第8話

 リヴはスマホを確認する。ニホンの時間を確認するとここに帰ってきてからもう八時間も経っていた。

 自分宛の新しい仕事は来ていないので先程淹れたお茶を飲む。温かさが体に染み渡っていく。

 ソファに倒れ込むように寝転がって天井を見つめる。改めて生きているときに何気なくすることは全部生きるために必要なことだったのだと自覚した。今となって必要ないと言われると何をすれば良いのか迷う。


 コロロン。コロロン。


 スマホから聞いたことのある音がして机に置いていたスマホに手を伸ばす。画面にはロウと表示されている。


「もしもし」

「疲れは取れましたか?」

「いつも通りです」


 リヴの淡々とした声とロウの弾んだ声が部屋に響く。リヴはわざわざ耳に当てるのがめんどくさく、どうせ誰もいないので通話をスピーカーモードにしていた。


「それは良かったです。実は新しい仕事が舞い込みまして。リヴさんが良ければですけど、同行しますか?」


 ロウのその言葉にリヴは少し考えた。

 ロウがリヴに教えてくれた。私たちはシュトゥルから仕事をもらう。全ての仕事がスマホに表示されるのだ、と。

 先程リヴがスマホを確認したときはイュレとコーラウの仕事だけだったので、ロウを含む他十二人宛の仕事はなかったはずだ。

 考えた結果、極秘任務かなんかなのだろうと考えをまとめる。しかし仮に極秘任務だった場合。新人のリヴが一緒にいても色々な意味で大丈夫なのだろうかとも思う。


「質問に質問で返してしまいすみません。私がついていても問題ないんですか?」

「ええもちろん。あなたのやる仕事とは少し異なりますが、勉強です」


 リヴは詳しくは語らないロウからこれ以上の情報を聞き出すのは不可能だと感じ、もう一度聞くのは諦める。


「ロウさんが良いなら、お世話になります。いつ頃からですか?」

「急ですみません。あと三時間後には目的地にいなければいけませんので」

「分かりました。では、その十分前にシュトゥルさんの部屋に──」

「いえ、私が迎えに上がります。それではまた」


 リヴの言葉に被せるようにロウは言う。何かに焦っているのだろうか。気になることが多かったが余計なことを考えるのはやめて、一方的に切られたことで暗くなったスマホの画面を見つめた。

 リヴはお茶を飲み干すと部屋着から外へ出られる格好に着替える。クローゼットに入っていた服をよく見るとだぼっとしたパーカーとプリーツスカートかショートパンツ、スキニーパンツくらいしかなかった。色やタイプが様々なので被ることはないし好きな服なので困りはしないが。

 一通りの準備を終えてスマホのスケジュールを確認する。ロウは、一体どんな仕事をするのかと。


「リヴさん、準備できましたか?」


 扉の先からロウの声が聞こえてリヴはその扉を開ける。一瞬、リヴはそこにいた人がロウだと気づけなかった。


「今日は畏まった格好ではないんですね」

「まあ、極秘任務なので」


 普段全て後ろに流している前髪を下ろして固めている髪には何もしていないのかサラサラしている。服装も白シャツに黒のズボンでラフな格好だ。

 ロウはまじまじと、見た目がいつもと変わらないリヴを見ていた。それにリヴは首を傾げる。


「少しお邪魔しても良いですか?」

「え、まあ構いませんけど」


 ロウは部屋に入るなり、リヴを椅子に座らせる。そしてリヴにヘアゴムを借りて慣れた手つきでリヴの長い髪を一つに結いていく。そしてリヴの着ていた服についていたフードを被らせる。


「あの、突然どうしたんですか?」

「お忍びなので。我慢してくださいね」


 ロウは微笑んで言うとフードの上からリヴの頭を撫でる。リヴは何も理解できずただ前を見ていることしかできなかった。

 妹でもいたんだろうかと想像しながら。


 ◇◆◇◆◇◆


 ロウは十三人の中でも特殊であった。シュトゥルはすぐ見つけることができなかった。

 それが、シュトゥルの思わぬ落とし穴。


 シュトゥル。今からおよそ七万年前にA世界、シュヴァイティル王国で生きていた男。彼は生前から特別な人間だった。それ故に。絶望が彼を襲う。


 彼はとても寛大だった。これから先、自分と同じように絶望する人間の不条理さを恐れていた。絶望して生きる価値も意味もなくなった人間が、なんて愚かで可哀想なことかと。

 彼は自分のたった一つの力を使った。

 せめてあれが来るまでの間は。自分と同じような運命を迎えた人間が永遠に、生と死を──。


 ◇◆◇◆◇◆


 リヴは見たこともない土地に飛ばされた。レンガのでこぼことした道に隙間もないほどに建ち並ぶ家。そしてぎゅうぎゅうに敷き詰められているかのような市場。人が行き交い、賑わっている。


 そこはまるで異世界。


 ロウとリヴはそんな街を歩いていた。ロウから目的も何も聞かされていない。


「ロウさん、ここは?」

「ヴァイツという国です。A世界で一番栄え、一番古い歴史を持つ国」

「ここで一体どんな仕事を──」

「仕事、というより調査に近いかもですね」


 ロウはあまり多くを語ろうとしない。リヴもこれ以上問うのはやめて辺りを見回してみる。

 聞こえてくる言葉がなぜか聞き取れる。恐らく商品の値段が書いてある文字の何一つ分からない。けれど街行く人が何を話しているのか。聞き取れることになんだか変な気持ちが湧いてくる。

 これは、恐怖に近い感情。心はもうないはずなのに。


「あなたはあの空間をどう思っていますか?」

「どうって……。暗いなと」

「確かに真っ暗ですね」


 ロウは予想外の言葉が返ってきて、つい堪えきれずに手で口を押さえながら笑った。きっと、生者ならこうするはずだと。


「あれは作り物です。シュトゥルが作り出した、幻想世界。Z世界です」

「Z世界……幻想……」

「ええ。シュトゥルは、死ぬとき力を使った。その最強とも呼べる力を、絶望した人間のために」

「死ぬとき? でも、私たちって死んでからこの力を手に入れるんですよね。生きてる間は使えないんじゃ」

「シュトゥルは、この輪廻を生み出した張本人ですから。あまり詳しく言うと怒られそうなのでここまでにしときますね」


 ロウはそう微笑んで言うとまっすぐと歩いた。リヴは首を傾げつつもロウの後を追いかけた。


 ロウが向かうのは、全ての始まりの場所。


 ◇◆◇◆◇◆


 絶望した人間の瞳は美しい。その光を宿さぬ、希望を持たぬ底のない瞳が。とても美しく、残酷に輝く。それが、何よりも愛おしい。可哀想に。可哀想に。


 希望を持ち続ける人間を前にしてみよ。希望を持ち続ける人間を、その目に入れてみよ。

 だが、君たちは何も感じられない。何も感じ取れない。その自らに眠った心で思うことを、二度と。


 ああ、本当に素晴らしい。


 ……可哀想に。


 ワシが永遠の贈り物を授けよう。


 それを壊す者には、特別な贈り物を。

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