『欠陥墓所の供物』
師匠の頼みで
仕事ではない日は極力道具を持たぬことにしていたが、それでも私は刀を一振りだけ腰に差した。『
人間の客は刀を買わなかったが、半妖たちは刀を買うことにしたようだった。妖狐は
師匠の頼みは意外なものであり、また時期の偶然が強いものだった。師匠の第一声は、「
師匠のご両親はまだ健在で、刀屋を引退したあとは、里岸の樹を育てているそうだった。その果実を『欠陥墓所』に供えるのは、師匠の毎年の仕事だったそうだが、諸事情があって今年は参れないということだった。どうにも近々、命日であるらしい。「誰の命日ですか」と訊ねると、「私の親友だ。もう数十年前に、鎖札になった」と答えがあった。鎖札のことはよく知っていた。巫女に手を出したが故に、業を背負った罪者のことだ。「私が墓参りにですか」訊ねると、師匠は頷いた。「どうか頼む」「それは構いません。師匠には世話になりました。ですが、事情を説明してくださいませんか」「そうだな」師匠は里岸を食べ終えると、また煙管に煙草を詰めた。「どこから話そうか。昔話は退屈だろうから、簡単に話そう」
師匠はそれから、事の
「無論、親友は
「話は分かりました。里岸を供えるということも了解しました。しかし私は不勉強ながら、欠陥墓所への行き方が分かりません」素直に疑問を
私は衝撃のあまり、手に持っていた里岸の果肉を握りつぶした。
「馬鹿な」
「年内中に死ぬ者は、仮死状態になれない。そういう決まりだ」
「師匠が死ぬというのですか」
「どうやらそのようだ。
「あまりに若すぎる」
「若い頃に無茶をしたつけだろう。それ自体はいいんだ。ただなあ、死ぬともう欠陥墓所には行けなくなる。あすこは
「つまりこれからは、私が毎年、師匠の代わりに墓参りを、ということですか」
「いや、今回限りだ。里岸と一緒に、手紙を
私は涙の出るのを
◇◆◇
意識を再び受け取った時、私は黒い場所にいた。重力を感じているわけではなかったが、足下に道があったので、そちらが地であることが分かった。少し歩いてみる。前を向いている方が前であることは明白であるから、そちらへ歩いたのだが、案の定そこには風呂敷に包まれた里岸と手紙、それに『
しばらくさらに歩いたところで、またうっすら
墓所というくらいなのだから
この篠橋晶という人間は、元は女だったという。鍛冶屋の子として生を受け、女でありながら刀鍛冶の将来を強いられることとなった。しかしそれ自体を彼女は憎んでいたわけではなかった。加えて彼女は、刀鍛冶の才能に
彼女は女でありながら、刀鍛冶の仕事で訪れることが多かった『
不幸な話だが、師匠は篠橋晶を愛していた。刀鍛冶と刀屋、夫婦になるには好都合な関係だっただろう。きっと師匠はそういう幸せな未来を夢見ていたはずだ。篠橋晶には男っ気もなかったのだろう。しかし恋人がいた。巫女だ。巫女と結ばれたいから性器をくれと、師匠は頼まれた。そしてそれを良しとした。何故なら彼女を愛していたからだ。師匠は性器を失った。篠橋晶は男性器を手に入れた。そして巫女と契ったのだ。師匠はどんな気持ちだったのだろう。私には想像の及ばぬことだった。憎しみだったのか。純粋な愛情だったのか。複雑な
師匠はどうもこのことを私に伝えたかったらしい。しかしどうにも勇気が出なかったのだという。性器を持たぬ男は男ではないということなのだろう。もし私に性器がなかったらと思うと、きっと歯がゆく思うだろう。それを使う使わないに関わらず、嫌であろう。私は手紙の一切を読み終えたあと、この墓の中で永遠を漂う鎖札に対し、どのような感情を抱けば良いのか分からなかった。怒れば良いのか、憎めば良いのか。里岸を供え、ただ反射的に手を合わせた。しばらくするうちに、思考が乱れ、どうやら蘇りが近いのだということが分かった。
◇◆◇
目が覚めると私は、仮死状態になる前と同じ場所にいた。だが、目の前に師匠の姿はなかった。座布団の上には、また手紙と短刀があった。私は嫌な予感を覚えながら、その手紙を拾い上げた。
『元より五十の節目に死ぬつもりだった。この歳になると陰茎の有無は意味を持たん。しかし同時に、生きる意味も見失う。零、お前という弟子を一人持てたというだけが、私の人生の誇りだった。もう人生からは引退するつもりだ。この店は零にやる。継ぐなり潰すなり譲るなり好きにすると良い。霊刀は危険なものが多いから、処分するつもりだ。ただ零には一つ譲ろう。これは常に懐に差しておくといい』
私は師匠を失ったことを知った。しかし現実的な頭を持つ私は、それを現実的に受け入れることにした。この刀屋に住むのも悪くない。今後の人生を、刀屋として生きるのも悪くない。そうした色々を考えた。手紙と一緒に置いてあった短刀を手に取る。
『龍樹という霊刀で、刀を折るための刀だ。刀の形をしたものなら何でも折れる。もし刀屋を継ぐのが面倒なら、その龍樹で店の刀を全部折ってしまうといい。折った刀は霧散する決まりだ。無論、対妖刀も折れる。零が退魔に疲れたら折るといい。さらばだ』
私は『龍樹』を鞘から引き抜いた。刀身は木製だった。しかし鏡のようによく研がれている。手触りは
刀を水平に鞘に収めると、左手甲の刀傷に気付いた。勝手に向かうと、箱に詰まった里岸の山があった。それをいくつか風呂敷に詰めて、『
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