『漆蜘蛛の予知夢』

 正夢まさゆめよりも性質たちの悪い夢に、予知夢よちむがある。その上さらに始末が悪いのは、そこに蜘蛛くもが出た場合だ。私は『蛇黒じゃこく廃屋はいおく』と呼ばれる長屋で、死蔵しくら終蔵しゅうぞうという男と会ってきたばかりだった。その男は私がそうしたように、最愛の女をくしたあわれな男だった。そのせいで話が合った。煙草たばこを飲み、酒を飲む男だったから、趣味も合った。私は元々、退魔たいまの仕事であるとか、刀屋としての仕事のつもりで長期滞在するつもりだったから、用事がたったの数時間で終わったあとは、酒盛りをして、各々おのおの自分語りに忙しかった。そして五日間ほど店を開けていた。私は太刀筋たちすじの師匠に当たる新羅戯あららぎ髑髏どくろから『新羅戯あららぎ刀剣店とうけんてん』という刀屋をゆずり受けていたものだから、そこは五日間店主不在だったのだが、つい最近にやとうようになった鍛冶士かじし架島かじま霧奈きりなに店の運営を任せていたのだった。私が『蛇黒じゃこく廃屋はいおく』から帰ってみれば、霧奈は立派に刀屋の売買を行っていた。自信のない霧奈だったので、私が出かける前は散々に「私では無理」というようなことを言っていたが、やはり霧奈は問題なく全てをこなしていたようだ。帳簿を見てみれば、むしろ普段よりも幾分いくぶんか売上が良いようなところもあった。

金輪際こんりんざい、一人での売買はしたくありません」霧奈は珍しく強気な発言をした。「零士れいし様にはお世話になっておりますが、この五日間、私は死ぬ思いでした」それは自信のない、臆病おくびょうな霧奈にしてはめずらしい言い切り方だった。「何がそんなに辛かったのか」と尋ねると、「殿方とのがたの視線です」と言った。なるほどそれは霧奈がいつもすそが極端に短いはかま穿いているせいだった。その上「胸にさらしを巻いているから平気だ」と言って上に着るものも薄手うすでのものが多い。霧奈にとってみれば、それは自分が動きやすいから、という理由でしかないのであろう。しかし男からしてみれば、肌の露出の多い服を着ている売り子である。好奇こうきの視線を向けられるのは致し方ない。私はこれを機に、店固有の制服でも作るべきかと考えた。この刀屋を大きくしてもうけを増やすという意気込みはないのだが、それにしても鍛冶士を迎え入れて店を営業しているとなると、そろそろ売り子専門の者を雇う必要もあるかもしれなかった。「とにかく今後は代理だいりを立てるよ」申し立てをしている間、霧奈は筋肉質な腕を震わせ、拳を握り、顔を真っ赤にし、今にも泣き出しそうな表情をしていた。それほど言うのが辛かったのだろう。私がその申し出を受け入れると、ほっとしたように、その場にへたり込む。やはり露出の多い服装だったので、内腿うちももを床につけるような座り方は、目のやり場に困った。ほとんど保護者の立場になっている私は、いつ霧奈に露出を減らせと言い出すべきか悩んでいた。

 陳情ちんじょうを受け入れたせいであろう、霧奈はその晩、家事に普段よりも気合いを入れた。鍛冶士が家事をするとなると、言葉の上ではどちらのことかは分かりにくいような気もするが、それは仕方のないことだ。同音異義語というものは、この世には多く存在する。それらを見極めるためには、人語を多く利用して会話をしたり、書物を読んだり、本を開いたり、空に浮かぶことばをいくつかついばむ必要があった。昨今はそういう作業を嫌う若者や老人が多いため、言葉が通じない層が増えている気もする。歴史を深く理解しろとまでは言わないが、日常会話に不自由しない程度の言語能力は是非ともやしなってもらいたいものだと思う。刀ばかりに傾倒けいとうして生きている霧奈は、それはそれで一つのり方かとも思うが、少しは本を読んで勉強をしてほしくもあった。まるでこれでは父親のようだな、と思ったところで、食卓が完成され、私と霧奈は卓袱台ちゃぶだいを囲むことになった。

「そう言えば、ここ数日、商売に専念するために鍛冶を断念だんねんしていたのですが」食事の途中で霧奈が切り出した。「店を閉めたあと、良い機会だからと裏の蔵を整理しておりました」「蔵。ああ、あるな」「あそこにあるものは、全て、零士様の刀術のお師匠様という、新羅戯髑髏先生の所有物なのでしょうか」刀術のお師匠様やら、新羅戯髑髏先生という物言いは、なんだか可笑おかしかった。師匠が聞いても、恐らく笑うだろう。「ああ、あれらは全て師匠のものだよ」「実は、そこに何振りか良い刀がありましたので、回収してきたのですが」「店に並べたのかい」「いえ、それは零士様におうかがいしてからと思いまして」「ちょっとあとで持っておいで」食事を終えたあとで、後片付けをしてから、霧奈は刀を何振りか畳の上に転がした。「日本刀が多いね」鞘に入ったままの日本刀や、刀袋に仕舞われたままの刀もあった。その中に一振ひとふり、他の半分ほどの長さもない短刀があった。嫌な予感、というよりは、妙な胸騒ぎがした。「長物ながものは一万円程度で売りに出しても良いかというものなのですが、問題はこの短刀でして」霧奈は短刀をすっと抜いた。鍛冶士だけあって、刀がよく似合う。「こちらの短刀ですが、妙に気になりまして。柄に『竹鏡たけかがみ』と彫られています」それがめいであるようだった。「刀だと思いますか」「いや」私は否定の言葉を口にする。「霊刀れいとうたぐいだろう」そして恐らくは、数十年前に『新羅戯刀剣店』に刀をおろしていた、篠橋しのばしあきらという鍛冶士による作品であるはずだ。「霊刀、ですか」「見たことはあるか」「話は聞いたことがありましたが、実物を見たのは初めてです」「どんな刀だと思う」「分かりません」霊刀の製造には、持ち前の感覚が必要となる。それはさながら、時代を数世代発展はってんさせられるほどの知恵や技術を持っていた発明家と同じようなものだ。出来ない人間にはどれだけ努力をしても出来ない。発想や才能、ひらめきが必要となる。「私は霊刀を作ることには向いていないと思います」霧奈は私の心の内を見透みすかしたようなことを言った。「私は刀のことばかり考えてきました。私の人生は刀に傾倒しています。そのために、それ以外のことをまったく知りません。世間知らずです。ですから、複合的な知恵が必要となる霊刀造りは出来ません」「それは仕方がない。人間には向き不向きがあるし、霧奈はまだ若いからね。その霊刀を作った篠橋晶という鍛冶士は、霊刀を造り始めたのは二十歳頃からだった」正確な数字ではないだろうが、師匠との関わり合いを考えると、妥当だとうな線ではあるだろう。「それまでに霧奈が他のことを学べば、あるいは霊刀を造ることも出来るだろう」「そうでしょうか」「分からんが、可能性はある」「零士様は、私が霊刀を造れるようになると、嬉しいでしょうか」「どうだろうな。霊刀は扱いを間違えれば参事さんじまねく。霧奈が霊刀を造れる鍛冶士に成長するのは嬉しいかもしれないが、店で売る気にはならんな」「そうですか」少し残念そうに、霧奈は項垂うなだれた。「零士様は、この刀がどういうものかお分かりになりますか」私は霧奈から、の『竹鏡』を受け取った。刀身はうっすらと緑色をびている。よくみがかれていた。名が体を表すのだとしたら、竹が材料として使われているのかもしれない。それを極限までいだのだろうか。「何故これが残されていたのか、不思議だな」「残されていたとは」「私の師匠は、私に『龍樹りゅうじゅ』という霊刀をのこして、その他の霊刀を処分した。そのはずだったが、一振り残っていたと考えると、それには何かの意味があるのかもしれない。これもめぐり合わせなのかもしれないな」私は霧奈に『竹鏡』を返した。「興味があれば持っていなさい」「良いのですか」「いざとなれば、私が持っている『龍樹りゅうじゅ』でその霊刀を折ることが出来る。気になるのだろう」「はい」「じゃあ、そうするといい」私は霧奈が竹鏡を欲しそうにしているのを見抜いていた。鍛冶士にとって、霊刀はあこがれの存在である。誰でも造れるというわけではない刀は、ある意味では聖典せいてんのようなものだった。

 話を終え、私と霧奈は就寝することにした。部屋は当然別々にしてあった。しかしながら霧奈は珍しいことに、「本日は、同じ部屋で寝てもよろしいでしょうか」と堅苦かたくるしく言った。霧奈に対してまったく異性としての感情を抱いていなかった私は、娘にそうしてやるように「構わんよ」と言った。霧奈は嬉しそうに布団を私の部屋に持ち込んで、飛び込むように布団に潜り込んだ。「五日間、寂しかったのか」電気を消したあとで私は霧奈に問うた。「思えば家にいた頃から、いつも歳の離れた弟と一緒の部屋で寝ていましたし、家には常に家族がいましたから、静かでも、人の気配を感じられました。しかし、昨日までのように誰もいない部屋で一人で生活するというのは、少々寂しいものでした」霧奈の声が少しだけ温かみを帯びて、暗い室内に浮かぶ。「零士様は平気なのですか」「私は長いこと一人で暮らしていたからね。霧奈がいる環境の方が、少し慣れないくらいだ」「すみません」「そういう意味ではないから気にしなくていい」「零士様の足手まといになっているのではと」「そんなことはないよ。霧奈のことは家族のように感じている。不本意かもしれないがね」「そんなことはありません」「それなら良かった。お互い様だ」私はふっと意識を暗黒あんこくに放る。「私は眠るよ、霧奈」「はい、零士様」「おやすみ」「おやすみなさい」空虚くうきょな中に静寂が埋まって、私と霧奈は意識をほうり出した。

 しかし睡眠というのは中々どうして自分の力だけではどうにもならないことがある。私が睡眠を取ると決めてからしばらくして、室内に妖類ようるいの気配がした。妖類と言ってもそれは妖類ではなかったかもしれない。ともかく私は部屋の中にうっすらとした明るさを見た。それは白い光のようであり、赤いもやのようでもあった。私は体を浮遊させているようだった。よく分からない。本当は浮遊させていなかったかもしれない。ともかく私は一切の体重を感じていなかった。室内にあった靄、というか、それとも光、というか、あるいはかいこの糸であるようなその何かさだかではないものは、もぞっと動いたかと思うと、光を私に向けた。光ではない。それは眼球であった。複眼ふくがんである。私はその複眼を見たことがあった。それはもう何年も前に見たものであるはずだったが、私の中では、毎日見ているものと同じと言っても過言ではなかった。それはうるし蜘蛛ぐもの複眼である。私はそれを知っていたし、それは当たり前のことだった。複眼は漆蜘蛛のものである。私は既に部屋にはいなかった。そこは『境界橋きょうかいばし』であった。『境界橋』というものは私はその時初めて知ったのだが、まるで昔から知っていることのようでもあった。漆蜘蛛は言葉をわす。人語だったが、それは口からは発せられず、糸も発射されず、ただ人語は私の脳に文章として、あるいは概念がいねんとして、もしくはそういう記憶として植え付けられる。「蛇の女は死んだか」それは漆蜘蛛の言葉だった。漆蜘蛛は蜘蛛の姿をしていなくて、着流しを着た男の姿だった。後頭部にお面を被せているが、それが何のお面なのかは分からない。果たして顔も分からなかった。靄がかかっているのか、私はその顔を認識出来なかった。「蛇の女は」声に出そうとしたが出なかった。しかし言葉としては伝わっていたようだ。「どうした」「死んだ」「そのようだ」「私が殺したわけではない」「かもな。だが蛇はそんなことは気にしない」漆蜘蛛は言う。「蛇はそんなことは気にしない」同じ言葉を口にする。あるいは私に直接伝えたのだ。「蛇は事実だけを目にして、気にする。蛇はそういう生き物だ。まさかお前はそれを知らなかったわけじゃあるまい」「知っていた」「あの蛇女は、蛇女は、蟒蛇うわばみの娘だ」蟒蛇というのは蛇の中でも地位の高い蛇だった。「幸女ゆきめは、蟒蛇の娘だったのか」「知らなかったのか」「まったく知らなかった。何故お前はそれを知っている」「当然だろう」当然のことだった。漆蜘蛛は何でも知っている。私は石の上に座っていた。漆蜘蛛は岩の上に立っている。石榴ざくろの木は背が高く、岩の上に立った漆蜘蛛は、木の枝から実った石榴に手を触れていた。「当然だろう」「ああ当然だ」「お前は蟒蛇を怒らせた」「私がか」「女にもてるのも災難さいなんだな」「つまり、蛇女にれられた時点で私の命運は尽きていたのか」「そういうことになるな。運命というものは、常にそうある」そうかもしれない。漆蜘蛛の言うことは正しかった。「助けがるか」「そりゃあ欲しいさ」「髑髏どくろはなんと言った」「誰だって」「お前の師匠さ」私の師匠のことであった。「髑髏はなんと言った」「いつだ」「別れの時さ」「霊刀れいとうをすべて処分すると言った」「それは正しい言葉だ」そう、師匠は正しい男だった。私はそれを知っている。常に正しくあって、気高かった。「だからな、あいつは霊刀じゃねえのさ。霊刀を全て処分すると言って、霊刀を残す阿呆はいない。お前の師匠は阿呆か?」「いや違う」「ならあれは霊刀じゃない」「なら、何だと言うんだ」「忌刀きとうだよ」「忌刀」「言わばお守りみたいなもんさ」「お守りか」「そう。髑髏はそれを置いていったのさ」「何のためにだ」「めぐり合わせだよ」私と漆蜘蛛は茶室で向かい合っていた。漆蜘蛛は手に石榴を持っていた。石榴から、血がしたたっている。人骨じんこつであった。髑髏しゃれこうべである。からからと歌を唄うその人骨は、私の方に眼窩がんかを向けていた。「いいか、忌刀は折るなよ」漆蜘蛛は低い声で言った。「忌刀は折るな」「何故」「それがお前の身を守るからさ」髑髏はからからと笑う。「それは、お前の娘か」私の隣には霧奈が布団に入ってすやすやと寝息を立てていた。「いや違う」「綺麗な髪だ」霧奈の髪は長い。寝る時はそれを下ろして眠っている。「良い髪だ。傷もない」「どうする気だ」「刷毛はけに使うのさ」「何のために」「漆を塗るんだよ」「どこにだ」「どこって、眼だよ」漆蜘蛛は手に持っていた刷毛で髑髏の眼窩に漆を塗っていた。「その娘の髪の毛をくれ」「断る」「そうか」漆蜘蛛は食い下がらなかった。「忌刀は折るなよ」「何故だ」「忌刀は懐刀ふところがたなにしておけ」髑髏がころりと転がって、顎を噛み合わせる反動で、私に。それはとても恐ろしかった。どんと腹の上に髑髏が乗る。私は仰向あおむけになっていた。

 はっ、と、私は自分に重さを感じる。

 夜にいた。

 部屋は私の部屋だった。

 隣には霧奈が寝ている。

 霧奈の足が私の腹の上に乗っているのが見えた。やはりこの娘は寝相が悪い。私がその脚をどけるために持つと、霧奈が目を覚ましてしまったようで、「零士様、その、そうしたこともあるかと覚悟はしておりますが」と寝ぼけているのか不明瞭ふめいりょうなことを口走っていた。「脚が腹に乗っていたんだが、退けて良いか」「す、すみません。寝相が悪くてすみません」霧奈はすぐに脚を回収して、布団の中に潜り込んだ。顔の上半分だけが掛け布団から覗いている。「なあ霧奈。あの刀はどこに仕舞しまった」「霊刀ですか」「ああ」「鍛冶場にあります」「おやすみ」「え、はい、おやすみなさいませ」私はしばらく霧奈を見て、彼女が寝付くのを待った。それから夢遊病むゆうびょうごとく鍛冶場に向かった。

 果たしてそこに『竹鏡たけかがみ』はあった。私はそれを手に取る。あれは夢だった。忌刀などという分類は聞いたことがなかった。けれど、あの真面目な師匠が、一振りだけ霊刀を遺していくとは思えない。夢は正夢ではなく、きっと予知夢だったのだ。私の未来を予言していた。夢は私の中にある。外部からの情報ではない。私はから未来の情報を得ていて、それを体の中に溜め込んでいたのだろう。それが溜まりに溜まって、一つの予知夢となった。私は忌刀『竹鏡』を懐に忍ばせる。それは自己保身のためのものだった。明日、霧奈にどう説明するべきか。それは考えるだけで憂鬱になることだった。何故なら、他人に夢の話をすることほど退屈なことはないと、私は知っているのだから。

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