第6話

 その後もリヴはロウの助けもありながら、初仕事とは思えないスピードで仕事を終わらせていく。

 年齢も性格も未練も様々な人間に対して希望を持たない死神が、彼らには希望を抱かせたまま世界の外へ連れていく。ロウはとんでもない新人が来たと安堵の息を吐く。


 リヴは今日の仕事内容をスマホで確認する。十分の九と表示され、あと残り一人だと知らせていた。

 ロウはすっかり日が暮れてしまった夜の街を歩きながら煌びやかな街をどこか遠くで見ている。


「ロウさんは、仕事を辞めたいと思ったことがありますか?」


 突然の質問にロウは考え込む。

 三百年前とかそういう微妙な時期に自分が何を思っていたのか覚えているほど記憶力は良くない。辞めたいなんて思った時期が、自分に果たしてあったのだろうか。あったとして今ここで同じように働いているし、辞めたいと思っても辞めることができないからそんな気持ちを抱くことさえ無駄なことだろう。

 きっと、辞めたいと思ったときもこんなことを考えてその考えを捨てたはずだ。


「さあ。覚えてません」

「そうですか」


 特にその答えに不満を感じない様子のリヴはそのまま前を見て歩く。

 気持ち悪いほどに死者が街にいる。選び放題とも言えるのに、リヴはなかなか彼らに話しかけない。ロウはそんなリヴのことを不思議に感じながらも何も言及せず街歩くリヴについていくだけ。


「ノルマをこなせなかったら罰はありますか」

「……さあ。そんなこと一度もありませんし、興味ないので知りません」


 リヴはロウの言葉にゆっくりと頷いた。


「あっちに死者がいますね。行きましょう」


 リヴはそう言うと方向を右に変えて歩き出した。ロウはその視線の先に交差点を虚ろな目で見つめるリヴと歳の近そうな少女を見つけた。


「こんばんは」


 リヴはその少女の背後から声をかける。少女はゆっくりと振り返る。そしてその目がリヴの姿を映すとその虚ろな目に光を宿した。そして嬉しそうに目を輝かせてその口を開く。が、リヴはその唇に人差し指を当てる。少女は声を発せず、首を傾げた。


「お話があるので少し良いですか?」


 少女は迷うように頷くと踵を返して歩き出したリヴと共に歩き、近くにあった駅の隅で止まった。


「あなたは死んでいます」


 突然告げられた言葉に少女は瞬きを繰り返して苦笑いを零した。


「そ、そっか。そっかぁ。死ねたんだ」


 死んだことを救いのように思っているのか、少女は涙を零しながらすっかり暗くなった空を見上げた。リヴは少女から目を離さずにその様子を見る。


「あなたは世界の外に行って新たな命を手にして頂きます。そのためにはこの世からきっぱり手を離す必要があるのですが、やり残したこと、未練はありますか?」

「ううん。ないよ。これが、約束だったから。果たせて十分。幸せ」


 少女は上を見上げたまま嬉しそうに話す。


「では同意して頂けるということでよろしいですね」

「うん。でも、その前に話を聞いてもらっても良い? これを誰かと共有しておくのも良いかなって思って」


 リヴは少し視線をずらして頷いた。少女は息を大きく吸い込むような動作をすると人が行き交う駅の改札を見た。


「私、生きてた頃に酷いことしてた。友達だって親友だって言ったのに、見て見ぬしてた。なんなら加勢した。その子ね、この前死んじゃったの。大人は自殺だって言ったけど、私は知ってる。殺されちゃったんだよ。倉庫で自ら首吊ったって話だけど、違うんだよ」


 少女は後悔を握りしめるように拳に力を込める。そしてふっと力を抜くとリヴの顔を見つめた。


「私のせいなんだ。倉庫なんて行かなくて良いのに。私もいじめられるのが怖くて、その子に物をなくしたって嘘をついた。倉庫なんて行ってないのに倉庫にあるかもって言って。その子が物を探してるときに、いじめてた人が倉庫に入って、それで」


 少女は堪えきれずにその場にしゃがみ込んで大声で泣き出す。

 少女は心の中でまるで言い訳のような言葉を並べ始める。


 聞いてた話と違ってた。一晩閉じ込めてやるって、それだけだって言っていた。窓は開いてるし死ぬことはないよって。それをしなきゃ私もあの子と同じ目に遭う。それだけは嫌だった。だって、あの子がされてたいじめは相当酷いものだったから。あれを一緒にやってやる覚悟は、持ち合わせてなかった。なんて最低な、人間なんだろうか。


「思い出したの。小さいときの話。すっごく仲が良かったからこんな約束したの。どこまでも一緒。どんなことも一緒だよって。私、大事な友達との約束より名前しか知らない他人の言うことを優先した。可愛い子なんだよ。優しくて賢くて。女子男子関係なくすごくモテて。こんなブサイクな私に親友だよって言ってくれた。なのに……私」


 少女は溢れ出しそうな感情を抑え込むように目を固く閉じる。リヴはそんな少女をどこまでも冷たい瞳で見つめていた。まるで少女を否定するように。


「ああしておけばよかったって後悔してるんですか?」


 突然の問いかけに少女はその涙に濡れた顔でリヴを見る。リヴの光のない瞳に怯えたが、その顔にどこか安心を覚えて視線を落とす。

 リヴと少女の間に強い風が吹く。リヴの長く艶やかな髪がそっと流れた。


「あなたが死んで追いかけようとするのは構いません。ただ、あなたが再会を望むその子とはもう金輪際手を取り合えないことを知ってください」


 冷たく突き放すようにリヴが言うと、少女はそれを受け入れたようにゆっくりと目を閉じて頷く。


「自己満なんだ。これも全部。これから幸せに生きるって道もあったんだと思う。でも、それはできなかった。私の存在を消して、あの子と同じように人生を終えることで。はは、私って最低」


 自虐するように少女が言うと立ち上がってリヴと目を合わせる。光に満ち溢れて希望を感じるその目が、少女から香る甘ったるい匂いがリヴを残酷に包んでいく。


「話したいことはそれで全部でしたか」

「うん。もう満足。ありがとう」


 少女は微笑むと両手を勢いよく広げて思いきり伸びをする。その顔はどこまでも幸せそうだ。


「あーあ。私がもっと強い人間だったら良かった。後悔してもしきれない。あなたの言う通り、次は友達を守ってあげられる人になるよ。大事な宝物をもう二度と失わないように」


 リヴはその言葉を聞き流しながらワープ空間を作る。


「次は……。大事な人を守れると良いですね」


 少女はそのリヴの言葉を聞いて申し訳なさそうに口を閉じる。俯いてそのワープに近づいていく。


「あなたは幸せだった?」

「いいえ」


 リヴはそうはっきりと言う。何を問おうと表情を変えないリヴは、少女の知っている人じゃない。

 少女は言いたい言葉も全て飲み込んで渦の中に足を踏み入れる。少女が、どんなときでも大事に思い続けていたかった友達のことを最後に想う。


 全て忘れよう。友達を大事にしたいという気持ちだけをいつまでも持ち続けて。


 渦は縮まって消えた。それと同時にスマホから短い音が聞こえる。リヴはスマホの画面を確認するとノルマ達成と可愛い字体でクラッカーのイラストと共に表示されていた。


「ノルマ達成、おめでとうございます」


 どこからかやってきたロウが拍手をしながらリヴに近づく。リヴは軽く頭を下げる。ロウはそんなリヴの頭を撫でる。


「ロウさんって頭撫でるの好きなんですか」


 ロウはリヴにそう言われ、はっとしたように目を開いた。


「好きというわけでは……。なんでしょうかね、くせなんでしょう」


 ロウも首を傾げながら答える。改めて自分の手を見つめて考えてみる。

 そういえば無意識の内に頭を撫でる機会が多かった気がする。さすがに先輩相手に頭を撫でたことはないが。どうしてなのだろうかと探ってみても何も分からない。深いため息を吐いた。

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