『鳥居坂の鬼』

 一月に一度やってきては私をむしばんでいく自決じけつへのいざないと戦っていた。つい最近、私の血を引いた者がいることを知った。思えば私は出会い別れて来た女を体にきざみ込んで来た。一番新しい紋章は、左手首にある鈴をかたどったものだった。これをでると、今でもチリンという幻聴げんちょうる。その先の薬指には桜を象った指輪のようなものが彫ってあり、これに触れるとどうしても悲しくなる。しかしながら、私が恋愛とは違う情を持った女とは、そうした思い出を残さなかった。そのために確かな繋がりが残ってしまったのではという気がしていた。森羅万象しんらばんしょうはそうした釣り合いを取ろうとする。不公平さを感じたからだろう、千雨という名の女と私の間には子どもが出来て、その子どもはすくすくと成長を続けているらしかった。子どもの成長は早いから、五年ほど前に生まれた子どもだったはずだが、そろそろ十になろうというくらいの大きさだった。人生に多大な変化が起きたことで私の死への欲求が最大限に高まっていた。そんなおりに、が私の家にふみを届けて来た。は決して姿を見せない。決して音を立てない。しかしそっと文を届ける。戸の隙間に差し入れられた文をなんとか手に入れて開く。封を開けると中から朱色しゅいろがどろどろとこぼれた。この朱色は鳥居とりいの朱色だとにおいで分かった。それも『鳥居坂とりいざか』の朱色だ。文は朱色に染まっていたが、字は辛うじて読み取ることが出来た。『退』私はもう足を洗ったつもりだったが、このまま家にいても自虐心じぎゃくしんで右側の命を己でつぶしてしまいそうだった。読書もはかどらない。気体になることにもよこしまな気持ちが邪魔をした。私は道具を一切旅行かばんに詰めると、外套がいとう羽織はおって家を出ることにした。『しばらく空ける』と書いた札を貼るのも忘れなかった。『五月雨さみだれ薬局やっきょく』に寄って、傷薬きずぐすり軟膏なんこうをいくつか補充ほじゅうした。「退魔の仕事か」と店主であり友人であり、且つ幼馴染の冬籠が言った。「まだやるかは分からん」「気を付けるといい」冬籠は、支払いは帰ってからでいい、と言って、私に薬を山ほど持たせた。

鳥居坂とりいざか』という坂は西の町にあった。永遠かと思われるほど長く続く坂に、朱色の鳥居が絶え間なくつらなっている。そこは常世とこよ狭間はざまを繋ぐ場所である。狭間には人間ではない者が多く住んでいる。私と妙に縁のある蛇はここの出身であることが多く、またもの妖怪ようかいもここの出身であることが多い。幽霊は別である。私が『鳥居坂とりいざか』におもむくと、すぐに私の腰ほどまでしか高さのない小男こおとこたちがやってきた。決して背が低いわけではないのだが、普段から腰を低くしているあまりに腰を失った男たちだ。圧政に悩まされ、頭を下げすぎて頭を失った男たちもいる。この『鳥居坂とりいざか』ではそうした常識がまかり通る。そこかしこが活気かっきあふれいていた。大声が飛び交っている。人間ではない生き物がちらほら見られた。「月島つきしま様でございます」大声を張り上げて小男は私の名前を呼んだ。「いかにも」「どうか私たちをお救いください」また情けない大声を出す。私は小男たちをなだめて、彼らの集会所へ向かった。

 話を聞けば狭間からやってきた鬼連中が『鳥居坂とりいざか』をもの顔で歩いているとのことだった。金色の髪をした鬼で、体が大きく、力が強いという。腕力に物を言わせて、小男たちをあっしているという。「おかみに何か頼めば良いのではないか」と言うが、「お上はこの程度のことを分かってはくれませんの」とまた大声を出した。小男は全部で三人だった。鬼の数は五人だという。単純な腕力の差に加え、数の差でも圧倒されていた。それで私を雇ったのだろう。「殺せば良いのか」私が言うと、小男たちは一瞬顔を見合わせた。「こ、こらしめる程度で構いませんのでぇ」肝まで小さい男たちだった。少なくとも小男の一人が金持ちの息子だというので、報酬には問題はなさそうだった。私は『鳥居坂とりいざか』の中腹ちゅうふく根城ねじろにしているという鬼たちにまずは会ってみることにした。小男たちはもちろんついてこない。

 あがっていくと確かに中腹に赤くて図体の大きい鬼たちの集団があった。若い女に絡んでいる途中だった。「そこの鬼連中」私が声を掛けると、鬼たちはいかにもな目つきで私を振り返った。このまま放っておけば女はおかされしばらくは鬼たちのなぐさみ者にされていたであろうという局面きょくめんだった。証拠に女の股には鬼の手が伸びていた。「おう兄さん、消えな」簡潔な一言だった。「ひとまず女の手を離すんだ」私が言うと鬼の一匹が丸太のような腕を振り上げる。私は持ってきていた鉄扇てっせんを引き抜いて、振り下ろされる鬼の拳に引っ掛けた。鋭い鉄扇は鬼の拳を斬り付けると、白い体液を撒き散らす。鬼の血は白かったので、どうやら本物であるようだった。

「いてえ」鬼が叫ぶ。「こいつ、ただの人間じゃあねえぞ」他の鬼が言った。数を数えるとちょうど五匹だ。私に注意が向いた隙に、女が逃げていく。それを追おうとするほど計算の出来ない鬼はいなかった。一斉いっせいに私を取り囲む。「おうやってくれたな人間」一番でかい鬼が言う。「てめえどこの回しもんだ」「雇われ者だよ」どうにも決戦の匂いがした。着流しの上をぐいと脱いで、半裸になる。おびたずさえた刀と小太刀があった。だが、まだ手は掛けない。「こいつの体を見ろ」鬼が言う。「どうにも普通の人間じゃねえらしい」私の体にはそこら中にすみやらじゅつやらのろいやらが入っている。女との思い出もあった。「どうする」誰かが躊躇ちゅうちょする声が聞こえた。「まず話し合おうじゃねえか」一番でかい鬼が言う。「何が望みなんだ、人間」「望みはない。仕事だよ」「誰に依頼された」「それは言えない決まりだ」目星めぼしがつかないところを見ると、いかに多くの人間に悪さをしてきたかがうかがえる。「とにかく依頼されたからには仕事をする」鬼の年齢は分からない。が、まだまだ若者に見えた。右手で刀を、左手で小太刀を持った。私は二刀流を信仰しんこうしている。人対人の斬り合いにおいて二刀流は腕力の伴わない私にとっては危ういことだったが、対妖刀たいようとうにおいては、切れ味は別次元の話である。要は触れてしまえば終わりだ。一撃必殺の存在であった。「刀ごときで強くなったつもりでいるらしい」あんじょう鬼は対妖刀の存在を知らないと見えた。「私は鬼があまり好きではないのでね」そう言って、すっとくういだ。一瞬のうちに、一番近くにいた特徴のない鬼が消えた。

「こ、この野郎、退

 大声を出してももう遅かった。私は返す刀と小太刀のいち太刀たちで二匹の鬼をほふった。大きな鬼二匹だけが残る。退魔の仕事は一瞬だった。あっという間に無勢ぶぜいになる鬼二匹。躊躇をしないでも良かった。このまま殺せば、片がつく。しかし、鬼二匹があまりにいさぎよく死を覚悟していたのを見て、私は太刀筋に躊躇ためらいを産んだ。「抵抗しないのか」「ああ、覚悟は出来ている。殺せ」鬼は言った。「俺たちは弱肉強食を重んじている。自分たちよりも上の存在がいれば、何をされても抵抗しないという覚悟を持っている。その覚悟があるから、俺たちは好き勝手に生きていられたのさ」随分ずいぶんと口調のなめらかな鬼だった。後ろにいた一番でかい鬼も同じ覚悟なのだろう、深く頷いていた。「なるほど、常に死を覚悟していたわけか」「どうせいつか死ぬのだから、好き勝手生きたって良いはずだ。その代わり、俺たちは最期さいごの時に悪あがきはしない。それがむくいだからだ」「その意気や良し」私はそれを友との別れとするように、躊躇を捨てて、鬼を斬り捨てた。まったく気持ちの良い鬼たちだった。それを見ていた人間たちから、小さな拍手が起こる。虎皮とらがわの衣類がその場にのこされていた。私はそれを拾い上げて、坂を下っていった。

 集会所に戻ると小男たちが一斉に私を見た。「それで、鬼たちは」「皆殺しにした」虎皮の衣類を放り投げる。「すぐに報酬をくれ」「はい、ありがとうございました」小男の一人が満面の笑みで言ったかと思うと、近くにいた頭を下半身に埋め込んでいる頭の低い男を叩き付け、「ほら、早く金を持って来い」と怒鳴った。小男たちの中にも、階級というものがあるらしい。情けない話だ。「なあ依頼主よ」「はい何でございましょう月島様」「今の彼はお前の召使いか何かか」「ええ小さい頃からのくさえんでして。貧乏なもんでうちでこき使ってやっています」「そうか。金のついでにこの衣類はもらっていくぞ」「ええそれは構いません。大した値打ちものでもありませんでしょうから」私はもうこの小男たちと二度と口を利かぬことに決めた。いっそこの場で叩き切っても良かったが、衣類が汚い血で汚れるのは嫌だった。

 金を受け取って、私は坂を上っていく。鬼は決して許せる存在ではない。力任せに男を痛めつけ、女を犯す。酒で酔わせて集団で襲う。女を愛そうとはしない。ただ快楽のための強姦ごうかんだ。私はそれが許せない。けれどその覚悟だけは見上げたものだった。鬼の死に様は常に尊いのだろう。決して許せはしない。私は女に甘い。女に弱い。女を泣かすが、女を悲しませるが、女に恨ませたことはない。だから女の心を踏みにじる鬼を許せない。だがあの小男たちはどうだ。頭を下げすぎたものだから、これ以上は上がらないようにと下半身に頭を持ってきたあの従者を見たか。それが女を泣かせぬ者だったとしても、許せるだろうか。少なくとも私は、小男たちと関わり合いになりたいとは思わなかった。鬼たちは殴りつけてやりたいと思った。その違いは、きっと同じ土俵にいるかどうかという認識の違いだ。私は小男たちを同じ生き物として見ていなかったかもしれない。

 鬼たちがいた中腹に、もう花が手向たむけてあった。見ると鳥居に背を預けた女がいた。「鬼か」私が訊ねると、女は頷いた。「連中は、あんたが殺しちまったんだろう」「そうだ」「気の良い連中だった」「同じ連中にはそう見える」「確かに悪いことはしたよ」「どうせ店先で座り込んでいたりしたのだろう」「ああ」「夜の坂で騒音を鳴らしたのだろう」「ああ」「強奪強姦は当たり前だったんだろう」「ああ」女は涙を流した。「けど気の良い連中だった」私は花の隣に虎皮の衣類をそなえた。「殺した鬼の、どれかのつがいだったのか」「一番でかい鬼だよ」「彼か。立派な死に様だった」「覚悟はあったさ。でも死んでしまうと、あっけないもんだね」「私を殺したいか」「どうせ勝てっこないよ」「どうかな。ところで、この辺に宿はあるか」「泊まって行くのかい。この辺にはね、小狡こずるい小男があきなっている宿しかないよ。他の宿を全部食っちまったんだ。稼ぎを独り占めしてるんだ」「お前はどこに住んでるんだ」「坂の上だよ」「一匹でか」「今日からね」「泊めてもらおう」私は鬼の手を取った。長く伸びた髪は金色だった。どういうわけか鬼の女は体付きが良かった。鬼と年がら年中まぐわっているからか。胸と尻が大きくて、腰がくびれている。

「最低な男だね。鬼を殺したその日に、鬼を抱こうって言うのかい」

「一度鬼も抱いてみたい」

「最低な台詞だね」鬼は言う。「鬼よりひどいじゃないか」

「これも自然の摂理せつりだ。殺した鬼が言っていた。弱肉強食だと」

「そうだね。あんたの言う通り。私も覚悟はしてるさ。自分より強い存在に無理を言われたら、断れる道理はない。私がそうだったんだから」

「なら、抱かれてくれ。希死念慮きしねんりょ嫌悪けんお狭間はざまで、気が狂いそうだ」

「殺したくせに」鬼は言った。

「殺したはしたし、許せもしないが、私はあの鬼たちが嫌いではなかった」

 少なくとも私は、欺瞞ぎまんまみれた商人よりも、筋金の入った悪党の方が好きだった。前者は言葉の通じる同種だが、きっと私は、気持ちの通じ合える異種の方が好きなのだろう。

 人生を構成する要素は、言語でも、種族でもなく、心なのだと、青臭い私はいつまで経っても信じようと努めているのかもしれない。

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