第14話

 イュレは幻想世界に四番目に来た人間である。その瞳にスペードの模様ができ、藤色の髪に赤色の瞳とかつての自分の姿を奪ったシュトゥルに最初は反抗していた。

 だが、シュトゥルの理想論に惚れ込んでしまってからシュトゥルの言いなりになることを望んだ。そのためならどんな嘘だってつける。それに、イュレはまだ溺れていたい。消えたくない。自分がコピーによって生まれた存在だって構わない。

 だからイュレはシュトゥルのために、自分のために何だってしてやれる。


 イュレは獲物を見つけた蛇のように。気づかれることなく対象に飛びついた。、


「イュレさん。こんにちは」


 その若さを感じさせないどろどろとした瞳でイュレを見上げるのは新入りのリヴ。リヴは急に現れたイュレに驚くことはなかった。それに対して面白くないと思ったイュレだったが、そんな気持ちは見せずにとびきりの微笑みを向ける。


「会いたかったのよぉ。リヴちゃんに聞きたくてね。ロウちゃんとはどうやって仲良くなれるの?」


 甘えるようにしてイュレは問う。イュレはその官能的な瞳でリヴの中を隅から隅まで探ろうとした。


「仲良くなった覚えはありませんけど……。ロウさんと仲良くしたいんですか?」

「ええ、もちろん。四百年も心を開いてくれないの。なのにリヴちゃんには。ちょっと妬いちゃうのよぉ」

「でしたらロウさんに質問するのはどうですか? 生前、それで気を引こうとした人がいましたから」

「そういうことを言うってことは、生前はモテたのね! ええ、そうでしょうねぇ。だってこんなに可愛いんだもの。今は私が独り占め──」

「すみません。私への用がそんなくだらないのでしたら失礼します」


 リヴはそう言ってイュレを置いて闇の中に消える。

 散々色仕掛けをしたというのにいつまで経ってもリヴは淡々としていた。それが、気に食わない。

 なぜだろう。生前はこうすれば老若男女問わず寄ってきたのに。B世界の人間は感性が終わっているのかと思ってしまう。

 でも、まあそんなことはどうでも良い。そちらのことは全部筒抜けなのだから。


 全てはシュトゥルの理想のために。

 そうすれば、きっと。


 ───アシャは七番目の死神の男である。その深緑の髪をボサボサに、猫背で暗闇を歩いてる。その朱色の目はどこかを睨むように。

 アシャは歩いていると、目の前に厄介な人間を見つけた。この世界の中でトップクラスには関わっていけない人物。だが、奴はまるであちらこちらに目があるように。必ず獲物を仕留める如く。必ずどこにいようと近くにいれば寄ってくるのだ。


 ほら、もう来た。


「アシャちゃーん! 久しぶりねぇ。もうお部屋から出てこないのかと思ったわぁ」


 アシャはめんどくさそうに舌打ちを一度する。それに怯まない藤色の髪の女、イュレはアシャに抱きついて体を擦り寄せた。その厚みのある体が暑苦しい。


「うぜぇ……」

「あら、そんなとこも可愛いのよぉ」


 イュレはアシャの胸にその指を這わせる。アシャはその手を乱暴にどけさせた。


「ババァが。俺に関わんな」

「ばっ、私これでも二十六よ。それに歳でいったらあなたの方が三つ上じゃない」

「二万年も長く生きてんだからババァだろ。ババァらしく編み物でもしてろよ」

「まあ!」


 イュレは頬を膨らませてアシャの腕により一層しがみついた。アシャはそんなイュレを冷たくも見下ろす。その瞳には何かが渦巻くが、イュレはそれに気づけない。


「……忠告はしたんだからな」


 アシャはそう吐き捨てるように言うとイュレの体を突き放して暗闇の中に歩いて消えてしまった。

 一人取り残されたイュレはきゅっと服の裾を握りしめる。


「また、一人」


 イュレは震えた足でシュトゥルの元に向かう。今はなき物があった場所が激しく脈打ち吐きそうだから。


 早く早く。私を助けて。


 ◇◆◇◆◇◆


 ロウはベレトの部屋にいた。ベレトは難しそうな本が隙間なく敷き詰められた部屋に住んでいる。

 ベレトは床に座って本を読んでいた。その真向かいにロウが立っている。ただ無言の時間が続いている。痺れを切らしたロウが口を開いたとき、ベレトが本を閉じた。


「君が何者か知らないよ、僕は。シュトゥルは昔より落ち着いてるからね。でも君が来たとき、初めてシュトゥルが動揺を見せたんだ。只者じゃないのは分かるよ。はぁ、ほんと変な奴ばっか」


 ベレトはやれやれと言わんばかりに首を横に振る。ため息を吐くとその眼鏡の奥にある子供らしい大きく丸い目を鋭く、睨むようにロウに向ける。


「シュトゥルが一番気味の悪い人間だ。リヴを、そんな奴と敵対させていいの?」

「……」


 ロウはベレトのその問いにただ押し黙る。何かを考えているのか、はたまた盲点だったのか。ベレトにはロウが何を考えているのか分からない。


「リヴは人生経験も、この世界の経験も浅い。力もまだ上手く扱えないような子がシュトゥルと戦うのを想像した?

「ベレト、あなたは一体どこまで知って──」

「さあね。六万年無駄に過ごすわけにはいかないしね。それにサナが来る一万二千年の間、僕はシュトゥルの二人きりだったんだ。この、できたばかりの不完全な世界で。欲望が渦巻くこの場所で」


 ベレトはまた新たな本を開く。もう何回を読み返したのか本は黄ばんでぼろぼろになっている。文字も掠れて、ベレトは文字を読んでいるのだろうか。


 ロウは息を吐いて踵を返して部屋の扉を開ける。ベレトは止めることもせず目に本を入れるだけ。


「リヴさんは、私が守ります」


 それだけ言うとロウはベレトの部屋を出ていく。ベレトは扉が閉まった音を聞いて顔を上にあげる。


「……相変わらずの道化師だな」


 ベレトは肩を回すと続きのページに目を通す。文字は滲んでもはや何も書いていないのと同じ。本の独特の匂いが部屋に充満している。


「もし死んだら、僕が忘れないように遺してあげる。これで何冊目なんだか」


 ベレトは積み上がった本を見つめてため息を吐く。何万年も生きていると、見たくないものも必然的に見てしまう。見えてしまう。自分こそ、どんな存在なのか分からない。シュトゥルはどういうつもりで僕を生かしているのか。


「先輩の僕から忠告してあげる。ありがたく思えよ、ロウ。君が救おうとしているお姫様は、全くの別人だ」


 ベレトはまた分厚い本を開いてページをめくる。今度はしっかりと文字が書かれた本で、ある文字に指を置いてスマホを開く。


「また、一人」


 一方で部屋を出たロウは暗闇を早足で歩いて部屋に戻り、扉のすぐそばで倒れ込んだ。手足が痺れる。頭が麻痺したように考えが回らない。制御の効かなくなった口から唾液が垂れていく。虚ろな目で、ぼやける部屋を見上げる。


 そこには自分の首を強く強く、握りつぶすように死んだはずの妹がその白く冷たい手で掴んでいた。

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