第13話

 シュトゥルは愛おしそうにそれを見る。美しく生きたままの綺麗なそれを。


 シュトゥルの望みは絶望がこの世界を満たすこと。人々の絶望した魂を。あのとき、かつて絶望の顔を見せた彼女や今この世界にいる彼らの顔を思い出すだけで体が震え上がる。絶望した人間の底の見えぬ瞳が何より美しい。他にも目的があるが、これはいつしか自分自身に根づいた強い欲だ。


 シュトゥルはロウをこの世界から消したいと願っている。

 完璧な計画だった。世界を増やすことで絶望する人間が増える。世界が発展していくことで取り残された出来損ないたちが絶望していく。なかなか心を手放すまで絶望する人間はいないが、効率は良くなっているだろう。


 それなのに、心を奪えない人間がこの世に存在していたのは誤算だった。話を聞く限り、自分と同じ力を持つ人間がそもそもコピー世界を作る以前から存在していたらしい。

 計画が狂ってしまった。それに、なぜかロウ自身にはシュトゥルの力が通用しない。願うこと全てが叶う希望の力。ロウを消せと願えどロウは消えない。


 だが、ロウの片腕を切り落とすことはできた。そこでシュトゥルは気づいたのだ。歳をとらないだけでロウは生きているのだと。ロウは、死んでいない。心もそこにある。ただ絶望しただけの生きた人間。

 シュトゥルはあることを思いつく。ロウもこの籠の中に閉じ込めて、利用するのだ。この力は使える。片腕を切り落とし、次はもう一つの腕を。最終的には命を取られると覚悟はできているだろう。恐怖を感じる心がまだあるなら話は早い。

 ロウの体にある仕掛けを入れて。後は計画のために働いてくれるのを待つだけ。


 シュトゥルは完全なる絶望に満ちた世界を支配することを夢見ている。誰も疑わない。絶望して、希望などの感情もなくその闇のような瞳で永遠を見つめて。シュトゥルが操りの糸を持っているように動く。感じる心は全てシュトゥルのもの。シュトゥルが全てを愛でる。素晴らしい世の中になる。

 そして、それが叶えば彼女が望んでくれるから。


 ◇◆◇◆◇◆


 絶望する人間は多い。この発展した世界で、何かに対して希望を捨て心を捨てる者が多いのだ。


 なのに。


 だめだ。だめだ。いけない。


 救ってはならない。その者の心を、魂を。そのまま奪えば永遠にその者は何も考えず、何も苦労せず永遠の時を歩める。


 ああ!

 それが堪らなく心地良い。


 絶望しながら死ぬ者が少ないのだ。絶望しても誰かがその心を死ぬまでに救ってしまう。


 絶望したらそのまま命を捨ててしまいなさい。絶望したのなら、その心を手放してしまいなさい。その心を。我が物に差し出したのなら。素敵な贈り物を授けよう。人間が望む何をしても手に入れることのできない時を。

 ずっと願っていたはず。心など要らないと。その不要な心はもらってあげるのだ。その代わりにその絶望した顔を永遠に見せて欲しい。それなら、ずっとその身を守ってやる。


 ああ、ずっとというのは、嘘かもしれない。


 頃合が来たら、その心は使ってやるのだから。要らないと言って手放した心が世界の平和のために、誰かの幸せのために使われる。

 それは、きっと人類が願う幸せ。


 他人の不幸の上に誰かの幸せがある。


 幸せになるのは自分だけで良い。他の人間なんてたかがコピーでしかない。本来なら存在することのなかった人間。それが生きて、本来生きる運命だった人間の幸せのために働ける。

 こう考えてみると、自分はなんて素晴らしい偉業を果たしたのだろうか。

 そうシュトゥルは快感に溺れる。


 ──裏世界のことは本当に知らなかった。今の裏世界の事情を知ったロウはどう思うだろうか。

 絶望した世界に対してはもう何も思わないか?


 ロウに仕掛けたあれはどうなったのだろうか。今頃、いや、もう既に起動している頃だろう。


 ロウは新しく入ってきたリヴを仲間にしているらしい。たかが二人で何ができるのだろう。何をするつもりなのか。今更この世界の在り方を壊したところで壊れかけの世界にどこにも居場所なんてない。


 それに。コピー世界の住人がどうなるのか考えてもいないようだ。結局そういうこと。シュトゥルが絶望に満ちた人々を眺め、絶望で世界を支配したいと願うように。世界を新たに創り出したように。

 結局、人間というのは我が身が一番。自分の願いが何よりも。王だから良いだろう。ああ、ロウも王だったか。

 シュトゥルは嘲笑うように、吐き捨てるように笑う。


 シュトゥルは顎髭を撫でながらその部屋を出る。扉の前には二人の絶望した人間が立っている。その二人を見てシュトゥルは微笑むと、二人の間を抜けて歩いていく。


「ロウも馬鹿者よ。王と言うからワシと同じように賢い者だとばかり。なぜあんな幼き少女に我が運命を預けるのか。お前の計画など、手に取るように知っている。……そうだ。部屋に物は置いてくれたか? イュレ」


 シュトゥルは左の方を振り向く。甘い微笑みを浮かべながら歩くイュレはゆっくりと頷いた。


「ええ、もちろん。あの子たちに隠し事は何もできないわぁ」


 イュレは渇いた唇を潤すように下で舐め、目を開く。長いまつ毛に隠れたその目には暗闇と、呪いのようなものが渦巻いていた。

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