ウダツの町はコト川沿いの東側、山間の小さな盆地に開けた町だ。ひしめき合って山の頂から見れば狭いようにも見えるが、一万を超える人々が住む町である。実際歩き人物を探して回るには広い。

「さっきのおばさんの話だと、この辺りで見たらしいけど……」

 ヒナノが大きな眼で町中を見回した。ゴウもグルリと見るが、それらしき影はない。

 ゴウとヒナノが取ったのは、いく先々で誰かに訊いて回るという単純な方策だった。火狂いと堕龍人殺しは、特徴あって目立つ二人である。そんな単純なことが最も効果的だと思われた。実際、見かけたと言う者も多かった。

「次いこう、ヒナノ」

 これならすぐに見付かるはず。ゴウの中に確信めいたものがあった。

 情報を辿り、町を駆ける。気付くと町外れ、川原にいた。コト川が穏やかに流れ、そこへ藍色が幾筋か揺らめいていた。藍染の反物だ。ああして染物の糊を落とすらしい。

 川原の少し離れた場所に十人ほどの人影が見えた。無頼で派手な出立ちの者が多く刃の光が見えることから、退治屋達のようだ。

「あそこにはいないみたいだけど、訊いたら分かるじゃないかな?」

 ヒナノの言葉に頷き、ゴウは歩を進めその退治屋達に近付いた。

「おーい。そこのちっこい二人。こっちにくるな。危ねぇぞ」

 退治屋の一人がこちらに気付き声をかけてきた。

「どうして? 何かあるの?」

 ヒナノが子犬のように甲高い声で返す。そこに何かあるようには見えない。だが、何か起きそうな気はする。ゴウは忠告に構わず進み続けた。

「だから、くんなって。どデカい魔物がやってくるかもしれねぇ」

 苛ついた様子で言ったのは、丸坊主の男だった。薙刀を肩に担いでいる。

「どデカい魔物って、大熊の魔物のこと?」

 ヒナノが記憶を手繰り出したように言った。それがこの町の近辺を荒らしているという厄介な魔物なのだろう。

「ああそうだ。背中が赤いから『背赤せあか』って呼ばれてる奴だ。今、大勢の退治屋が川向こうの山ん中で、そいつとやり合ってる」

 丸坊主の男が指差した。

「大勢で? そんなに厄介なの?」

 ヒナノが次々に質問してくれる横で、ゴウが退治屋達を品定めする。やはりイカつく派手な見た目の男達と女達だ。魔術士の退治屋だろうか。軽武装の者がチラホラ見られる。いずれにせよ、センエの一族の長には遠く及ばない氣がする。

「厄介も何も、立ち上がると二丈、いや三丈はあろうかっていう化物だ。何故か知らないが、こんな町の近くまで辿り着いちまったらしい。夜に昼に神出鬼没な上に、大熊のクセに酷く臆病で用心深い奴でな。人一人掻っ攫ったらすぐに山へ逃げ込んじまう」

 魔物は人を襲う。実際、センエの一族は山の中で幾度も魔物の襲撃を受け、その度に退けてきた。だが、それは山の中を巡る一族であるからだ。大抵、町や村の近くには魔物は出没しない。それは元々魔物が発生しないような場所を選んで昔の人々は住処を決めたからだと、クレハ婆から教えてもらったことがある。

 その時だった。川向いの山林から、木が倒れるメキメキとした轟音が土煙と共に立ち昇った。その場にいる誰しもの顔に緊迫の色が現れる。

「アイツはヤベェぞ……」

 誰かの口から漏れた。木々の合間にその魔物の頭が見えたからだ。丸坊主の男が身の丈が三丈はあると言っていたのは、大袈裟な話ではなさそうだ。その姿が見えたのは、遠間であり川の対岸であるのにも関わらず、後退りする者もいた。

「ゴウ、あっちいこうよ……」

 ヒナノがゴウの腕を引く。

「ヒナノは向こういってて。俺はここにいる」

「何言ってるの? 大熊と戦いにきたんじゃないんだよ」

 確かに、ヒナノの言う通りだ。命の危機もあるのかもしれない。だが、見たいのだ。大熊の魔物、背赤も。それと戦う退治屋達も。ゴウの内にある何かが理屈を超える衝動となっていた。

 背赤の起こす土煙と轟音が、見る間に近付いてくる。

「くるぞ! 術士達、練魔まで行え! デカい魔術で一気に叩く!」

 女の退治屋が叫んだ。それに応えて幾人かの退治屋が眼を閉じて何やら集中を始める。ゴウは魔術に関してあまり詳しくないが、これは想魔だとか練魔だとか魔術を放つ前段階らしい。彼女達の周囲に淡い光の粒が集まっていく。

 山林の切れ目にその巨影が見えた。かと思うと、木の幾本が吹き飛び川へ落ちる。水飛沫が立ち昇るのに遅れて人の体が降り、川へ流れた。

 その向こうに大熊、背赤が後ろの二本脚で立ち前脚二本を空へ上げ、咆哮を一つ上げた。戦慄。それを眼にし、耳にした者に現れるそれは、空を伝わりゴウの皮膚を泡立てた。

「お、おい! 速く術を放て!」

「いや、まだだ! まだ、遠い!」

 退治屋達のそのやり取りが横で行われる間に、背赤は唸りを上げ地を割る勢いでこちらへ駆けてくる。立ち塞がる川の水は、その巨体に屈するかのように宙へ舞い散った。

「放て!」

 背赤が川の中ほどに差しかかるその時だった。一斉に魔術が放たれた。石の大雨が降り、風の鎚が叩き、雷撃が止めとばかりに大熊の巨体へ落ちた。水が煙となって立ち昇る。計った通り、直撃だった。

「やったか!」

 退治屋達の喜びは願いにも同じだった。が、それは瞬き一つの向こうで消え失せた。

 水煙が晴れる。川の真中でその姿を顕示せんと、二つの脚で立ち上がる大熊がいた。大口を開けて発する怒りの咆哮が空を震わせる。

「あれを喰らってピンピンしてやがる! 冗談じゃねぇぞ!」

 退治屋達は、悲鳴を上げて逃げ惑った。それを許さじと背赤は向かってくる。

「ゴウ、逃げよ!」

「ごめん、ヒナノ!」

 ゴウは一人、大熊へ向かって駆け出した。試してやる。息を一つ深く吸う。ゴウの纏う空気が揺らめき出す。氣法。その、見よう見真似だ。

「風の型、鉈駆なたく

 疾走し、地を蹴り跳ぶ。巨大な頭の寸でで身を捻り右脚を伸ばす。それらが合力となって足刀へ籠り、大熊の眉間へ突き入れた。魔物の巨体は弾かれたように仰け反った。まだだ。

 ゴウは地へ足を着けるとすぐさま背赤の脛へ前蹴りを入れ、そこを踏み台にして上へ跳び再び前蹴りを放った。膝、腰、鳩尾、胸、敵方の体を蹴り上るサンキのその技だ。

「風の型、揚雲雀あげひばり

 止めとばかりに、熊の弱点、鼻を蹴り上げる。深く達した感触がゴウの虎趾こしにあった。背赤が痛みの籠もった声を上げる。

 やったか。そう思うと同時に、ゴウは土と小石を巻き上げて地面へ叩き付けられていた。凄まじい速度と重さで、背赤が前脚を振るったのだ。まるで滝を流れ落ちる大岩を喰らったかのような衝撃だ。

「ゴウ!」

 ヒナノの甲高い声が、酷く遠くに小さく聴こえる。すぐには立てない。いや、全身が痺れて指の一本も動かせない。目が霞む。その視野に写る背赤の巨体が、前脚を掲げて倒れ込んでくる。潰される……。

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