第12話
リヴは部屋に戻って紙にメモしていた。気になることがあまりにも多すぎる。
改めてロウの言葉を字に表してみると不思議なことだらけだった。そして、余計にロウのことが分からなくなる。世界のこととか、自分たちのこととか。何もかもが不明で、自分の存在すら確かなのかも定かでない。
今日もリヴの元に仕事はない。最近は仕事を任されなく、ただただ暇な時間を過ごす。そんなとき、スマホが一通のメッセージの受取を知らせた。ロウからだ。
「今から向かう……。何か用なのかな」
リヴは部屋の片付けを始めた。この前興味を示していた饅頭を用意して、ロウの到着を待つ。
しばらくして扉が開く。この前と同じようなラフな姿のロウがいた。
「急に申し訳ありません。実は──」
その言葉を塞ぐように、ロウの背後に誰かが飛びつく。長く白い指がロウの顔を這った。
「あらぁ、密会? いけない子たちだこと。私も混ぜてちょうだいな」
イュレが微笑みをリヴに向けながら顔を覗かせた。ロウは冷や汗をひとつ流して微笑みを作る。
リヴはそんな二人の顔を交互に見ながら手を部屋の方に向けた。
「二人ともどうぞ。何もないですけど」
イュレはその言葉に嬉しそうに微笑むとリヴの体に思いっきり抱きつき、ロウはそんなイュレを避けるように部屋に入った。
少しピリついた空気を感じながらリヴは二人にお茶を出す。イュレは緑色の液体を若干引き気味に見る。慣れたロウは美味しそうにそれを飲む。そんなロウを見て、イュレはまた引くのだ。
「美味しいですよ。心が温まって」
「私たちに心はないはずよぉ。温まることなんて忘れたわぁ」
イュレは長い足を伸ばし、肘を机について伺うように言う。ロウは顔色一つ変えずに饅頭を頬張る。そんなロウを見てイュレはため息を吐いた。何かを諦めたように。
「イュレさんは、どうしてここに?」
「リヴちゃんに会いたかったからに決まってるじゃなぁい。そしたらロウちゃんがいて、面白そうだから邪魔しちゃった」
イュレは舌を出して軽く「ごめんなさい」と言う。そのあざとさにリヴはつい顔を逸らした。
「ロウちゃんは? どうしてリヴちゃんの所に来たの?」
「話すほどの用ではありませんよ」
「あら。ロウちゃん今まで誰とも関わってこなかったじゃない。強いて言えば、シュトゥルくらい? なのにこんなにリヴちゃんに関わって。世話係だから? それとも──」
「これで心がないんですから、心があるときはさぞかし厄介な人間だったんでしょうね」
より一層部屋に電流が走ったように重たい空気になっていく。リヴはその渇いた喉にお茶を入れた。
結局イュレはお茶の虜になり、何杯もおかわりをした。そして特に話すこともなくただ酔っ払いみたいに二人に絡んでは勝手に帰っていった。嵐が過ぎ去ったようで、リヴは少し息を吐く。
ロウは何杯目かのお茶を飲み干すと、そのくるんでいる瞳にリヴを映した。
「これはただの質問です。今のあなたの考えを聞かせてください」
ロウはそう言って左手をリヴに向ける。
「あなたは死んでいます。あなたは絶望しました。その上で、人間に心は必要だと思いますか?」
リヴはその質問に少し動きを止めた。この前、同じようなことをコーラウに言われていた。心は必要だと。なぜ絶望したコーラウがそのようなことを言ったのか分からない。なぜ、ロウがそれを問うのか。
自分に心は必要なのか。心があったせいで絶望した。心があるせいで殺された。心なんて要らない。
だが、ここ数日覚える気味悪さ。自分が感じているものが分からないこの不愉快な気持ちがどうにも歯痒い。
もし、生きていた頃の自分であればこの状況をどう思ったのだろうか。そんなことを思っても、自分のことなのに自分のことが何よりも分からない。
「心は怖いです。心が人間を動かし、心が私を殺しました。だけど、私は、私が何を思ってるのか知りたい。だから心は必要だと思いますし、欲しいです」
リヴは掠れるような声で言う。その言葉を聞いたロウはどこか安心したように息を吐く。微笑みをリヴに向けた。その微笑みは、イュレに向けていたものとは何かが違う。
「そうですか。良かった」
「良かった?」
「心はなくてはいけない。あなたの言う通り、心が人間を動かすのです。どんな感情も抱かなくては。人間なのですから」
リヴは瞬きを繰り返してロウを見る。ロウの黄色い目は確かにリヴたちと同じ希望を失った闇のよう。それでも、どこか違う者のように感じる。それはなぜたろうか。
絶望した上で、自分の感情を理解しているような。希望を捨てただけでそれは普通の人間のようだ。
ロウは左手をリヴに差し出す。
「協力して欲しいのです。シュトゥルをこの世界から消したい」
リヴの瞳がどくんと心臓のように揺れた。
リヴはシュトゥルに対して何も思っていない。尊敬もしてなければ無下にしている気もない。シュトゥルはあくまでも現在同じ世界線にいる人間。それでしかない。何かを知っていそうだがそれに興味を持つ心もないし、深く関わろうと思わない。
だが、このロウの手を見て、なぜかその手に自分の手を乗せようと体が無意識に動く。それを止めるようにリヴは浮かび上がった言葉を並べる。
「なぜですか。シュトゥルさんは、悪い人間なのですか」
「ええ。極悪人です」
「何をしたんですか。私は他人に殺されたんです。意味もなしに人を傷つけたくない」
リヴは叫ぶようにして言う。この思いは、心がなくとも体が覚えていた恐怖。逃げ場がどこにもなかった恐怖。人を傷つける行為が何よりもトラウマであるリヴは、心をなくしてもそれを感じることができた。
恐怖からか震えた体を抱きしめるように右手で左腕を掴む。
「シュトゥルは……。いえ、言い訳になってしまいますね。結局、私もこの行動は自己満足のためですから」
ロウはその左手を戻した。リヴは申し訳なさそうに俯く。そんなリヴを慰めるようにロウは左手で頭を撫でる。
「……ロウさん。私は、人の不幸の上に人の幸福があると思ってます。だから犠牲はつきものだとも理解してます。ロウさんは、誰を犠牲にするんですか」
リヴはそう尋ねる。ロウは目を見開いていった。これまでのロウの言葉を聞いていたらシュトゥルを犠牲にしようとしている、というのは薄々気づけるだろう。
リヴはなぜこの質問を投げかけたのか。ロウの中に疑問が駆け巡る。
「誰とは、もちろんシュトゥルを──」
「いいえ。ロウさんは、自分を犠牲にするつもりでしょう?」
ロウは息を呑んだ。心臓を掴まれた気になって勢いよく立ち上がる。荒い呼吸をするロウに対してリヴは落ち着いてその暗闇に包まれた目でロウを見つめている。
ロウは珍しく焦りを露にした。
確かに、言ってしまえばロウは自分も犠牲にしようとしている。シュトゥルをこの世界から消すには、自分の力を使わなくてはいけない。裏世界の王族の力。人の欲を消す力。死んでいるシュトゥルを動かしている十二人の心を奪い、シュトゥルの野望の源である欲望を消す。そうすれば世界は元々の姿に戻るだろう。コピー世界もない、二つの世界でバランスをとる世に。
コピー世界で産まれた十二人がどうなるか分からない。だが確実にシュトゥルとロウは死ぬ。この世界の輪廻からも外されて。
それが王族の運命。世界を治める絶対的な権力の代償。
「……そんなわけないでしょう。自分を犠牲にしてしまったら自己満足で手に入れた世界を堪能できないじゃないですか」
ロウは微笑んで言う。リヴはその微笑みを見て息を吐く。それに頷き、立ち上がってロウの左手を握った。
「私はここに来たばかりです。それに、人生経験も浅い内に死んでしまった。それでも良ければ協力しますよ」
ロウはリヴのその言葉に目を丸くさせて微笑んだ。リヴは分かっている。ロウが嘘を吐いてることも。この人は自分を欺くことも簡単にできてしまうことも分かった。
初めて分かったことがこんなことなんて、とリヴは思ってしまうが、自分たちとは何かが違うロウが救われたら良いのにと思ったのだ。
そのときコーラウに言われていた忠告なんて、リヴは覚えていなかった。
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