喧嘩両成敗【KAC2023 お題 ぐちゃぐちゃ】
空草 うつを
ぐちゃぐちゃ
「ぷはぁーっ! 親父、もう一杯!」
「朔月君、本当に旨そうに飲むね」
その様子を苦笑しながら眺めていたのは、たまたま隣の席に座った初対面の客。名前は田中実という、朔月よりも少し年上の二十代後半の男だ。
「そりゃあ旨いに決まってるよ。愚痴をつまみにお酒飲めばさ」
事の発端は、ぐちゃぐちゃ、だった。
朔月が仕事が終わって帰宅した後、居候先の家の主に急に呼び出された。
「どうしたの
仁王立ちで立っていたのは、スーツ姿のよく似合う銀縁眼鏡をかけた男、
「これは、私が昨日君に貸したスマホの充電用と卓上加湿器の接続用とワイヤレスイヤホンの充電用とその他諸々のケーブルです。昨日の今日で、どうやったらこんなにぐちゃぐちゃになるのか私に分かるように説明してください」
「寝てる時にぜーんぶ充電しようとしたら誰だってこうならない?」
「なりません。少なくとも私は人生で一度たりともこのような状態になったことはありません」
「どんな充電の仕方してんの?」
「それは私のセリフです。それともうひとつ、君に言っておきたい事があります」
そう言うと、望は朔月をリビングの本棚の前に連れて行った。そこには小説からエッセイ集、漫画に至るまで様々な本が収められていた。
「君はここを見て何とも思わないのですか」
「え? んー、たくさん本があって本屋さんみたいだなーって」
「本屋はこんなにぐちゃぐちゃに本を並べていません」
よく見れば、ジャンルもバラバラ、漫画も順番がバラバラになってしまっている。
「君がぐちゃぐちゃにして本棚にしまった後、いつも私がジャンル別に、作者のあいうえお順に、そして漫画は1から順番に並べ替えているのを知っていますか?」
「そうだったんだ。全然気付かず使ってた」
ここで盛大に呆れたため息をついた望は、朔月にぐちゃぐちゃにする事によって起こる様々な弊害や実害を小一時間みっちりと説明し、今後同じようなことをしたら二度と貸さないと言い放って風呂へ入って行った。
「それで、何もそこまで言わなくてもいいじゃん、いくらなんでも細かすぎるんだよ、って腹立って。風呂入ってる間に出て来たってわけ」
田中に一部始終を話しながら、三杯目のビールに手をかけた。
「几帳面なんだな、朔月君の同居人は。合わない相手との同居ほど辛いものはない。ぱぁーっと飲んで、憂さ晴らしだ」
田中はハイボールの入ったジョッキを、朔月の持っていたジョッキにぶつけて乾杯した。
朔月がジョッキを口につけた、その時だった。細い手首が何者かに力強く掴まれ、ビールを飲むのを制止された。
「これは飲まない方が良いですよ」
聞き馴染んだ冷静な声に驚いて振り向けば、先程話題に出ていた望が朔月の手を掴んで立っていた。
いつもはワックスで固めてある黒髪は、風呂上がりだからか無造作に乱れている。シャツにチノパンというラフな格好だが、鼻の上に乗っている銀縁眼鏡だけは固い印象を与えていた。
「望さん? 何でここに?」
「君が家にいないので、恐らく拗ねて行きつけの居酒屋でやけ酒でもしているのだろうということは容易に予想がつきますから。それより」
銀縁眼鏡の奥の瞳にぎろりと睨まれた田中は、生唾を飲んで固まっていた。
「失礼ですが、あなたのお名前は」
「田中、実だけど」
「彼の飲み物に、何か入れましたね?」
「な、何の話だよ」
「とぼけないでください。先程、彼が私の悪口をぐちぐち言っている一瞬の隙を狙って、あなたが彼の飲み物に何か白い物体を入れるのが見えたものですから」
誰が見ても分かるほど、田中は落ち着きなくきょろきょろと見回したり冷や汗を垂らしたりしていた。
「そっ、そんなのあんたの見間違えだろ? 俺は何にもしてない!」
「申し遅れましたが、私はこういう者でして」
田中に見せたのは、ポケットにしまっていた弁護士バッジと名刺。さっと顔を青ざめた田中は、おしぼりで顔の汗を拭った。
「警察を呼んでもいいのですよ? その時、弁護士である私の目撃証言と、偽名であるあなたの話。警察はどちらを信じると思います?」
慌ただしく席を立った田中と名乗った男は、一万円札を店員に渡すとそそくさと去っていった。
「え、逃げちゃったけど、追わないの?」
朔月の問いに答えることなく、望はスマホを取り出して電話をかけ始めた。
「鳴島です。今、店から男が出てきたのが見えましたか? ええ、その男です。確保をお願いします。証拠はこちらにありますので」
電話を切ると、店にひとりの女性が入ってきた。ワンピース姿の女性は、長くたおやかな髪を靡かせながら、望と朔月のもとへ颯爽と歩み寄ってくる。顔貌は美しいのだが、膨れっ面なのが実にもったいない。
「ちょっと兄貴。私非番なんだけど。呼び出すなんてどういうつもり?」
「それは申し訳ないことをしました。が、そんなことより、
一応謝罪の言葉は口にしたが、悪びれる様子のない望は朔月が飲もうとしていたビールジョッキを指差した。円、と呼ばれた女性は望の妹で、非番であるにも関わらず呼び出しをくらってしまったのだ。
「恐らくあの男は、このジョッキに薬、たとえば違法なものを混ぜて彼の意識を混濁させて襲う手筈だったのでしょう」
「襲う!? 俺、男だけど!」
「君は少し、いやかなり、無防備すぎるのです。自覚してください」
朔月は中性的で綺麗な顔立ちをしていた。こぼれ落ちそうなほど大きな瞳で見つめられれば、例え男でも見惚れてしまうほどに。
ごちゃごちゃと言い争うふたりに向かって咳払いをしながら、円は鞄から白い手袋を取り出してジョッキを持ち上げた。
「はいはい、痴話喧嘩なら外でやってよ。お店に迷惑でしょ。これ、私の仕事じゃないけどたまたま居酒屋に飲みにきていてたまたま知り合いが違法薬物らしきものを飲まされようとしていた現場に居合わせたってことにしておいてあげる」
円の本当の仕事はSIT(刑事部捜査一課特殊犯捜査班)だった。
後は任せた、と円に言い残すと、望は朔月の手を引いて店を後にした。近くでパトカーが数台止まっていて、田中と名乗った男が警察に連行されている様子を横目に家路に着く。
手を引く望は、一言も発する事なくずんずん進んでいく。その背中はどこか苛立っている様子で、朔月も何と声をかけて良いか分からずに自宅であるマンションまでたどり着いた。
「……あの。望さん」
玄関で沈黙に耐えきれず、朔月は意を決して声を発した。
「その……ありがとう。それから、ごめんなさい。俺、また望さんに迷惑かけちゃった」
朔月はトラブルに巻き込まれる体質の、トラブルゲッター。これまで幾度となく望の世話になっていた。朔月の手首を掴んでいた望の手から、少しだけ力が抜けていく。
「私の方こそ申し訳なかった。君があんな目にあったのは、私が君にきつく言いすぎたせいでもあります」
望が苛立って見えたのは、朔月がまたしてもトラブルに巻き込まれて迷惑だったからではなく、朔月がトラブルゲッターだと知っておきながらトラブルに巻き込まれる原因を作ってしまった自分への怒りだったのだと、朔月は理解した。
今度は朔月が望の手を引いて、向かい合わせに立たせた。空いているもう片方の手で、無造作になっている望の髪をぐちゃぐちゃと撫で回す。
「喧嘩両成敗、だね」
「どこでそんな難しい言葉を覚えたのですか」
「あの本棚にある本のどれか。あれ、望さんの趣味の本でしょ? 俺バカだからさ、望さんと合う話なんてほぼないし。いつも望さんが俺に合わせてくれてるから申し訳なくて。だから、この本棚の本片っ端から読めば、少しは望さんと対等に話せるかなって。でも望さんの趣味の本、難しいのばっかりだったなぁ」
手当たり次第に必死で読んでいたから、元の場所に片付けるのがおろそかになっていたことを謝れば、望は銀縁眼鏡の奥にある目を見開いていた。
「そうだ望さん。俺、ひとつ気になる事が。なんであの男が偽名だって分かったの?」
「あの男が君のジョッキに薬を入れた時点で、本名を名乗るわけがないと思ったのです」
「へぇ、そっか」
納得した朔月がふと視線をリビングに移すと、ぐちゃぐちゃのままのケーブル達と本棚が目に入った。
「本、ちゃんと戻すよ。あとケーブルも」
「ケーブルはお願いします。でも本棚はあのままで良いです」
「何で?」
「君が……頑張っていた証拠は残しておきたいので」
それから、この家の本棚は常にぐちゃぐちゃのままになっている。
(おわり)
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