第1話
必ず一日に一度は事件や事故は起こる。だから死ぬ人も伴って多い。病気や寿命で果てる者も。でもそれはあくまで世間での話。今日、まさか身内で起こるなんて想像もしていなかった。皆はそう口を揃えて言う。
この家族もその内の一つだ。
高校三年生の長女が昨日死んだ。
彼女はとても優しい人だったという。何をするにも優秀でその上容姿端麗。そして周りから好かれる存在。だからこそ死は彼女の元へ早くに訪れた。
彼女のように完璧と呼ばれる人間を嫌う人間は一定数いる。嫌っていてもそれを実際に行動する人としない人に分かれる。また、行動する人も本人にはバレないように裏でこそこそとやる人と本人に直接様々なことをしてしまう人がいる。大抵の者は阿呆だ。そんなことを行動に移したとて、何があるか赤子でなければ判断できるだろうに。
彼女はタチの悪い人間に嫌われてしまった。酷いいじめを受けていたそうだ。それでも彼女は希望を失わずに笑顔でい続けた。本来の、ありのままの自分で他人に接し続けた。偽りではない。本当の優しさを他人に分け与えていた。気味が悪いなんて言葉を何度言われようと。
しかし、そんな彼女でさえどこかでぷつりと切れてしまった。まるで今まで必死に掴んでいた命綱が切れたように、突然のうちに彼女は落下していく。地の果てまで。希望の見えない、絶望の底まで。
彼女のような人間でも一度でも救いようのないどん底とも言える絶望を抱くと、死の中でもこの世で最も残酷な死を選ぶ。世界が死を与える。
なんとまあ残酷な話だろうか。この世には生きる価値すらもない人間が甘い蜜を吸って、のこのこと生きているというのに。
思わず頭に浮かんだ冷たい心を閉ざすように、青年は首を横に振った。今まで長く見つめていたその場を飽きたように視線を逸らして振り向く。そのまま歩き出し、背後に立っていた高校生くらいの少女の前で立ち止まってその頭を撫でてやる。柔らかな髪にはもう命の力を感じさせない。時が止まったかのように、静かに。青年は微笑んで、また飽きたように撫でるのを止めた。そして少女の横を通り過ぎていく。少女はそんな青年の後を追いかけるように歩いた。
この世には色々な仕事がある。人には知られていない仕事。限られた人にしかできない仕事。そんな仕事のおかげでこの世は幸せの仮面を永遠に持っていることができる。
彼らがこれから向かうのも、生きる人が知ることもない裏の仕事。彼らにしかできない仕事。それをするためにある場所へ向かう。
青年はある場所で立ち止まると後ろでついてきている少女に声をかけた。初めてその仕事の内容を見る少女の教育をするためだ。青年は現場へ向かい、少女はその場で待機しながら観察。百聞は一見にしかず、ということわざがとある世界にはあるので。
少女は特に感情を見せることなく淡々とそれを見ていた。だが、初めて見るその異様な光景に瞬きすることなんてできるはずもない。
少女が想像していたより早く作業を終えた青年は少女の元に戻ってその頭をまた撫でる。慰めか、癖か。少女に青年の心を読み取るなど不可能だ。
少女はその手から逃れることもなく、ただ前を見つめていた。青年はその様子を見て何を思ったのか微笑み、目の前に広がる終わりのない暗闇の中へ歩いて消えた。少女も、その闇に呑まれるようにして消えた。
◇◆◇◆◇◆
何を思って死ぬかは人それぞれ。
幸せ。絶望。恐怖。憧れ。希望。喜び。驚き。
感情の数だけ人は思う。
その中でも絶望、つまり感情を手放して死ぬ人は異端として世界から見放される。数少ない、絶望の感情を抱く者。
恐怖で死ぬ人は多い。自殺であろうと、殺人であろうと。病気、寿命。全てにおいて怖いという感情はつきものだ。死なら、尚更。
一方で絶望というのは、恐怖と似たもので全く違うものだ。死は怖くない。恐れていない。けれど、死ぬとき心を捨てるように絶望するのだ。強く強く、何かへの希望を捨てる。感情を司る心を捨てる。心は命持つ者ならばなくてはならない非常に大切なもの。そんな心を捨て、生きることへの光が枯れるほど消えた者を世界は救ってくれない。
そんな人間は世界を救うために使われる。世界への希望を捨てた者が、世界の希望のために働く。正式名称はないため、彼らは自らのことを死神と呼んだ。
死神の仕事は至って簡単だ。死んだ魂を迷わず世界の外に連れ出す。それだけ。人がどんな理由で死のうが構わずに外へ死後一日以内に連れていく。情を抱いてはならない。命あるものに対して力を使ってはならない。存在を知られてはならない。それが決まり。
この仕事は、絶望を抱いて死んだ者には過酷だろう。大抵の者が人生に対して希望を持っている。その希望が、より彼らの首を絞める。死んだはずの心臓に針を刺す。いや、前言撤回だ。首を絞めることはないだろう。彼らにはもう、そんなことを思う心などないのだから。
彼らは世界に戻ることが許されてない。一度世界に希望を捨ててしまえば、世界は二度と彼らを許さない。異端者として、世界の輪廻にいる者とは別の存在として。生と死の狭間を永遠に漂い続ける。自分が何者か、分からなくなるほどに。漠然とした時間を死に一番近い所で。
そんな死神の世界に新人が四百年ぶりにやってきた。まだあどけなさを残した若い女性だった。
◇◆◇◆
何もない空間に突如と現れた巨大で真っ黒な扉を青年は開ける。
今まで暗闇に包まれていたからか眩しく感じるその白い無機質な部屋には年老いた男が深紅のソファに腰掛けており、視線だけ動かして少女の瞳を見た。男も、その瞳に一切の光を宿していない。
「可哀想に。絶望した少女よ、よく来たな。はぐれ者の場所へ。歓迎致そう」
長く白い顎髭を揺らしながら話す男はその両手を無造作に広げる。少女はしばらくしてゆっくりと男に近づいた。男は優しく少女を包み込んで頭を撫でてやる。
それは慈悲深いようで、一切の感情も伝わってこないような。不思議なハグ。
「ロウは戻って良い。少女よ、ワシと話をしよう。何、ちょっとした面談だよ」
ロウと呼ばれた青年が男にそう言われ、少し目を合わせた後、ロウはまた扉を開けて向こうの、果ての見えぬ暗闇に消えていった。
「ワシの名前はシュトゥル。死んでからもう何千、いやもう何万と経ったかな。死神一号だ。ははは」
豪快に笑っているがその目は一切笑っていない。シュトゥルはずっと少女の希望のない瞳を見続けている。
「お前さんはなぜ死んだ。死とはなんだと思う」
前のめりになって少女に答えを急かす。
「そして、それを踏まえた上で。お前さんはこの仕事をやろうと思えるか。希望を持つ人間のために、ワシらに絶望を与えた世界を救う仕事を」
シュトゥルの薄暗い瞳が一度揺れた。それはまるで自分にも問うてるようで。
世界のはぐれ者への唯一の仕事。世界を平和に、平等に保つための仕事を。果たして最後まで、世界が滅びるその時までやり続ける覚悟があるのか。
少女はその細く美しい唇を小さく動かす。先程死んだのが嘘のように艶やかなその全てが、シュトゥルの目を奪った。
少女を気に入ったシュトゥルは少女に名を授けた。彼らは生前と区別をつけるため、名を捨て新たな名をもらう。
彼らはそれから少女をリヴと呼んだ。
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