第19話 持久走は大変です!

「ねぇ、ダル過ぎない?」

 肖子しょうこはいつもの空き教室に向かう途中に珍しく愚痴をこぼしていた。

「体育のことね」

 確か2ケ月後に控えているマラソン大会の為に体育の授業では体力づくりの名目で走らされるのだ。


 そもそも昼食終わりに体育が入っていることに納得がいかないのだと言う。

「ショーコは良いじゃん。運動神経いいんだし」

「んー!そういうことじゃないよ。それはそれでめんどくさいんだよ」

 速いタイムが見込める人は目をつけられているので、変な風に手を抜いて走るとめんどくさいことが起こるらしい。彼女は何か楽しく走る方法はないかと頭上にハテナマークが見えるように考えている。

「そうだ!マヤ一緒に走ろうよ」

「え、今までの話聞いてた?」

 目を輝かせながら名案を思いついたと言わんばかりの顔をする。残念ながらそれは私の走力も体力も全く考慮していなので穴だらけである。私の足では彼女と肩を並べて走るなど夢のまた夢だ。


「いやいや、私が勿論マヤに合わせるよ」

「それじゃあ手を抜いてるってショーコが怒られちゃうよ」

「上等だよ!女の子にタイムがどうとか言うのがお門違いなんだから」

 闘志をメラメラと燃やす彼女に申し訳ないのだが真面目で完璧な肖子が手を抜いて怒られるというのは解釈違いである。それに私が原因となると気は乗らなかった。

「えー、それよりショーコが私のことを応援しに来てよ」


 どうせよーいドンでスタートしたとしても私が周回遅れになる事は目に見えているので彼女に追い抜かされる状況が何度かあるはずだ。

「まぁマヤがそういうなら」

 渋々ではあるが私の提案を受け入れてくれた。ただし代わりに条件があると人差し指を立て出した。

「マヤもしっかり走るんだよ。あとかわいくね」

「なんか私だけ難易度高くない?」

 よくわからない条件に反射的にツッコミをいれた私の様子に彼女は満足そうな顔をする。こういうさりげない顔の良さが一番心臓に悪いのだ。

 私はドキッとした事を隠すように早く教室に向かうことを促す。




「そうそう!MVで着てた服かわいすぎるよね。あー、そろそろ向かわなきゃね」

 肖子の提案で先に昼食を済ませて残りの時間で駄弁ることにしたので、充分推しについて語り合う事が出来た。私は机の上を片付けて教室から出る支度をする。すると彼女が突然大きな声を上げたので私は咄嗟にその方へ顔を向ける。


「そうだ!もうここで着替えて行かない?」

 名案でしょと自信満々にこちらを見てくる。ここなら人は来ないし断る理由もないが彼女と二人きりという状況が素直に受け入れられなかったので、少し悩んでいると見かねた肖子が口を開き出した。


「マヤってこそこそ着替えてたなぁーって。もしかしたら更衣室が苦手なのかと思ったの」

 私とだったら恥ずかしくないよねと私のことを想ってくれたからこその提案だった。

 たしかに私はなるべく他人に見られないようにして着替えを済ませている。だが意識していたのは他の誰でもなく肖子の視線だった。


 私のことばかりをじろじろと見ているわけではないことはわかっているのだが、変に意識してしまい恥ずかしくなってしまうのだ。

「私のためにありがとうね」

 続けて私の方を向かないで欲しいとお願いした。彼女は嫌な顔一つせずに約束してくれた。

「そしたらね、また良い事思いついたよ!」

 そう言うなりジャージを貸して欲しいと頼まれたので私はかばんから取り出して渡す。それからちょっと待っててねと言い残すと、彼女は教卓から取ってきたマグネットを使って扉の小窓にジャージを被せて固定した。


「これで安心でしょ」


 彼女は目隠しを作ってくれたのだ。

「うん!」

 私の返事を確認すると彼女は後方の扉にも同じように目隠しを付けてくれた。




「どう、終わった?」

「終わったよ」


 私は肖子の方へ振り返る。彼女は何かを言いかけたあとジャージを外してくると言う。

 私はジャージを受け取りすぐに着用する。しかし頭に何かが引っかかったの感じた。髪飾りを外してなかったのだ。

「悪いんだけど先歩いてて」

 わかったよと言う返事を聞いたあと私は頭のピンを外してリュックから取り出した普通の黒いピンに付け替えた。それから肖子の後を追った。


「お、来たね」

「おまたせ」

 ゆっくり歩いてくれていたので、すぐに追いつく事が出来た。彼女は私の方へ向くなり髪留めを変えた事に気付いてくれた。

「大事にしてくれてるんだね」

 嬉しそうな彼女に照れ隠しでもじもじしてしまう。

「い、嫌だもん。傷ついたりしたら」

 彼女はそっかと短く返した後に私の頭に手を伸ばし撫でてくれる。

「私は嬉しいよ!」

 これ以上甘やかされているとこの後の授業に支障が出そうなので名残惜しい気持ちを振り切った。

「行かなきゃ」

 私たちは集合場所に向かった。




「はぁ、はぁ......」

 私は運動不足な体にムチを打って走る。学校のすぐ隣にある大きな公園の外周を走っている。今はちょうど3周目に入ったところで全部で5周走らなければならないのだ。まだ辛うじて頭で考え事ができる。

 スタートこそ肖子と一緒に走っていたが、あんまり無理をしない様にと私に念を押した後はみるみるうちに姿が見えなくなってしまった。


 全く早くは走れないし体力があるわけでもないので走る事は苦手だ。だが他の体育の授業に比べればまだマシな方である。誰かと関わるわけでもないし、ただ進み続ければいつか終わるので気が楽なのだ。それに足さえ動かしていれば頭で何を考えていても自由である。


「おーい!」

 後ろから風鈴が聞こえる。足を止めて振り返りたい気持ちはあるが、変に足を止めてしまうと再び走り出せる気がしないので彼女には悪いがそのまま走り続けた。

「よっと!追いついたよ」

 気づけば私の隣を彼女は走っていた。私はもう口を開く余裕すらないのに。なんだこの体力お化けは。

「大丈夫?辛そうだよ」

 無理そうならリタイアするんだよと気遣ってくれる。私は精一杯伝わる様に大きく頷いた。私の返答を確認すると頑張れ!かわいいよと言葉を残して先に行った。追いつけらのならば追いつきたいがそんなことは出来ないのであきらめた。


 4週目の半分に来た頃、前から人影が来るのが見えた。私のペースは落ちに落ちていたが心臓の鼓動だけは速くなり続けている。なんで前から人が来るのかさえ考えられないほど疲れていた。あと1周半だっけ?もう絶対に無理だ。

「おーいもういいってよ」

 人影は複数人いたみたいでその中の一人は風鈴みたいな声の子である。私は足を止めて膝に手を置き屈む。

「よく頑張ったね」

 背中をさすりながら私の体を支えてくれる。

 先生の調整ミスだったらしくもう終わりでいいらしい。私はまだ4周目だったけど肖子がもうダメだよと止めてくれた。

 スタート地点に戻る途中に持ってきてくれた水筒を飲ませてくれたり、ずっと体をくっつけて歩くの手伝ってくれたのでだいぶ体力は戻ってきた。

「ありがとね」

「いやいや、あんなにヨタヨタ走る人ほっとけないから」




「疲れたねー」

「うん」

 私達は着替える為にあの教室に向かっている。彼女は私を心配しておぶろうかと提案してくれたが流石に恥ずかしいので断った。そのかわりゆっくり歩いてとお願いした。

「ありがとうね。ずっと私のこと気にしてくれて」

 走った後も肖子は私のすぐ側から離れずに倒れないか見てくれていた。

「だってもし倒れたりなんかしたら大変だもん」

 倒れても受け止めるからと言ってくれたのは凄く心強かったし安心できた。それに水筒をくれたり介抱してくれたりのお陰で今こうして歩けている。


 教室に着いた後、真っ先に私を椅子に座らせて彼女は同じように目隠しを付けてくれた。着替えさせてあげようか?なんて冗談を私は断って一人で大丈夫と笑って見せた。


「終わった?」

「うん」

「顔色良くなってきたね」


 よかったと安堵の表情を浮かべる彼女にもう一度感謝を伝える。それから彼女は私の頭のピンを指差してまだ体育用であることを指摘する。

「付けてあげるから、貸して欲しいな」

 私はあの髪飾りを手渡した。

 前髪に触れる彼女の手が少しくすぐったかった。

「よし!完璧」

 肖子は腕を組んで私をつま先から頭のてっぺんまでファッションチェックの様にじっくりと見る。

「変じゃない?」

「うん、いつも通りかわいいマヤだよ」

「すぐそうやって茶化すんだから!」


 本気だよと小言を溢す彼女をいつものようにあしらったが内心ではその言葉が嬉しかった。

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