Sideスル:だって冗談みたいだから

 深い深い峡谷。

 夜の闇にまぎれて、暗黒の神殿は存在した。


 人が寄りつかない沼地。未踏の大地。法の目が届かぬ場所。灰色の地点グレースポットの中でもとりわけ濃くて、まあいつもは雰囲気最悪の場所をスルはものすごく難しそうな顔で歩いていた。


(どう説明すればいいのかなあ……)


 門番やココリコからも経緯は聞いたが、ふざけているとしか思えない内容だ。


 本来、迷い狂いの町に囚われたら恐怖に支配されて、いつしか死に侵される。

 なのだが、怪奇現象だと気づかなかったってなに。


(術にはまらなければ、ただの町はそうなんだけどさ)


 それで彼らが助かったのだから喜ぶべきなのだが、釈然とはしなかった。


 スルは今からそれを説明しなければいけない立場にある。

 廊下に並ぶ魔王の彫像が自分をあざ笑っているように思えた。バカにしないでよと、ちょっと睨んでから歩みを進める。


(……みんなの楽しいを支える人か)


 スルが気難しい顔でいるのはそれだけじゃない。


 門番の言葉が心に刺さっていた。


 スルの家系は、代々悪魔族のまとめ役となる。

 スルの家系では三邪王が滅んでいないことも密かに語り継がれていたし、彼らがいずれ蘇ることも知らされていた。そうしてスルが幼いときに蘇り、彼らが真に力を取りもどすために長い間こき使われていた。


 悪魔族の仲間はそのことをしらない。

 知る必要がないと思っている。


 みんなが安心して暮らせる場所……それは、先祖からの悲願なのだ。


(…………どの道、選択肢なんてないけどね)


 血の祝福があるかぎり、逆らえるはずもなかった。

 重々しい両扉の前で立ち止まる。


「三邪王様、スルがまいりました」


 ゆっくりと扉がひらいていき、禍々しい魔性の霧が床下から伸びてきたが、邪王の間の空気はいつものような重さがなかった。


 長椅子の三邪王はどこか心あらずだ。

 特に邪王サオウが神経質そうに身体をゆすっている。


「ふひっ……バカなありえないよ……。ボ、ボクの迷い狂いの町が……な、なんで、どうして滅んだんだ? ありえないありえないありえない……」


 ありえないを連呼する邪王サオウに、邪王ウオウが聞いた。


「サオウ。町全体が大きな術なんだろう? 戦闘中にどっか壊れたんじゃねぇのか?」

「ち、ちがうんだよ……。あの町に囚われた時点で術中なんだ……。あとはゆっくり死に侵されるだけなのに……ふひひひひひひっ!」


 邪王サオウは痙攣したようにふるえた。


 混沌の魔性とも呼ばれたサオウの取り乱しっぷりに、他の邪王も動揺していた。

 邪王チュウオウは大きく息を吐いてから、ねっとりとした声で呼びかける。


「愛しいスルよ」

「はい、邪王チュウオウ様」


 スルは恭しく膝をつく。

 説明するのイヤだなー……と内心で思いながら、邪王チュウオウの言葉を待った。


「彼の者たちはなぜ死に囚われなかったのだね?」

「怪奇現象を古代遺産の暴走だと勘違いしていたそうです」

「古代遺産の暴走? 町には死者が彷徨っていたのだろう?」

「それも古代遺産の暴走だと勘違いしていたそうです」

「……どこをどうすれば、そう勘違いするんだい?」


 ひりついた空気を感じる。

 邪王たちがあきらかに苛立っているのをスルは感じた。


「彼の仲間がゾンビに噛まれてもゾンビ化しなかったので『町の人はゾンビじゃない。ゾンビっぽい人』だと思ったそうです」

「ゾンビ化しなかった? ……優秀な術師がいたのかい?」

「いえ、思いこみの強い獣人がいまして……。ゾンビを信じていなかったのでゾンビにならずにすんだそうですが、本当にゾンビだとわかった途端ゾンビ化して……あ、えっと、その子は思いこみでゾンビ化から回復しました」


 スルは自分で説明していて頭がどうにかなりそうだった。


 邪王チュウオウは完全に沈黙している。

 空気に耐えきれなくなったのか、邪王ウオウが怒鳴った。


「ふざけているのか⁉⁉⁉」


 邪王の間がビリビリとふるえる。

 ふざけてないけれど、実際そうらしいのでスルはもう言葉に困った。


 と、邪王ウオウの怒りを邪王チュウオウが手で制する。


「ウオウ。落ち着きたまえ」

「だがよ! こいつ、俺たちを舐めてやがるぜ‼」

「彼女は私たちに嘘の報告をするわけがない。……そうだろう?」


 邪王チュウオウがねっとりとささやくと、スルの心臓が傷めつけられかのような鋭い痛みを感じた。


 血の祝福を利用して、支配者として苦痛を与えてきている。


 それも気絶せず、ギリギリなんとか会話ができるぐらいの痛みだ。

 スルは激しい苦痛をこらえながら答えた。


「も、もちろんです、三邪王様」


 スルが声をひねりだすと、苦痛が消える。

 冗談みたいな報告だが、どうにか受け容れてはくれたらしい。


 スルが胸をなで下ろしていると、邪王チュウオウが呆れたように息を吐く。


「ふう……どうやら私たちは勘違いをしていたようだね」


 やけに落ち着いた邪王チュウオウに、邪王サオウが反応する。


「ふひっ……勘違いだって……?」

「王都の密命をうけた英雄ではないかと疑ってもいたが……なんてことはない。私たちが相手しているはとびきりの……阿呆だね」


 スルは口を挟まなかった。

 門番に関してはフォローしづらい箇所が多々あったからだ。


「やれやれ、迷い狂いの町を滅ぼしたと聞いたが安心したよ。そんな阿呆共が英雄のわけがない。奴らが魔王様の分身体を倒したのも疑わしいね」

「ふひっ……。魔王様がまだ王都の地下に封印されたままだと?」

「そこまでは言わないが、調べなおす価値はあるようだ」


 邪王チュウオウは門番たちへの警戒度を下げたみたいだった。


 スルはちょっと疑問に思う。


(冗談みたいな話だけど、そこまで馬鹿にしなくても……)


 ヴィゼオールも、迷い狂いの町も、滅んだのは嘘じゃない。

 門番たちの強さを認めたくないみたいだと、スルは思った。


「愛しいスル」

「はい、邪王チュウオウ様」


 スルは本音を探られないように気を引きしめる。


「彼の者の旅に同行するんだ」

「えっ、それは……?」

「なにか裏があるのか探っていたが、そこまで阿呆なら警戒する必要はないだろう。内側にもぐりこみ、彼らの実力を正しく測っておいで。もちろん寝首をかいてもかまわない」


 正真正銘の裏切り行為を仄めかされて、スルはただ真顔でいた。

 いつも通り、忠心を疑われる前にうなずくべきだった。


(声がでない……)


 この場かぎりの言葉がひねり出てこない。


 ねっとりとした殺気を感じる。

 八つ裂きにされるかと思ったが、その前に邪王ウオウが大声をあげた


「はっ! なら、おあつらえ向きの奴がいるぜ! ! 奴に阿呆共の相手をさせる‼」

「ふひっ……邪鬼ヴァニー? 死んでいなかったんだ……?」


 邪王サオウが興味を持ったのか、気を取りもどしていた。


「血の気が多くて、俺に逆らいやがるから地中深くに封印していたんだ。封印は俺の魔力と紐づいている。それを断ち切れば、今すぐにでも地上への扉がひらくぜ」

「ふひっ……血の気が多いね? 君が言うのだからよっぽどだよ」

「だははっ! そう褒める褒めるな!」


 邪鬼ヴァニー。聞いたことのない名だとスルは思った。

 だが邪王チュウオウもよく知っているのか、この案に満足そうだ。


「良い駒をのこしていたようだね。ウオウ」

「ふははっ! 邪鬼ヴァニーの名を聞くだけで人間共は泣き叫ぶぐらいだからな! 血を求める深紅の瞳! 竜に匹敵する滑らかな鱗! 二つの耳は人間の悲鳴を聞き逃さない! こと狩りに置いては邪鬼ヴァニーの右に出る奴は……いいや、


 ひっかかる言い方に、スルは眉根をひそめる。

 邪王ウオウは暴力に酔いしれるように笑いつづける。


「ぐははははっ! 封印地では凄惨な伝承が語り継がれているだろうさ! そうだスル! 邪鬼ヴァニーを解き放つと人間共に伝えておけよ! 面白いことになるぜ!」


 人間たちが泣き叫ぶ姿を想像したのか、邪王チュウオウも邪王サオウも、嬉しそうに笑っていた。

 三邪王たちはすっかりご機嫌を取りもどしていたが、スルには疑問があった。


(そんな伝承あったっけ……?)


 大昔の話がゆがんで伝わることはあるが、邪鬼ヴァニーなるモンスターの血みどろの伝承は聞いたことがない。

 だが、ここでなんっすかソレなんて言えるはずもなく。


「かしこまりました、邪王様」


 言われたとおり、邪鬼ヴァニー復活の噂を流そうと決めた。

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