乱れたタイムライン【KAC2023】

凍龍(とうりゅう)

タイムラインはぐっちゃぐちゃ

「ね、少しいいかな?」


 深夜、ノックと共にドアの外から声が聞こえる。

 僕は慌ててドアロックを外すと声の主を室内に招き入れた。


「はー、なんだかすごく狭いね、この部屋」


 突然の乱入者は部屋をざっと見回すと、遠慮もなくベッドに腰掛けてそう言った。


「まあ、役者と臨時部員やといの裏方じゃ待遇が違うのは仕方ないですよ」


 僕らの高校の演劇部は二十年ぶりに県大会にコマを進めた。

 とはいえ、コンクールの常連校みたいに定宿があるわけではない。どうにか確保した小さなビジネスホテル。大部屋はなく、演出や役者達は打合せや稽古の都合でトリプルやツインの部屋に分かれて泊まることになった。僕らみたいな裏方はそのしわ寄せでフロアの端っこのシングルに割り当てられた。少なくとも、演出を担当する副部長からはそう説明を受けた。


「まあ、僕の仕事は机ひとつあれば事足りますし」


 僕はデスクに戻るとやりかけの作業を再開した。今日のゲネプロで新たに入ったセリフに合わせ、効果音の尺を調整していたのだ。


「ふーん。そんな変な指示、してないけどな」


 彼女はその場からノートPCの画面をあごでしゃくり、わけがわからないとでも言いたげに鼻を鳴らした。


「ねえ君、そんなこんがらがったリボンみたいなもの、いじっているうちに頭がぐちゃぐちゃにならない?」

「リボンって……まあ、そう見えないこともないけど」


 僕は胸の激しい動悸を隠し、編集ソフトの画面を振り返りながら答える。

 僕が使っているのは音声編集専用のソフトウェア。効果音や劇伴に使う何十、何百もの音源を並べて自由に順番を並べ替え、それぞれの音源の長さや切り取り、音の出し方まで自在に編集できる。うちみたいに頻繁にアドリブが入る場合、劇場のミキサーに直接繋いでリアルタイムに音の長さやタイミングを調整しながら出すこともある。というか、そうしないと演目が破綻する。


「先輩がもう少しアドリブをおさえてくれるとこんな苦労はないんですけど」

「それはごめんよ。でも、こっちの方がいいと思うとつい……」


 演技中に頻繁にアドリブが入る主な理由はこの先輩のせいでもある。

 最上級生にして部長。演技力は申し分なく、県大会を目の前にしてすでにプロの劇団や演劇系の学部がある短大から声がかかっているという噂も聞く。


「でもさ、君がきちんと付いてきてくれると思うからアドリブが怖くないんだ。信頼してるんだよ。明日の本番も君がいれば大丈夫」

「そ、そうですか」


 にっこり笑ってそう言われると僕はもう反論できない。

 僕も含め、他の部から臨時で演劇部にスカウトされた裏方部員は合計三人。いずれも部長である彼女が自ら出向いて引き抜いてきた。

 図面も描かず、寸法も測らず直感でまたたく間に大道具をくみ上げてしまう物理科学部の玖珂、舞台狭しと動きまくる演技にあわせ魔法のように照明を当てる写真部の牛津、そして効果担当の僕。

 残念ながら僕は他の二人みたいなセンスに乏しい。こうして深夜までかかって編集ソフトをこねくり回し、突然のアドリブに備えて予備の音源をびっしり組み込んだ神経質なタイムラインを組まないと安心できないし、部長が要求するアドリブへの対応力も他の二人には遙かに遠く及ばない。


「しかし、見れば見るほど複雑だね。これだけの音源を切り貼りして、よく頭の中がショートしないもんだね」


 先輩は不意に立ち上がると、僕に身体を寄せるようにしてモニターに顔を近づけ、タイムラインに並ぶ色とりどりのリボンに見入る。


「そ、それでも、昔に比べれば楽になったって言ってました」


 僕は、先輩の身体から発せられる柔らかな熱を半身に感じながらおどおどと答える。


「昔は、オープンリールっていう細い昆布みたいなテープに録音して、実際にそれを何十本も切り貼りして音源を作ってたって。だから、一度一本のテープに繋いでしまうともう変更ができなかったそうです」

「ほう。じゃ、このリボンみたいな奴はその頃の名残なのかな」


 画面を細い指でつつきながら感心したような声をあげる。先輩のきれいな黒髪がさらりと流れ、ほんのりいい匂いがする。


「あ、多分」


 僕は座り位置をずらし、心持ち先輩から身体を反らしながら答える。と、彼女は少し憤慨したような表情で向き直る。


「ねえ、君」


 堅い口調で呼びかけられ、僕の背中に冷や汗が流れる。何か、彼女の気を損ねるような発言をしただろうか?


「どうしてそう、露骨に身体をそらすんだい?」

「いや、だって……」


 先輩は少し傷ついたような表情で口を尖らせる。


「私がない色気を総動員して精一杯アピールしてるのに、いつもそうやって逃げるんだな。私はそんなに魅力がないかな?」

「え? あの、でも……」


 凜々しく、時に大胆な演技で観衆を魅了する先輩。そんな彼女に憧れる人間は多い。何かと僕を敵視する副部長をはじめ、部内にも先輩を狙う生徒は多い。その気になれば相手なんてよりどりみどりだろう。

 だが、彼女はなぜかこうして僕に執着する。

 なぜ、どうして? 僕はひたすら混乱する。


「これは演技なんかじゃないよ。私は本気で! ああ、もう! どうしてこんな時にうまいセリフが出てこないんだ!」

「僕だってそうですよ! 僕みたいなコミュ障は、ちゃんとあらかじめソースを選んで、順番タイムラインに並べないとうまく対応なんてできないんです!」

「「もう! これじゃ台無しじゃないか!」」


 ぐちゃぐちゃの感情を抑えきれず、僕らは声をあわせてそう嘆いた。

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