第4話

 スマホのアラームが鳴ってリヴは目を開ける。眠る必要がなくても、どこか一日を終えた気にしたくて、目を閉じて寝たふりをしていたのだ。

 生前は決して起きる時間ではなかった三時。はっきりとした意識の中でお湯を沸かしてお茶を淹れる。

 四時三十分にロウとシュトゥルの部屋で待ち合わせをしているのでそれまでに準備を終えることに決めていた。

 ぶかぶかとした黒のパーカーに白のプリーツスカートに着替える。たくさんの人から悪口を振りかけられた生まれつきの艶やかな髪をとかす。洗顔後のその潤いのある顔に薄く化粧をしていく。お茶を飲み終えたら準備完了だ。


 四時二十五分にリヴはシュトゥルの部屋に着く。そのときには既にロウはそこでリヴを待っていた。


「偉いですね。五分前行動は良いと聞いたことがあります」


 ロウは出会ったときのようにリヴの頭を撫でる。


「初仕事。頑張りなさい」


 リヴたちの背後で椅子に深々と腰掛けていたシュトゥルが見定めるような目で見ながら言う。リヴは頷き、先に歩き出していたロウの後を追いかけるように歩いた。

 全身が暗闇に呑まれたその次の瞬間、リヴにとっては見慣れた場所に着いていた。ニホンの首都であるトウキョウだろう。この高いビルに大きな画面。こんな早朝にもかかわらず交通量の多いこの交差点。自分を絶望に陥れた世界。ただただ、なんの感情も沸き立ってこないけれど、その場所を見つめてみる。


「ノルマは十人。初めてなのでゆっくりやっていきましょう。時間は二十四時間もありますから」


 ロウはスマホに表示された時間をリヴに見せながら言う。


「四百年前の人でも、スマホは使えるんですね」

「おや。逆に四百年過ごしているのですから時代についていくことに慣れるんですよ。便利な物を取り入れるのが上手く過ごすコツです」


 その目を細めて言ったロウ。リヴはその顔をまじまじと見ながら視線を流して頷いた。

 いつ見たって微笑んでいるロウの瞳の奥は冷えきっている。


「特別力を込めなくとも私たちは死者を見れます。これといった特徴はありませんが、目が訴えるはずです。生きた者ではないと」


 ロウはそう言いながら振り返って路地裏へと指さす。リヴは目を凝らすようにしてその路地裏を見る。まだ空も暗いこともあって闇のような暗さを持つ路地裏に、人がいるかどうかも分からない。

 リヴは歩き出したロウにとりあえずついていく。


 しばらく歩き、生ゴミが散乱した場所まで辿り着く。そこに力をなくしたように座り込む男性の姿を見つけた。今にも吐き出しそうなほど苦々しい臭いを感じる。これまで散々あった生ゴミの臭いは一切感じなかったのに。

 リヴは確信した。その男性が生者ではないと。透けているわけでもないが、目がジリジリと痛むように、その者の死を知らせる。


「この匂いは苦しみで死んだ者の特徴です」


 ロウはその吐き出しそうな臭いにも顔色一つ変えずに男性の方に向き直る。リヴは情報を忘れない内に紙にメモをした。そのときふと見えたロウのその顔はどこまでも冷たく感じた。


「話しかけてみてください。言うべきことは三つ。死んだことの確認。外へ連れていく説明。それの同意。余計な話は要りません。助け舟が必要なら言ってくださいね」


 リヴは少しの間黙り込んで男性を見つめる。こちらの存在に気づかないのかぴくりとも動かない。

 男性の視界に合わせるようにしゃがみ込んだ。苦い臭いがより一層強くなる。


「おはようございます。……えと、その」


 リヴの言葉に反応したようにゆっくりと男性は顔を上げた。その顔には後悔と苦しさと、希望を感じさせる。


「俺は死んだのか?」

「……そうですね。あなたは死にました。ですのであなたはこの世とさようならをして、また新たに命を──」

「放っておいてくれないかな、お嬢さん」


 男性は諦めたように、吐き捨てるように視線を下に落としたまま言う。

 リヴは言い方が悪かったかと反省をし、一度身を引くべきかと考えたが時間の条件付きの仕事であるから引き下がるわけにもいかない。もう一度その光を宿した瞳に訴えるように言葉を並べる。


「そういう訳にもいきません。こちらも仕事なので」

「死んだ後ぐらい、好きにさせてくれよ」

「好きにしたところで何になるんです。あなたは死にました。この世であなたという存在は消えたのです。ここに留まり続けて自分のいない世界を見て、何を思うのですか」


 問い詰めるようにリヴが言う。そのリヴの言葉か自分自身か、それとも両方か。イラついた男性が拳を壁に当てる。無音がその場に重たく流れた。


「お嬢さん、あんた趣味悪ぃな。人の心ってもんはねぇのか、よ……」


 男性が初めてリヴの目をその目に映すと、言葉が吸われたかのようにその目を見開いて口を閉じた。


「お嬢さん、いやあんた、人間か?」

「……私の話を聞いてください。余計なことはいいんです。今から言うことに全て頷いてください」


 男性は瞬きを繰り返す。リヴはそれを賛同だと受け取ってその目をしっかりと見て、人差し指を立てて一の形にする。


「あなたは死にました」


 男性は頷く。リヴは中指を立てて二の形を作る。


「あなたは世界の外に出て新たな命を手にします。この世に未練は何もありません」


 男性はぎこちない動きで頷く。リヴは薬指を立てて三の形を作る。


「あなたはそれに同意します」


 男性はまるで感情のないマリオネットになったかのようにその首を動かした。

 リヴは立ち上がって背後でその様子を見ていたロウの方へ向く。


「この後は、どうしたら良いですか」


 淡々と言うリヴにロウは何も言わずにただ立っているだけ。リヴは首を傾げた。


「ああ、すみません。同意して頂けたら世界の外に通じるワープ空間の渦作り出します。そこに死者の方のみが入って、渦が消えたら完了です」


 リヴは簡単にロウにワープ空間の作り方を教えてもらう。願うだけで手のひらにブラックホールのようなものが現れ、それを空に離せば終わりだ。


「上出来です。それがワープ空間です。さあ、あなたはここへどうぞ」


 ロウは男性に案内するように渦の方を手で示す。男性は言われるがままにその重そうな腰を上げてワープに近づく。

 男性はリヴとロウの顔を交互に見て言う。


「あんたら一体何者なんだ」

「死神です。あなたと変わらない人間だった。次も絶望しない世界で生きれますように」


 ロウは目を閉じて微笑んだ。その言葉には皮肉とかそういうのは感じず、ただ心からの言葉に聞こえた。ロウにもう心はないが。


「不思議だ。雪子せつこが気がかりで消えてやるつもりは全くなかったのに、そんな気持ちが一瞬にして消えてしまった。雪子は、俺なしでも幸せに生きていける。俺が信じてやれなくて誰が信じるんだ」


 先ほどとは別人のような晴れやかな顔をした男性は覚悟を決めたように真剣な顔つきになるとそのワープの中へと入っていった。


「雪子、幸せに」


 消え入るような男性の声が聞こえると、その渦は縮むようにして消えた。


「雪子って人の名前ですかね。奥様……娘さんでしょうか」

「さあ。興味ありませんね。でも、きっと彼が絶望しないでいれたのはその方がいたからなのかもしれません」


 ロウは男性がいた所をじっと見つめる。いつも微笑んでいるその瞳がよく見える。リヴはその考え込むロウの顔には感情が渦巻いているように感じた。


 空に朝日が昇った。

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