第17話

 世界は何のために存在しているのか。

 誰のために。


 希望があるのなら絶望がある。

 でも、絶望とかそういう負の類は嫌われる。忘れられる。存在すら、知られない。要らないと。


 そんな世界必要ない。

 だから、世界が望まれるようにしたかったのだ。


 これは、幻。夢の世界。

 あなたのための世界。


 ◇◆◇◆◇◆


 今日はリヴに仕事が与えられていた。もう教育は終わったのか、ロウなしでの一人だけの仕事。一つ前の仕事からロウはほとんど付き添いみたいな感じだったため、一人でも戸惑うことなく五百人のノルマをこなす。またB世界のニホンでの仕事だった。


 ただ、リヴが知っているニホンではなかった。


 そこはまるで幻の世界のような。何階建てかも分からないほどのビルが建ち並び、整備された道路に人だけが行き交い車なんて走っていない。空に道路ができていて何かが通っていく。音はしない。

 まるでアニメとか、映画とかで見た未来の街並みだった。


 奇妙な心地を抱きながらもリヴは幻想世界に帰ってきた。もうシュトゥルの部屋を経由しなくとも帰れるようになったのでそのまま暗闇を歩いていく。

 目の前に誰かがいるのが見える。リヴは物怖じせずそれに近づいていく。


「リヴ、お邪魔していい?」


 そこにいたのはトレーナーのポケットに手を突っ込んでいたベレトだった。リヴはその言葉に頷く。そしてパネルに手を置いて現れた扉を開ける。


「どうしてベレトさんが」

「……ロウが、君を守れないからだよ」


 呟くように言いながらベレトはリヴの部屋に入っていく。息を鋭く部屋に向かって吐くと何かが悲鳴をあげた。そして部屋のあちこちから黒い煙が立ち上る。リヴは目を丸くしてその様子を見ていた。


「今からでも遅くない。ロウの元から離れろ」


 ベレトは立ちすくむリヴの手を掴んで訴える。ベレトの眼鏡のその奥にある目には何かを強く宿すように揺れていた。


「なんで、なんで皆さんロウさんから離れろと言うんですか。ロウさんは悪い人なんですか」

「いいや、あの人は優しい人だよ。綺麗な心を持つ、まるで聖人君子。だからこそなんだ。この世界は優しいだけじゃ生き残れない。悪くて賢い奴が生き残るんだよ。僕らは、奴らに従うしかない。そうして、今まで何年生きたか分からないほど、時を操られている」

「時を?」


 ベレトは項垂れるように頭を下げるとその手もだらりと落とす。


「ロウは、この世で最も力を持つ人に気に入られているんだ。一緒にいたら君は間違いなく殺される」

「殺されるって、私たちもう死んでるんじゃ。話がよく読めなくて、どういうことですか」

「まだ生きてるよ。僕らが何かを感じたり思ったりできる限り、生きてるんだよ」


 ベレトの顔はリヴよりずっと幼いのに、まるでリヴを慰めるように。その顔はずっとずっと大人びている。それはベレトがリヴよりずっと多くきたないものを見てきたから。


 幻想世界の人間の体と心はバラバラになっているのだ。

 本来、輪廻転生する人間は体が死んでその心がその体から出ていって別の体に乗り移っていく。けれど、ここにいる人間の心はまだ彼らの物になっている。心が無理矢理に離されているため、輪廻転生もできずその場に留まっているのだ。


 ただ、心を壊されればその者がどうなるのか何も分からない。が、そのこともベレトは知っていた。

 なぜ自分が絶望したのか。あのとき、なぜ急にあんなことが押し寄せて自分が絶望する羽目になったのかすらも知ってしまった。


「心は必要だよ。僕はずっと何も分からないんだ。こんな冷たい人間じゃなかったはずなのに。もう自分が何者だったのかも分からない。でもたまに感じる胸の痛みがもどかしくて。……変な奴ばっかだ。皆も君も、僕も。今は思うんだ。殺して欲しいんじゃない。生きたい。心がここに欲しい」


 ベレトは胸を押さえながら泣き出しそうな声で言う。悲しいのか、涙は出てこないのにすごく胸が押し潰されそうで。

 こんなこと、思っただけでシュトゥルやあの人がどうにかなるわけではないのに。それが許せない。


「一つ、聞いてくれないかな」


 ベレトは顔を上げて、ただベレトを見つめるリヴと目を合わせる。


「君が起きたら、ロウも起きてくれる。だから、早く起きてくれよ。君は世界の全てだ。北条梨瑚りこ。名前を忘れずに」


 リヴは少しずつ瞳孔を開いていく。その声は体を抜けて、自分の脳に染み渡るように響いた。


 早く起きなければ。私は、私だから。これは私のものと。自分の体にはない物が、そう言った気がした。


 ◇◆◇◆◇◆


 世界や時間は作り出せば良い。そう少女は男に教えた。


 少女は兄のことがどんなものより、この世にある全ての何よりも好きだった。

 家族のことは別に嫌いとか好きとかそういう感情を抱いていない。世界のために多忙を極める家族。なぜか親戚がおらず、両親二人だけで世界を支える。周りにいる者はロボットのように決まったことしかしない。だから幼い頃から自分の相手をする家族は兄しかいなかった。

 兄には色んなことを教えてもらった。勉強以外にも気になることも何でも。兄に甘やかされていた少女はこの世の物は全て自分の物だと思っていた。どんな物も自分のために存在しているのだと。


 あるとき、ふと思った。この世には要らない物も溢れている。自分だけが望む物しかない世界があれば良いのに。それが欲しいと言っても兄は困る顔をするだけだった。

 それが、少女が初めて兄に対して不満を感じた瞬間だった。優しい少女の心はきっとそのときに、離れたのだろう。


 それから少女は兄に対して不満を抱くようになる。兄もそれからワガママだ、やりすぎだ、と少女を否定するようになる。今までは全てを肯定してくれたのに。許してくれたのに。


 その感情が少女の中で溢れる日。幼い少女に嫁ぎ先が決まった。

 それは、他でもない表世界だった。大好きな兄と一生離れることになる。それなのに。兄は喜んでいた。家族と一緒に喜んで。


 少女は大人しく表世界へ行く。相手は兄と同い年の人間だった。朗らかで、兄と違って大雑把だが包容力があって優しい人。どんなことも許してくれる人に少女はすぐ心を開いた。

 しかし、優しいその男は家族から利用されていた。酷い扱いを受けていた。その、異端とも呼ばれていた力のせいで。


 少女もそれを利用した。だが、家族に利用されることを嫌がっていた男は喜んで少女の手を取る。


 その日から、男はおかしくなってしまった。


 私の望む世界を作って。そうしたら、あなただけを永遠に愛してあげる。


 呪いのような言葉は大人しく男の心を縛り、男は世界の在り方を壊した。少女の望む世界を、恐れて望んでいなかった自分の力を使って作り出す。

 少女の望みは自分の望み。男は時を操られて。絶望に焦がれて。


 男が一族を滅ぼしたときは快感だった。

 だがそれ以上に体が震え上がったのが、妻である少女の顔だった。男は家族に愛されていなかったことから妻の顔を見ることが恐怖となっていた。初めて目に映した少女の顔は、男の心を奪った。

 少女の望むものは絶望した魂。そう望む少女自身の絶望に満ちた顔に、男はとてつもない興奮を覚えた。


 そしていつの間にか少女の望みは完全に男と一致し。男はその力で世界を作り出した。絶望する人間を集めるため。

 全ては少女のため。男は妻のことを考え、思う。


 自分だけを愛して欲しい。そのためには世界だって、他人の心だって壊せる。

 少女の兄はなんて要らない。


 絶望に満ちた人間の魂を集めて保管する。少女の喜ぶ顔が見たい。そして、愚かな人間が絶望で溢れて、それを治める王になる。自分を利用した人間を次は自分が利用してやるのだ。

 それが男の理想だった。


 もう少しで、その理想が実現しそうだったのに。男の知らない世界からやってきたその人間は、少女が一番愛した人間だった。


 起きるな。起きてしまえば、全て壊れる。

 少女に愛してもらえなくなる。


 そんなのは、嫌だ。


 自分だけを、愛して欲しいのに。


 ロウィル。君を愛しているよ。永遠に。

 だから、君も僕だけを愛していて。僕だけを瞳に映して。

 君の、僕の理想の世界にあいつは要らない。すぐ消してあげるから待っていて。

 だってこれは、僕の夢世界なんだろう?

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