第21話 本当の気持ちなんて言えるわけないよ

 彼の生放送の翌日の話。



「ねぇ、マヤどうしよう。私あいつが許せないよ」



 椅子に座る私に肖子しょうこは泣きながら崩れるように抱き付いてくる。私はよしよしと彼女の頭を撫でる。いつも見上げている頭がこんなにも自分の近くにある状況が新鮮だった。しかし、推しが不甲斐ないばかりに起こってしまった、私にとっては喜ばしくはないシチュエーションなので、心底から彼には腹が立つ。私の大切な人をこんなに泣かせるなんて。



「なんでよ。彼と、二人で、遊んだり、ご飯食べたり、もうこれほどの幸せなんか思いつかないって、くらいのことしといて、一体、何の不満が、あってこんな見せびらかすようなことをするの」



 途切れながらもひっくり返る声で、必死に言葉を繋ぐ彼女の姿を見ていると、胸がいっぱいになる。それどころか、痛いほどの激しい共感の気持ちと、肖子しょうこにこんな思いを抱かせたあいつらへの行き場のない、身勝手な怒りで体は膨らみ破裂しそうだった。


 私は彼女の背中に腕を回して背中を上下に摩る。すすり泣く肖子になんて言葉をかけたらいいのかが分からずに、私は黙って、彼女から吐き出される言葉を受け止めることしか出来なかった。




 しばらくしてから、肖子しょうこはもう大丈夫と言い立ち上がった。



「ごめんね。わたしばっかり話しちゃって」



 許せないという胸中から湧き出た感情を口にしたことで、ダムが決壊したかのように想いが溢れ出てしまったのだろう。



「ううん、困ったときはお互い様でしょ」



 私は少しは気持ちが楽になったかどうかを尋ねてみた。



「うん! もちろんだよ。ありがとね」



 一時だけでも彼女の笑顔を見ることが出来たので安堵の思いでいっぱいだ。



「マヤはいいの? わたし何でも聞くよ」


「ううん。私は平気だよ」



 胸に手を当て、任せてと声が聞こえてくるかのような彼女の仕草は、赤みがかった目元のせいで、説得力はまるでなかった。それに加えて、精神状態が脆くなっている彼女に胸中を打ち明ける勇気は無かった。取り敢えず、私の気持ちは有耶無耶にした。



「ほら、まだ涙出てるから」



 私は立ち上がって、彼女に近づくと、ポケットから取り出したハンカチを目の淵にあてようとする。すると、肖子は私のしたいことを察してくれたらしく、膝を少し曲げて屈んでくれる。布を顔に近づけると、眼に近づく異物に対して反射的に目を細める肖子の表情が、何とも言えないほど愛らしかったので、今度は私の方が美しいものを壊すまいとすぐに手を引っ込めてしまった。


 彼女は涙を拭いとって貰えるのだと思い、受け入れた布がすぐに離れてしまったので、不思議そうにきょとんとした顔でこちらを見てくる。


 肖子と目が合っている。コンマ数秒の間が何時間にも思えてくる。むしろ時が止まってしまったのではないのかと錯覚するほどに感覚は麻痺している。


何かを言わなければと声を必死に絞り出そうとするが、言葉にはならずに吃ってしまう。そんな私のことを彼女は、じっと見つめたまま待っていてくれる。


心臓に悪いので、そう安易と見つめないで欲しいのだが、小言を吐いている場合ではない。今は目を瞑りゆっくりと深呼吸を繰り返して、煩い心臓を大人しくさせることに集中する。


 私は再び目を開けると肖子を捉えながら静かに息を吸い込んで口を開く。



「ショーコの顔が、あんまりにね、綺麗だったからびっくりしちゃって──」



 衝いて出たのは恥ずかしい告白のような言葉ばかりであった。声が好きだとか、必ず私が話し始めるのを待っていてくれる所が好きだとか、抱えていた気持ちが溢れてくる。今度は私のダムがどうにかなってしまったようだ。



 こんなことを言う予定ではなかった。彼への気持ちを我慢したら、あろうことか彼女への想いが溢れてしまった。これでは余計に混乱させてしまうのは目に見えている。



 ひとしきり言い終わり冷静に彼女の顔を捉えると、呆気に取られた姿があった。

大きな瞳をさらに大きくさせて瞬きを繰り返えしている。この動作を見れば、言わなくてもよいことまで言い過ぎてしまったことは一目瞭然であった。


だが、もう言い直した所で収拾する状況でもないので私は肖子の声をただ待っている。


 おもむろに肖子は口を開く。



「あのね、すごい嬉しいんだよ。でもなんて返したらいいかわからなくなっちゃったよ」



 そう言うと彼女は私に近づいて抱きしめてくれた。



「マヤのせいでこんなにバクバクしちゃってるよ」



 腕の力が強くなるほど鮮明に聴こえる肖子の心音。その音に同調するかのように私の心臓も鼓動を早める。息は詰まりそうなほど苦しいし、体は火が出ているみたいに熱い。



「でもありがとね。元気でたよ」



 何故か無性に悲しくなった。変に振られたみたいな気分だ。


涙を拭おうとしたのも、投げかけた言葉の数々だって元気をだして欲しかったからだ。だからこれは私が欲しかった言葉のはずだ。頭では喜んでいるのに、なぜ心はこんなにも悲しいのだろうか。



「うん。良かったよ」



 私はそう一言だけ呟くと彼女に体を預けた。

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