第7話
リヴとロウは死者が通るものとは別に作り出した渦の中に入って何もない暗闇を歩く。リヴは今まで通ってきたこの暗闇の正体はこのワープ空間だったのかと納得した。
「そういえば九人はすんなりと見つけたのに、十人目はなかなか話しかけませんでしたね。何か理由でも?」
「……約束だったので。結果は残念でしたけど」
リヴは前を向いたまま歩く。残念などと言いながらもその顔は全く残念そうに思えない。ただ知っている感情の名を並べているように。
「誰かに大きな希望を抱きすぎたせいで絶望しました。私のせいでもあるんですけどね。期待しなければ良かっただけなので」
「……期待をしなければ良い。そう誰かは言いますけど生きる上で期待はつきもの。期待することで希望を見つけて生きていく」
ロウは考えるように目を閉じながら言う。
世界がいくら年月を重ねようと、いくら便利になろうと根本的なものは何も変わらない。こんな苦しみに溢れた社会で生きていく生命の強さは計り知れないだろう。その中で絶望する人間が拒まれるのは、そういう理由も含まれるのかもしれないとも思った。
会社で無能がクビになるように。世界で生きていく力もない人間が、命の与奪の輪廻から外されるのはきっと同じ理由。
最初にここに来たときと同じ黒の扉が現れてそれをロウが開ける。同じように、ソファに腰掛けるシュトゥルが待っていた。しかし前回と違うのはそこにシュトゥル以外の人間がいたこと。
「ロウちゃんおかえりなさぁい。そして、あなたが新人ちゃんねぇ。可愛い子でお姉さん興奮しちゃうわぁ」
両手を顔の横で合わせて赤らめた顔で微笑む、藤色の髪の女性。
「おかえり。良い働きだったよ」
黒縁メガネを押し上げてリヴの顔を見ずに言った黒色の髪の少年。
そして何も話さずに隅で睨むようにリヴを見る赤紫色の男性。
「仕事はどうだったかな」
「ロウさんのおかげで難なくできました」
「そうだろう。ロウは一番優秀だからな」
シュトゥルは何度も頷いて言う。ロウはその言葉に何を思っているのか微笑むだけ。
「集まってる者の紹介くらいしよう。この女はイュレ。小僧はベレト。黙ってる男がコーラウ。他の者は会ったときにでも紹介してもらえば良い」
シュトゥルの言葉にリヴは頷いて今いる三人に向けてお辞儀をする。
「ちなみにベレトちゃんがシュトゥルの次におじいちゃんなのよぉ」
イュレはベレトをきつく抱きしめながら言う。その胸に押しつぶされそうになっているベレトはイュレを押し返そうとするも、その幼い体じゃ大人の体を拒絶することができずされるがままに抱きつかれていた。
「イュレ、やめろ。それにおじいちゃんって言うな。見た目はまだ十もいかないんだから」
「つまんないわぁ。ねぇそうよね、コーラウちゃん」
イュレは振り返ってコーラウに同意を求めたが既にコーラウはそこにいなかった。イュレは突然、怒ったのか頬を膨らませてズカズカとリヴに近づく。そしてリヴの手を取って固く握手をした。イュレの手は白くて細くて、冷たい。
絶望した人に心はないのにイュレにはまるで心があるように表情が変わる。それでもその瞳はどこまでも暗く、恐怖さえ与えた。
「あなた可愛いから好きになっちゃいそうだわぁ。ねぇ、これからあたしのお部屋に来ても良いのよ。楽しい時間を過ごしましょうよぉ」
リヴの体に抱きつこうとイュレは手を広げるも、その体はロウによって止められる。イュレはまたむすっとした顔になってロウを睨むように見た。
「止めないでちょうだいよぉ。それとも何? 嫉妬かしら」
ニヤニヤといったような笑みを浮かべながらイュレはロウを見る。ロウはからかわれても何も思わないといった様子でイュレを冷たく見つめていた。
「リヴさんは初仕事で気疲れしてることでしょう。一人にさせてあげては?」
「うーん。ロウちゃんの言う通りだけどぉ。まあ良いわぁ。これからずっと一緒だもの。いつでも待ってるからねぇ」
イュレは機嫌を良くしたのか、ひらひらと手を振りながらシュトゥルの部屋を出ていった。その様子を黙って見ていたベレトも頭を掻きながら扉の方に近づく。
「気味悪くて変なやつばっか」
ベレトはため息混じりに言いながら部屋を出た。
「リヴさんは疲れたでしょう。先に戻っていてください。お疲れ様でした」
ロウがリヴの肩を軽く叩いて微笑む。ロウはリヴの顔は見ずに目の前にいるシュトゥルだけを見ながら言っていた。
急に起きた出来事に目まぐるしく感じていたリヴは一瞬ロウを見て動きを止めたが、余計な考えは捨ててロウとシュトゥルにお辞儀をしてから部屋を出ていった。
部屋にはロウとシュトゥルの二人だけが残る。
「ニホン生まれの子はやはり礼儀正しいな」
シュトゥルはその長い自分の髭を触りながら言う。ロウはシュトゥルの真向かいのソファに腰掛けた。
「今日は、お話して頂きましょうか。シュトゥル」
微笑むロウの冷たい声にシュトゥルはその黒い目を細めた。
◇◆◇◆◇◆
全部聞こえてた。
「
「分かる。あの微笑みが俺一人に向けられる世界線どこだよ」
「でもさ、北条さんってやばいいじめ受けてんじゃん。告白してみろよ。俺らまでいじめられるかもしれないぜ?」
「うわぁ、それだけは勘弁」
「北条さんは眺めてるだけで十分だな」
「色んな意味でな」
「あはは」
全部、全部。
「北条がまた一位だって」
「どうせ先生に媚び売ってんじゃない?」
「
「あっはは! 言ってそー」
「きもすぎー」
「なんでああいう女がモテんだろ」
「ねね、うちらが分からせてあげなきゃじゃね?」
「あんたてんさーい。北条可哀想だもんね」
全部、全部、全部、全部、全部、全部。
「北条さんのいじめ、さすがにやばいんじゃ……」
「静かに! あの人たちに聞かれたら私たちまでいじめられちゃうよ。北条さんは、可哀想だけど放っておこう。それに、もう少しで卒業するんだしさ!」
「だ、だよね。北条さんも私たちなんかが関わらない方が良いよね」
「それに大人が何とかしてくれるって。先生がだめでも教育委員会とかさ。色々あるし、大丈夫だよ」
笑ってないで教えて。見て見ぬふりするなら私の名前を呼ばないで。気にするなら助けて。
大人なんて、何もしてくれない。
「校長先生から電話かかってきたのよ。お母さんびっくりしちゃって何も言えなかったわ。学校に迷惑かけてどうするの。お母さんに恥をかかせないで」
「違うの。お母さん、ずっと言いたくなくて言ってなかったけど、いじめられてるの。皆に無視される。物だってなくなる。体操着だって一つ使えなくなった。もう、耐えられない」
「でもあと数ヶ月の辛抱でしょ? いじめなんてお母さんの時代には殴り合いまで起きてたのよ。それくらいで済むなら我慢しなさい。それに社会に出たらもっと酷いことで溢れてるんだから、強くなれる良い機会じゃない」
「でも……でも!」
「でもでも言うんじゃありません! こんな子に育ったなんてお母さん恥ずかしくて外を歩けないわ」
クラスメイトも、先生も見て見ぬふり。お母さんも信じてくれない。大事な友達も離れていく。ネットに捏造の私の動画が出回る。見ず知らずの人から批判の声が常に届く。この世の誰も、私を守ってくれない。
小中学校でもいじめは多少あった。でも友達が一緒にいて守ってくれたから何も怖くなかった。
私が好きになった人がずっと一緒にいてくれれば良い。それが一人だけでも。何があっても乗り越えられる自信があった。
頭の良い学校にはいじめがないと思ってた。でも、実際そこは泥沼のような空気の重たい世界だった。その一位の座を狙って潰し合いが常に行われ、一秒たりとも油断できない世界。
そこで私は一位の座に座り続けた。どの教科においても一位を取る新入生として噂は学校中に広まる。親にも褒められた。自慢の娘、自慢の親友。
なぜ死んでるの。罪償いって聞いて思わず吐き気がした。目すら合わせたくなかった。何度も何度も、助けてって言った。あなたに一番助けを求めた。何度も何度も。でも、あなたはいつの日か全ての連絡手段を絶った。家を訪問しても出てこなかった。
二度目はない。死んだら繰り返せない。
嬉しかった。久しぶりに声をかけてくれて。久しぶりに頼ってくれた。倉庫なんて行く機会ないのは知ってる。でも、見つけて、その後話せたら。また一緒にいてくれたら。私はもう少し希望を持っていられた。
倉庫にあの人たちが入ってきて、体のどこかでガラスが割れたような音が聞こえた。
抵抗する気も起きなくて、倉庫にあったマットに寝転ぶ。壊れたように笑い出したのを見てあの人たちは動画を回していたわ。加えて手際よくそこにあった縄で私の首を絞めていく。暗くなっていく視界に闇に吸い込まれる永遠の心地を覚えた。
目を開けたら藍色の髪をきっちりとワックスか何かで固めている、スーツのような服を着た男性が私の頭を撫でていた。穏やかさも、温かみも何も感じない。だけど嫌な気も起きない。
ただ冷たい男性の手のひらが自分の死を教えてくれた。
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