Sideスル:気づきそうで気づかない
深い深い峡谷。
夜の闇にまぎれて、暗黒の神殿は存在した。
人が寄りつかない沼地。未踏の大地。法の目が届かぬ場所。
スルは石造りの廊下を歩いていた。
廊下の両側には、魔王の彫像が並んでいる。いつもなら歩くだけでも畏れおおい場所だが、彼女の表情はいくらか柔らかかった。
(あの双子……。あっさり返答しちゃってさ)
スルの問いに、アリスとクリスは『面倒はかけない。ぜったい役に立ってみせる』と力強い笑顔で返してきた。
来るもの拒まず、みんなで楽しくしようがモットーの悪魔族だ。
同胞も双子の面倒はしっかりと見るだろう。というか可愛い妹分ができたと喜んでいた。
もっとも双子は箱庭お嬢さまってわけじゃなくて、自活できるぐらいにタフな子たちだ。旅ながら世間を知ればいいと思う。
そうして、改めて自分たちの道を進めばいいのだ。
(使命から解放されたんだ。それぐらい自由があってもいいよね)
スルは双子を羨ましく思い、自身の運命とちょっぴりとだけ重ねる。
長い長い廊下は、抜けることができないトンネルを想起してしまい、暗闇にとらわれかけたスルは息を吐く。
(ふぅ……。旦那、わりと戦える人みたいだね)
門番たちとユーリカベーとの戦闘を、スルは遠くから監視していた。
細かい事情は知らないし、どうして神獣カムンクルスが滅んだのかもわからない。近くで観察したかったのだが存外に察しがいい。
特に、メメナの索敵範囲は広かった。
警戒外から監視するのに、スルはかなり苦労した。
(旦那以外の子も戦えるみたいだし……というか全然強いんだけど? あんなに強ければ旦那もふくめて、名が知れ渡っていてもおかしくないのに)
悪魔族の情報網をつかったが、門番パーティーの知名度は低かった。
若いパーティーなのか。たまたま知れ渡っていなかったのか。
時間が経つほど評判がうすまるのも気にかかる。
モブすぎる彼のせいかなと、スルは思った。
(旦那、存在感がなさすぎるしね……。監視がホント一苦労だよ。気がつけばいなくなるし、あれだけ追跡が難しい人は初めてだ)
やっぱり王都の密偵なのだろうか。
モブすぎる特徴を生かすにはもってこいの役目だけど、とスルは考える。
(なんにせよ、ぜんぜんわかっていませんなんて言えないよね……)
どう言い訳すればいいのか、スルの気が重かった。
ビクビクしながら廊下を歩きつづけ、両開きの扉の前に立つ。
「三邪王様、スルがまいりました」
スルは背筋を伸ばし、いかにも忠実なるしもべの顔をした。ここで少しでもイヤな顔を見せれば、手酷い目にあうのはわかっていたからだ。
両開きがゆっくりとひらき、禍々しい瘴気が漏れ広がってくる。
邪王の間では、ローブ姿の三邪王が長椅子で待ちかまえていた。
「愛しいスル、私たちに伝えたいことがあるそうだね」
邪王チュウオウがねっとりとささやいた。
情報はすでに知っているだろうに、自分の口から言わせたいのだ。
スルは彼らの前でひざまづく。
「神獣カムンクルスが滅びました」
「どうしてだい……?」
「……わかりません。勝手に滅んだと、例の者は」
邪王の間の空気がビリビリとふるえた。
邪王ウオウの殺気が今にも破裂そうなほどふくれあがっている。
「スル‼ てめぇ! そんなことをわざわざ報告しにきたのか⁉⁉⁉」
「……申し訳ありません。ですが」
「ですがじゃねえ! 神獣カムンクルスが勝手に滅ぶわけねーだろうが⁉ 奴らがなにかしたに決まっている! それを調べるのがお前の役目だろうが‼」
ここで警戒が厳しかったと答えれば、スルはひどく折檻されるだろう。
彼女は頭をふりしぼり、ある可能性を答えた。
「あの者……もしや、勇者ダン=リューゲル級の戦士ではないのでしょうか?」
王都の密偵なんかじゃなく、世界の闇にひそむ魔性を狩る存在ではないのか。
モブすぎてありえないと思うが、スルはその可能性を告げた。
邪王ウオウの言葉が詰まる。
「そっ、そんなわけねぇだろう! あんな化け物がそういてたまるかっ!」
勇者ダンの脅威を思い出したのか、邪王ウオウはたじろいでいた。
邪王チュウオウもスルの言葉を否定する。
「ありえないね。勇者ダンの強さは奴特有のものだ。子孫がいたとしても受け継がれるはずがない。そもそもアレ級の勇者がいたのなら、とっくに噂になっている。人間共が放っておくわけがないさ。だいたい――」
邪王チュウオウは鼻で笑う。
「神獣カムンクルスが人間の手で滅ぶものか。馬鹿馬鹿しい」
邪王チュウオウは『例の者が先代勇者と当代の力が合わさったおかげで、たいへん馬鹿馬鹿しい存在になっている』とは知らずに言った。
と、邪王サオウが冷たい視線をスルに向ける。
「くひひっ……。スル、神獣の巫女は封印の地にいなかったのか……?」
「……今世でも存在しました」
「し、しぶとい一族だね……しっかり監視していたらしい。巫女とは接触したかい……?」
「はい、神獣との繋がりが消えたと言っておりました」
「くひひっ……なら本当に滅んだんだね。残念だけれど、くひっ……」
邪王サオウの見切りの早さに、邪王ウオウが怒鳴る。
「サオウ! 神獣が本当に滅んだと思ってるのかよ⁉」
「くひっ……。神獣の巫女には『血の祝福』が刻まれているんだよ……。神獣と深く結びついた一族だ……本能でわかるはず。それに……もし、使命を破るような真似をすれば」
邪王サオウがスルに手をかざす。
「こんな目にあう」
瞬間、スルは首をしめつけられたかのように呼吸ができなくなった。
喉に両手を当てるが、ひーすーと消えるような声しかでない。
「ひゅーっ……!」
スルが苦しむ姿に、邪王サオウは唇をゆがませる。
「くひひひひひっ……! こんなふうに『血の祝福』は子孫にまで影響するんだ……! 血に刻まれた使命からは決して逃れることはできない……ふひひっ」
「ううっ……」
「み、巫女は使命から逃げようと考えるたび、悪夢を見ていたはず……。なのに影響がないのなら、神獣は本当に……勝手に滅んだんだよ……」
「かはっ…………」
「ゆ、勇者ダンの再来なんてありえない。あ、ありえないよ……」
邪王サオウは勇者の恐怖を思い出したのか、体をガタガタとふるわせた。
そこでスルの呪縛が解ける。
ぜーはーっと酸素をとりこんでいる彼女に、邪王サオウは冷酷に告げる。
「スル。奴らを『迷い狂いの町』に誘うんだ……」
迷い狂いの町と聞き、スルは思わず顔をあげた。
邪王チュウオウは、実に興味深そうにたずねる。
「サオウ、迷い狂いの町は滅んでいなかったのかい?」
「くひっ……
邪王サオウの下卑た笑い声に賛同するよう、邪王ウオウが笑った。
「だははっ! サオウの特別はねっちこいからな! 奴ら、未来永劫苦しむことになるぞ!」
「くひひっ‼‼‼ あの町は心の隙をつく魔性が支配している……! どんな強者であっても、奴の前には赤子のようなものだよ……!」
スルは顔をふせて、彼らの笑い声を聞いていた。
迷い狂いの町。話には聞いていたが、まだ現存していたなんて。
どんなに強くて勇敢な戦士であっても、あの町で正気を保っていられないことをスルは知っていた。
(……あんな気のいい人たちが)
だが、自分の口から告げることは許されない。
血の祝福の支配からは逃げることはできない。
今もその身に教えらえたばかりじゃないかと、スルは唇を噛んだ。
「ふひひっ……様子見なんてらしくなかったんだ……。初めから、ボクらしく奴らを恐怖のどん底に叩きこめばよかった。……くひひひひひっ!」
門番たちの優しげな笑い声が、邪王サオウの醜悪な笑い声に上書きされる。
神獣カムンクルスが勝手に滅びる、そんな幸運は二度もつづかないだろう。
彼らとはもう二度と会うことはない。迷い狂いの町には、人の心の隙をつく恐るべき魔性が住みついているのだから。
せめて双子が立派に育つまで面倒を見ようと、スルは心から誓った。
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