火柱は、背赤へ向けて門扉が閉じるが如くに迫り、巨体を呑み込んで一つの柱となった。天へ立ち昇る巨柱は轟々と鳴り、その腹の中で見る間に大熊を灰へと変えていった。
「すごい……。あんな大きな魔術を、あんなに短い時間で放てるなんて……」
ヒナノが、呆けた顔をしている。魔術を使える者だからこそ、その難度を解することが出来るのだろう。
「後は燃え尽きるだけさ。退治は完結ってね」
火狂いが戻ってくる。虫取りでもしたような風情だ。彼女にとっては些末なことなのだろう。
「火狂いさんも、すごいね」
ゴウが口に出てきた賛辞をそのまま送る。
「ありがとよ。でも、その火狂いさんはよしておくれよ。ユリ。アタシの名さ」
ユリが片手を腰に当てる。それだけなのに、しなを作ったようで妙に画になっている。
「ユリさんに、牛頭さんか。えっとね、二人にお話があるんだけど……」
ヒナノが急に切り出した。言葉に焦りを帯びている。確かに少し時間を取った。急がなくてはいけない。
「なんだい? 用心棒の話かい?」
そんなことまで見抜けるのか。ゴウは一瞬そう思った。
「請負処で、入れ違いになったのだ。聞いたぞ。俺達を用心棒にしたい童の二人組がいるとな」
「しかもそれが、センエの一族の子らだって言うじゃないか。これは何やらのお導きだと思ったねぇ」
「どゆこと?」
ヒナノが不思議そうに首を傾げる。
「アタシらはセンエの一族に用があってねぇ。でも、定住せず山を巡る部族へ至るのに、どうしても案内役が必要だったって訳さ」
ゴウの中に走るものがあった。自分達が探していた人物もまた、こちらを探していたと言う。廻り合せ。それを感じる。
「用ってなに?」
ヒナノがいつものように丸い眼を向けて、無邪気に訊いた。
「蘇生術。それがどのようなものか、教示して頂きたくてな」
牛頭法士が野太い声ですぐさま答えた。それにユリは呆れ混じりで息を吐いた。
「ちょいと、牛頭法士。まあ、隠し立てするようなことじゃないしねぇ。あんたらは知って……ないようだねぇ」
ユリはゴウとヒナノの表情を読み取ったのだろう。蘇生術。ゴウはそんなものが一族にあるのか、いや、それがどんなものかすら知らない。キョトンとしたヒナノの顔から、彼女も同様らしい。
「えっと、じゃあ、一族の元まで来てくれるってことで、いいよね?」
「もちろんさ」
そう答えるユリに合わせて、牛頭法士も首肯する。
ゴウは懐へ手を遣り、金の大粒を取り出した。報酬だ。支払わなければいけない。しかし、牛頭法士は大きな掌を広げて首を横へ振った。
「俺たちは仕事に自信を持っている。手付けは取らぬ。報酬は、全て後で受け取る」
「それに、蘇生術はそんな金よりも価値のあるものだからねぇ。その秘術を教えてもらうのと交換で用心棒を請け負うってことで良いよ」
「うむ。俺達は、金儲けの旅をしているのではないからな」
では、何を目的として旅をしているのだろうか。ゴウはそれに興味を持つと同時に確信した。この二人には何かある。
「まっ、どうしてもって言うなら、頂いても良いんだけどね」
「ユリ」
牛頭法士の低く短い嗜めに、ユリは大袈裟に肩をすくめた。そのやり取りが妙に小気味良い。ヒナノが思わず吹き出した。
「でも、それなら私らじゃ判断出来ないな……。一族の長に相談してみないと」
打って変わって、ヒナノが眉をひそめた。彼女は転がるように表情が変わる。
「なら、少し急いだ方が良いねぇ。あんたらを狙ってる奴らは、かなり厄介だよ」
ユリが周囲を探るように眼を動かした。
「クレハ婆が用心棒を頼むくらいだから、かなりの奴らだと思うけど」
ゴウには、ユリが訊いた話から類推して評しているようには思えなかった。これは、目にした者を推し計って言っている。
「ここに見えている人の数と、人の氣を発している者の数が合わなかったのだ」
牛頭法士が腕を組んだ。その顔が険しくなる。ヒナノが大きく首を傾げた。耳が肩まで付きそうだ。
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