第9話 ただの門番、秘めたる想いをしる
そうして深夜。
草木も眠るような静かな森を、赤毛の女の子が歩いていた。
二度と家には戻らない、そう雄弁に語る背中に俺は呼びかける。
「……どこに行くんだい? アリス」
「ひゃ、ひゃい!」
アリスはびーんと背筋を伸ばして、ゆっくりとふりかえる。
いつものやわらかい笑みが、あまりにも嘘くさすぎた。
「し、深夜のお散歩です」
「そんなにも笑顔を凍らせてかい?」
俺はできるかぎり優しい声で聞いた。
双子の様子は最初からおかしかったが、特にアリスがおかしいとメメナが教えてくれた。どうも笑顔の裏に、悲愴な覚悟が秘められていると。
メメナも贄になるべく覚悟を決めていた子だ。同じ気配を感じたのかもしれない。
「本当に深夜のお散歩です。ちょっと考えごとがあって……」
アリスはかたくなに微笑んでいた。
そんな少女の笑顔をとっぱらうべく、サクラノが影からあらわれる。
「机に書置きをのこし、深夜のお散歩は無理があろう」
「サクラノさん……それは……」
「まだ読んでおらんが中身はだいたいわかるぞ。アリス、お前は笑っているようで死地におもむく武人の顔をしておる」
言い逃れはできないと察したか、アリスは困ったように微笑んだ。
そして少女は遠い世界を想いはせるように夜空を眺めたあと、俺たちをまっすぐに見つめてくる。
「私とお姉ちゃんは……神獣の巫女と呼ばれる者です」
「巫女? その神獣ってのはいったい?」
俺がたずねると、アリスは唇をきゅっと結ぶ。
「神獣カムンクルス。太陽の化身と呼ばれる存在で……勇者と魔王が戦う以前よりずっと昔からこの地に眠る神獣です」
「神獣と呼ぶわりに恐れているようだけど……」
「神さまらしく、横暴すぎたのです」
アリスは辛そうに目を伏せた。
「神獣カムンクルスの炎は大地に恵みを与えましたが、同時に支配をもたらしました。神獣の意にそむく……いいえ、元より魔性の存在です。気まぐれで牙を剥いては野に炎を放つカムンクルスを、人はただただ恐れておりました」
かなり横暴な神さまみたいだな。
人類寄りの存在というより、たまたま人類に利のある力をもった存在のようだ。
「神獣カムンクルスの炎の爪痕は、いまだこの地に刻まれているぐらいです……。太陽の化身が翼を広げたとき、無限の炎が大地を焼きつくすと伝承で語られています」
ん? その神獣はもしや鳥なのか?
つい最近、炎を撃ってくる大きな鳥と出会ったが、まさか……。
「神獣カムンクルスのなにより恐ろしいことは、その不死性です。一万回も蘇る生命力は、まさに神の獣と呼ぶにふさわしい存在でした」
じゃあちがうか。
あの鳥、1000回斬りつけたぐらいで音をあげたし。
伝承に尾ひれはつくものだが『未来の人類への警告』として、一万回も蘇るなんて話を盛らないだろう。たぶんこの地は、ガッツのあるモンスターが多いんだな。
「なあアリス。大昔の人は、カムンクルスをどうやって倒したんだ?」
アリスの口ぶりでは封印したみたいだが。
「神獣カムンクルスに仕える王家の一族……といっても防火魔術が得意なだけなんですが。彼らは神獣の目を逃れながら、一族の血に大防火の術式を刻みこんだのです」
「つまりそれが……」
「神獣の巫女。神獣カムンクルスを封印する存在です」
きっと、ただの封印術ではないのだろう。
アリスの瞳は痛ましいほど決意に満ちていた。
「巫女は生命力を賭して、封印術を行使します。それでも封印は一時的なもので……。そして神獣カムンクルスが回生する時期に、私たちの一族に赤毛の双子が生まれるのです」
「それが、アリスとクリス……」
「……物心がついたとき、私たちはすでにこの地にいました。一族のお世話役が一人だけいて……。二人だけで生きるすべや、生きぬくための魔術、そして一族の大いなる使命について教えてくれました」
「逃げようとは思わなかったのか?」
辺境の地ではあっても、双子たちには自由があった。
たまにキャラバン商隊と交流しているみたいだし、少女たちは封印のことを忘れて、神獣は他の者に任せることもできたはずだ。
「私たちのお世話役はそうも言ってくれましたが……」
「その人は?」
「……私たちが成長したのを見届けてから、この地に訪れておりません。きっとわかっていたのだと思います。血に刻まれた使命の重さを……」
アリスは両腕で自身を抱きしめ、ブルブルとふるえた。
「神獣カムンクルスの目覚めが近づいているのがわかるのです! 魔性がこの地に羽ばたく姿! 煉獄の炎が大地を焼き尽くす光景! 神の獣には誰も勝てない……‼‼‼ 巫女の使命は最小限の犠牲です、誰かがやらなければいけません!」
「アリス……」
「未練がのこらないように教育もされましたしね……」
アリスは自虐するように微笑んだあと、瞳をうるませる。
「ですが、お姉ちゃんはちがうんです! お、お姉ちゃん……外の世界に興味ないフリするんですが、昔から好奇心旺盛で……! 魔術も独学でずっと勉強していて……! お姉ちゃんはここで縛られていいわけないんです!」
物わかりがよさそうにしていたアリスが声を荒げた。
どうしても耐えられないんだと年相応の少女の顔で、お願いしてくる。
「お、お姉ちゃんを、みなさんの旅に連れて行ってくれませんか⁉ か、書置きにもそうのこしたのですが、改めてお願いします!」
「それでアリスは……君はどうするつもりなんだ?」
「封印術に巫女は二人もいらないんです……! 双子がそろっていれば助かる可能性があるだけで……! 私の生命力をすべて使えば、お姉ちゃんは絶対に助かるんです!」
必死に頼みこんでくる姿に、俺は言葉を失ってしまう。
メメナが気にするわけだ……。
アリスの気持ちもくみつつ、俺はゆっくりと首を横にふった。
「ど、どうしてです⁉ わ、私にできることがあればなんでも……!」
「この話、今まで一度もクリスとしてないんじゃないか? ちゃんとお姉さんと向きあうべきだよ」
俺が視線を横にやると、木々の陰に隠れていたクリスがあらわれた。
側にはハミィとメメナがいる。クリスは彼女たちに背中を支えられながら、妹を静かに見つめていた。
「お、お姉ちゃん……」
「アリス……あんた……」
双子は言葉を発しなかった。
どう話せばいいのか。どう打ち明けるべきなのか。使命に囚われるあまり、二人は大事なことから目を逸らしていたと気づいたようだった。
そんな二人に、サクラノが声をかける。
「心配だと思っているからこそ、きちんと声にしなければいけないぞ」
ハミィもつづいた。
「あ、あのね。遠慮とか、自分が我慢すればいいとか、そーゆーのよくないと思うの……。お互いに大事な存在だからこそ、きちんと話すべきだわ……」
サクラノとハミィは、まるで自分事のように語った。
二人の言葉に後押しされてか、クリスが妹に歩みよる。
「アリス……。アンタ、いつからそんなことを考えていたのよ」
ちょっと怒ったような声色に、アリスがビクッとふるえる。
「お、お姉ちゃんが……新しい魔術を覚えるたびに嬉しそうにしていて、それで……」
「アンタを守れる手段が増えたら嬉しいに決まっているじゃない」
クリスが苦笑すると、アリスは涙目になる。
そしてクリスは悔しそうに、大事そうに、妹を抱きしめた。
「ぜんぜん気づけなくて……ごめんね」
「う……ううんっ! ち、ちがうの! お姉ちゃんは悪くない……! だ、だって、だ、だって……」
アリスは言葉をつづけることができず、ぐじゅぐじゅと泣きはじめた。
クリスも威厳を保とうとしていたが、ボロボロと涙を流している。
お互いを大事に想いあう双子に、俺は拳をかたく握りしめた。
神獣カムンクルス……‼‼‼
お前がどれほどまでに強大で恐ろしい存在かわからない! だが双子の絆の強さを前には、とって足らない存在だ!
二人を追いつめたお前を……俺はぜったいに許さない!
いまだ見ぬ神獣に畏れながら、俺は義憤をたぎらせる。
そのときだ。
森がざわついて、妙な声が聞こえてくる。
〈――ユーリ波動を感知、対象を捕獲します〉
双子に怪しい影が迫る。
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